見出し画像

盲目のダンス(ふれあい解放される)

Virgilio sieniの"盲目のダンス"を見て

Virgilio sieniは、イタリアのコンテンポラリーダンサー、振付家です。
2013年から2016年まで、ビエンナーレ・ヴェネチアのダンスセクションの監督を務めるなど、国内外で数多くの作品を発表している素晴らしい方ですが、最近は大きな劇場から人々の生活の場に下り、フィレンツェの市民の家や、チリのサンティアゴの鉱山労働者、アルプスの刺繍職人の女性、代議員の部屋など、ダンサーではない人たちと(幅広い年齢と身体的能力を持つ)身体の細部まで”聞く”(骨格はどのように動くのか、視線はどこへ向けるか、動きから空間をどう作り出すか、一緒に呼吸する共通の空間を探る、お互いの体を訪問する)ことで身体を動かすという試みをし、作品を発表しています。

今回の作品は、”盲目のダンス”というタイトルで、歴史的な北イタリアのブレーシャの中心地にあるオペラ劇場の舞台の上に客席と踊るスペースが作られていましたが、客席はは四方に一列づつ椅子が置かれているだけで、真ん中には茶色いダンボール素材の床が、四角く敷き詰められていました。

実は、タイトルが”盲目のダンス”ですが、まさか本当にvirgilioと踊っている若いダンサーが盲目とは、最後まで全く想像もしていませんでした。デュエットを踊る2人は、常に新鮮な周りの空気の音に耳を傾けて、お互いのオーラのようなものを感じとり、それが2人の動きを形作っている。心または感情はジェスチャーのように表現され、常に寄り添い触れあいながら、お互いの力加減を感じ取ることで動きが生まれ、また消えていく。お互いがスーペースを占領する訳でもなく、どちらかが征服したり耕作したりせず、ただ、ただ、風に乗って野性の草原を動き続ける。

光を聞く、そして光に従う。

フライヤーに書いてある何行かの文章と、この踊りを見た感じから、言葉にすると
こういう感じの動きでした。ダンボール素材の床がとてもスムースで、2人の足がダンボールに擦れる音がとても心地よかった。その音は、風を感じながら草原を戯れる馬を連想させた。人はお互いの体に触れるだけであんなに踊る事ができるものなのだろうか、暗闇、もしくは光のなかで彼はどうやって踊っていたのだろうか、踊りとは見る事だと思っていた。踊りの時の”見るこ”とはきっと、その永遠に続く空気(空間)と、そして人と触れ合うその感覚の事、またはその記憶なのだろうか。

virgilioとこのダンサーは14年間一緒にトレーニングをし続けているそうです。
盲目の彼は、コンタクトインプロヴィゼーションを学び続けてここまでたどり着いきました。この作品を作るにあたって二人は最初はインプロ(即興)を何度も行い、そこから振り付けに発展していったのだと、アフタートークで言っていました。私が昔、振り付け家が振り付けて、それを早く覚えて自分のものにする事を必死でやっていた頃は、いつもどこか、蓋をされているような感覚があって、何かが引っかかっていたのを思い出します。このようなインプロ(即興)の動きの作り方が、また人間の踊りの原点に近づき、解放されることを嬉しく思ったと同時に、この盲目のダンサーを心から尊敬しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?