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『風の旅人』を北イタリアのスキー場で読んだ

 『風の旅人』という雑誌に出会って、とても感動したので、読んだ日の事を書いてみました。

 冬休みの1週間、子供達にスキーを習わせるためにPASSO DEL TONALE という北イタリアのトレンティーノアルト・アディジェ州とロンバルディア州の間にあるスキーリゾート地に滞在しました。自宅のあるブレーシャから車で約1時間40分。ブレーシャの街に住む人たちは、この辺りにセカンドハウスを持っている人が多い。ミケーレ(旦那)の仕事の関係でヴァカンスの大半を私と子供達(2人)だけで過ごした。子供達はスキーが全くの初心者なので、手こずる事を想像して今回は仕方なく私は滑らず、送り迎えに徹する事にした。子供達が滑っている間に読む本は、日本で購入した『風の旅人』(vol.17)と言う雑誌だ。寄稿者に養老孟司さんと茂木健一郎さんを見つけたので読んでみたくなって、まずは好きな表紙の(vol.17)を選んだ。自宅の木製のローチェストの上に飾ると、アート作品を買ったようでとても素敵な空間になる。時々その雑誌の表紙を見つめている。私が多分初めて外国人と接したのは、高校2年生の時だったと思う。チアリーダー部の部長をしていて、ある日、本場アメリカのチアリーディングチームが東京でワークショップを開いたので、パートナースタンツやピラミッドを学ぶ為、部員全員で参加した時だった。一緒に踊ると言うことは、間近で触れ合うと言うことで、その時のアメリカのチアリーダーたちの身体はいろんな人種が混ざっていて、それぞれの身体の違いがとても美しく見え、彼らの体臭も一緒になって全てが衝撃的だったのを今でも鮮明に覚えている。この雑誌の表紙を見ていると、その時の感覚がすっと蘇ってくるのだ。マイナス15度のキレるような寒さのイタリアのレーティッシュアルペンで、この雑誌を手に雪の中をおっちら、おっちら歩き、ちょっとだけ汗ばみながら、私はなぜここにいるのか?と言う頭の片隅にずっとある疑問を深く考えたいわけでもなく、ちょっとだけこの本と照らし合わせながら読みたいとワクワクしていた。
 
 ホテルの朝食を食べて、部屋でテレビを見ながら、子供達を11時からのスキー教室に行かせるには、ここを何時に出れば良いのか。まず、スキーのアンダーウエア、靴下(厚ぼったくてきつめ)、スキーウエア、に着替えさせて歯を磨くのに何分かかるのか、ホテルの一階に置いてあるスキー靴を履いてネックウォーマー、ヘルメット、ゴーグルに手袋、全てを2人に装着して、雪道をスキーの板を担いでピスタまでどのくらいかかるのか。じーっと考えていた。結局10時に全部装着し終わり、ホテルを出た。道のところどころが凍っていて、初めてスキー靴を履く子供達はホテルからの下り坂で立ち止まってしまった。仕方なくホテルに戻り、登山靴に履き替させ、私は2人分のスキー靴と板を背負って雪道を歩いた。スキー靴が重かった。その時、13年前にベルリンに雪が降った時のことを思い出していた。あの時もマイナス15度くらいで、旦那に会ったばかりの頃、思い出のあるボアのついたレザージャケットに、フリーマーケットで買ったインド綿のキラキラショールを巻いて、雪の中をサックサク歩きながらふわふわした気持ちで、旦那に会いに行った。あの時の身体の感覚を今でも覚えている。そのボア付きのレザージャケットは、真夏にボリビア人の友達の引っ越しを手伝った時に、彼女が私にくれたものだった。その時は、私の自転車はカゴなしだったので、ジャケットを入れるところがなく、真夏なのに着て帰えったのを覚えている。途中、遠目で笑われているのを感じたけれど、全く気にならなかった。今は、こうやって2人分のスキー板とスキー靴を背負って、子供達と雪と氷の道を転ばないように真剣に歩いている。1時間しかないスキー教室のお昼休憩で、混んでいなくてささっと食べられるレストランかバール(カフェ)はないか、探しながら。この雑誌『風の旅人』の小栗康平さんの文章(見ようとする意思)に旅をする事についても書いてあったが、旅の途中の真剣な時に、忘れ去った記憶が身体を通じてどんどん蘇ってくるのを感じる。そして、雪という自然と接することで、ましてや子供2人一緒だと、あれこれ色々考えなければならない。自分の身体に集中して、見たり考えたり。旅をする事は、踊る事なのかもしれない。踊ることは自分の周り360度を見ることだと思う。


 ピスタについたら10時半だった。集合場所を探そうと思ったら、長女がトイレに行きたいと言う。バールでトイレに行かせるには、何かを買わなくてはならない。トイレに行かせた後、2人に暖かいホットミルクを飲ませた。再び、ネックウォーマー、ヘルメット、ゴーグル、手袋をはめて、バールを集合時間の10分前にでた。集合場所が見つからず、子供達を待たせて走り回った。ようやく見つかったら、長男が手袋がちゃんとハマっていないと文句を言った。長女はスキー靴がスネに当たって痛いと言い出した。ちゃぶ台があったらひっくり返したいと昭和の居間を想像したら、なんだか一瞬寂しさが横切った。一人で子連れで知らない土地で過ごすことは、この時代、なんでもない事だけれど、でもいつもよりはずっと、気が張ってるのか、気合いが入っているのか、なにかが違う感じだ。私達は無事に定時に到着した。

 ようやく、スキースクールが始まって、私一人の時間がやってきたはずなのに、親バカか、子供達の初スキーの様子を見たくて、1時間もニヤニヤ、フラフラと後をつけて眺めてしまった。後1時間で昼食だ。慌ててピスタの周りにあるレストランやピッツェリアを一件一件回った。どこも既に異常なほど混んでいた。もっと上級者向けのピスタに行けば、混んでいないRifugio(山小屋)で、トレーを持って美味しいパスタやポレンタ、お肉、野菜、デザートを選んで食べられるのだが、ここはスキー教室のある家族向けエリア(FANTASKI)で、お昼時間以外も常に混んでいた。仕方なくホテルの近くのスーパーで、モルタデッラとチーズを買い、Forneria
(パン屋)でPane integrale(全粒粉パン)を買ってホテルの部屋に戻った。部屋のドアが開いていて、黒人の女性が赤のギンガムチェックのエプロンと三角巾を頭に巻いて洗面所を掃除していた。私が入っても全く気づかず鼻歌を歌っていた。とてもご機嫌で幸せそうに見えた。買った食材でパニーニ(サンドウィッチ)を作りたかったのだが掃除中か。咳払いでもしようか、こっそり出て行こうか。『すいません!』女性がびっくりして振り向くと、とっさに私の靴を見た。『本を取ってもいい?』と私が聞くと『もちろん』と女性が答えた。雑誌を持っていたのに無駄にもうひとつの本を取って部屋を出た。行き場がなくなってホテルのロビーに座った。私は一体何をしているのか。『何か飲む?』とホテルの人に聞かれたのでカプチーノを頼んで『風の旅人』を読み始めた。

 東京。実家のある埼玉よりも、電車から眺める夜の東京の家々の明かりの方が、変な懐かしさを感じる。それはとても暖かく、そしてなんだか羨ましい。前世の私はきっと、東京のオフィスで働いていて、私の机(居場所)がちゃんとあって、暗くなるとオフィスを出てスーパーで買い物をして帰宅すると、キッチンで家族に美味しいご飯を作っていた。そんな懐かしさがあった。どうして私は”踊り”なのだろうか。そんな疑問がよぎる。『風の旅人』にある東京の風景はそれとは違う裏の東京で、昼とも夜ともつかない景色だった。私と同じ現実の生活が見えた。私は、今まで表の東京を見ていたのかと、安心したような気持ちになった。踊ることはとっても現実的で、ひたすら前形で、今のこの瞬間と、この空間をしっかり見て何かしらの反射で動かされているだけなのだと思う。そう考えると、私が電車から見た表の東京は、懐かしいのではなく、額縁の写真みたいな、存在しない安心感への憧れみたいなものだったのだろうか。しかし、この雑誌にあるいろんな物が混じった東京の景色は、まだあるのだろうか。驚くほど日々変化していく日本の景色が少しずつ、どこも同じような景色になりつつある事が、なんだか苦しい。


 ロビーには、このホテルを経営している80歳くらいの老夫婦と、その息子夫婦がいた。おじいさんは、ちょっとボケが始まっていて、耳も遠いのか、話し声が異常に大きい。お昼くらいになると、どこからかやってきてロビーでテレビを見ているが、いびきをかきながら寝始めた。おばあさんは働き者で、ジブリのアニメに出てきそうな腰の折れた、しわしわのおばあさんだった。東ヨーロッパ人の10代に見える女の子やインド人の中年の女性に掃除の仕方を指示していた。『ここは掃除機を先にかけてね、終わったらおいしいい昼食を用意してるからね!』と優しい言葉を添えていた。そろそろ良いかと自分の部屋のある3階へ行くと、そのお婆さんが、すでに私の部屋の前に居て、黒人のお掃除婦にまた色々と指示をしていた。
部屋に戻ってパニーニを急いで作った。さっき、黒人の女性が私の靴をちらっと見たのは、雪のなかを歩いた靴でズカズカと掃除をした部屋に入ったからだと思った。パニーニを持って子供達を迎えに表の玄関ではなく1階のスキー靴を脱ぐ乾燥室から外へ出ようとしたら、そこに、またさっきのおばあさんがいて、インド人の女の子にホテルの前の道を掃除するように指示していた。『寒いから暖かくしてやりなさい!』と、やっぱり暖かい言葉を添えていた。ここで働く人たちはどんな気持ちなのだろうか。彼らにはどんな生い立ちがあるのだろうか。『風の旅人』で読んだエチオピアやチベットの人たちのことを考えた。リビアの砂漠で生活する人たち、アメリカ、モロッコ、何かに人生をかけた人たちの旅の文章を読む事で、世界を上から見て、あっちこっち面白く旅をしているように感じた。


 雪道を考えながら歩いた。帽子とネックウォーマーをせずに歩いていたら、首から上がキーンと凍っていくような感じがした。それでもアスファルトを歩くより雪道を歩く方がずっと体が温まる。子供達を迎えに行き、急いでパニーニを食べ、バールであたかいホットチョコレートを飲んだ。そしてまた、子供達をスキースクールに送った。雪に覆われた岩山が間近に迫り反対側には、アダメッロなどのレーティッシュアルペンの 山襞が奥行き深く交互に重なっている姿に圧倒される。雪の上を歩くのが楽しくて、一人で散歩をした。ホテルには帰らずにバールでゆっくり本を読もうとして、バールに入りホットティーを買ったけれど、席がどこも空いていなかった。かろうじて、カップだけおけるスペースがあったので立って飲んだ。飲み終わっても、座って本を読めるところなどなかった。仕方なくバールを出て、近くのお店に入って暇つぶしをした。アルプスの野草のハーブティーを買った。la stella alpina (セイヨウウスユキソウ)のハーブティーもあった。違法ではないのかと思ったが、家庭栽培と記してあった。外へ出て、わざと雪の丘を登ってしばらく散歩した。雪はなんて綺麗なんだろう。場所によってふわふわしてたり、ガラスのようにキラキラ尖ってたり。降る場所によって形の違う雪の写真を撮った。『風の旅人』で見たカンディンスキーの絵を思い出した。皮なめし工場で働いた人の文章にも心を打たれた。実際に体験した人の言葉はすごい。

 ピスタ(ゲレンデ)には、大きなスピーカーから大音量でガンガンと流行りの使い捨ておもちゃのような音楽がかかっている。できる事なら、こういう曲を流すのは、やめて欲しいと私は思ったけれど、曲に合わせて時々小躍りする人もいれば、口ずさむ人もいた。いっそうの事、クラシック音楽だけにして、もう一度、馬で移動する時代は来ないかと想像してみる。人々が、ジムや、ピラティスに行く必要がなくなるかもしれない。紙の雑誌をめくる感覚、そしてそれをリュックに入れて一緒に旅をする感覚。『風の旅人』という雑誌は、ペラペラと読まずに、隅々まで身体で読む雑誌のような感じがする。これが旅でも旅でなくても、この場所で、こうして過ごすこの瞬間を今、身体で楽しみたいと思った。

泊まったホテル (HOTEL Orchidea)

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