樹形図は別に大したことないという話【統語論】
大学で「言語学概論」や「英語学概論」といった授業を受けると、まあまあの確率で姿を現す分野に「(生成文法)統語論」というのがあります。統語論は「単語を組み合わせて句や文を作るときの結びつき方に関する研究」を行う分野で、ざっくり言ってしまうと文構造を専門に扱う研究領域です。
これが存外厄介な分野で、少なくない人が、所見では統語論に苦手意識を持ってたりするんじゃないかと想像します。恐らくその理由の1つが「樹形図(tree diagram)」です。樹形図っていうのは、こういうのです。
いきなり樹形図をドンと出されると、それだけで「うっ……」となる人もいるかもしれません。さながら樹形図恐怖症。
けど、実のところ樹形図それ自体というのは大したことをしている訳じゃないんですよね。正直、高校レベルの英文法や英文解釈をそれなりにやってきた人であれば樹形図の読み書きに相当することを既にできる可能性が高いです。「本当か?」と思ったら、ぜひこの続きも読んでくださいな。
統語論において樹形図を使うのは「文構造を視覚的に分かりやすく示す」ためです。そう、樹形図を使うと文構造をより分かりやすく示せるんですね(適切な場面で使えば、ですけど)。
まずは「文構造」ということからざっくり確認してみましょう。
次のような文を考えてみましょう。
この文はどのような文構造を持っているでしょうか……とか聞いたら「バカにするな」と怒られそうですね。Mary(主語) + sleeps(述語動詞)ですよね。では、主語・述語それぞれを括弧でくくってみましょうか。
我々は(1)の文について、各要素(=Mary, sleeps)の品詞も知っています。これを括弧に付け足して次のように書き表してみましょう。
NPはNoun Phrase (名詞句)、VPはVerb Phrase (動詞句)の略記です。
また、この2つ全体で1つの節を成しているので、全体を囲むかっこを足してみましょう(文はSentenceの頭文字をとってSと表記しています)。
英文解釈において「文構造をとる」って言われたら(細部にバリエーションはあれど)まあ、だいたいこういうことを考えるわけです。
(典型的には、各要素の品詞に加えて、各要素の文中での働き(=文の要素)も書き加えるのが一般的ですかね。SVOCみたいなやつ。今回は書きませんが。)
高校生の頃なんかに、下記のようなメモをノートにとってた人も少なくないんじゃないでしょうか。
さて、先ほど括弧を用いて表記した文構造解析を再掲しておきましょう。
この表記は、
文の構成要素のカタマリをかっこでくくる
各要素に対して、品詞の情報を割り振る
ということをしています。このようにしてできる文構造の表記法を、ラベル付き括弧標示(labeled bracket)と呼んだりします。
さて、ここてようやく本題に戻ることができます。樹形図は文構造を視覚的に分かりやすく示すためのものです。上記のラベル付き括弧標示と同じだけの情報を含んだ樹形図を描くと、以下のようになります。
この樹形図をどう見たらいいか、その要点をざっと書き出すと以下の通りです。
樹形図の1番上の点が、表現全体に対応します(今回は「S(文)」というところ)。ここでは文全体(="Mary sleeps")に対応する部分です。
樹形図の枝分かれは「この要素は枝分かれの先の要素に分解できる」(上から下に辿って読む場合)あるいは「枝分かれ先の要素が結びついて、上の接点の要素ができあがっている」(下から上に辿って読む場合)ということを意味します。今回の図だと「文全体は、名詞句Maryと動詞句sleepsに分解できる」「名詞句Maryと動詞句sleepsを組み合わせることで、文が作られている」ということを表記しています。
樹形図がやっていることは、基本的なこれで全部です。別に大したことはしていません。
確認がてら、別の文の樹形図も見てみましょう(良ければ紙とペンを用意して、一緒に描いてみてください)。
まず、この文は主語名詞句 the girlと述部動詞句saw a boyに分けられます。
この「ザックリ」した文構造に対応する樹形図は以下の通りです。
ここでNPやVPの下にぶら下がっている三角形は「本当はもうちょい内部構造があるけど描くの面倒だから省略してます」という意味です。ここでは名詞句the girlや動詞句saw a boyの内部構造は無視して、ただ「主部-述部」の結びつきだけを表記しているわけです(実際、括弧標示もそういう内容でしたよね)。
さて、先ほどの括弧標示をもう少し精緻化しましょう。主語名詞句the girlは冠詞(より厳密には限定詞)のtheと、名詞のgirlが結びついてできています。また、述部動詞句saw a boyは、動詞sawと(目的語)名詞句a boyからなります。これを括弧標示で表すと以下のようになります。
さて、括弧の数が増えてややこしくなってきました。特に、一番最後、boyの後閉じ括弧が3つ並んでいるところなんて、目がちかちかしてきます。
これに相当する樹形図は次のようになります。
どうでしょうか。これくらいになってくると、括弧標示より樹形図の方が視覚的にすっきりしている気がしないでしょうか?
(もちろん、目的語a boyの内部構造を更に突き詰めて樹形図を精密化することもできます。その結果はぜひご自身の手で描いてみてください。僕は面倒くさいのでここでやめておきますが。)
最後に、もっともっとややこしい例を考えてみましょう。
(3) Many students struggles with tree diagrams.
まずはラベル付き括弧標示を書いてみましょう。途中の過程は省きますが、最終的には、おおむね以下のような括弧標示にたどり着くのではないかと思います。
(途中の「大雑把な」括弧標示は、ぜひご自身の手を動かして書いてみてください)
ここまで括弧が増えると、読む気が失せますね。では、視認性を高めるべく、この括弧標示に対応した樹形図を描いてみましょう。
…..ぜひ、みなさん自身の手で。
(実は、この記事の冒頭で「ドーン」と出した樹形図が答えです。ぜひ、自分自身で樹形図を描いてみた後に、答え合わせとして冒頭に遡ってみてください。)
さて、ここまでで、樹形図が文構造を視覚的に分かりやすく示すためのものだ、ということが分かっていただけたのではないかと思います。また、樹形図は、大学受験生の多くが慣れ親しんできた(であろう)括弧や箱囲みによる文構造表記とほとんど同じような情報を表しているに過ぎない、ということも実感してもらえたのではないかと思います。
樹形図は大したことをしていません。だとしたら、統語論という学問は大学入試予備校で習うことを、ちょっと気取って言い換えているに過ぎないのでしょうか。もちろんそうではありません。
今まで、我々は大した証明もなく「The girl saw a boy.という文は主部(the girl)と述部(saw a boy)に分割できる」と言って文構造を表記してきました。しかし、英文をいくら眺めていても、girlとsawの間に切れ目の線が見えてくるわけではありません。どうして、[the girl saw] [a boy]のような文構造ではダメなのでしょうか。
また、冒頭のMary sleeps.という文の解析においてはMaryを何の断りもなく「名詞句」だとして話を進めてきました。しかし、Maryはただ1語の単語であって、(2つ以上の語が集まってできた)「句」には見えません。したがって、[(S) [(N) Mary] [(V) sleeps]]という括弧標示(とそれに対応する樹形図)を考える方が妥当にも見えます。さて、こうした文においてMaryは語でしょうか、それとも句のステータスを持つのでしょうか。もしMaryが名詞句なのだとしたら、「2語以上の集まり」ではない新しい句の特徴づけが必要になりそうです。
ラベル付き括弧標示も樹形図も、文構造解析をしたその結果をを視覚的に示しているに過ぎません。大事なのは、そもそもどのような文構造解析をするのか、そのような文構造だと言える根拠は何か、ということです。これを、学問的に適切・厳密な形で追求することは、統語論研究において大事なプロセスです。
我々は酸性・アルカリ性のテストを知らずとも、「酸っぱいからこれは酸性」といった大雑把な見立てを立てることはできます。しかし、それは学問的な厳密さを欠いているでしょう。同じことが言語学にも言えるわけです。たとえばリトマス試験紙やBTB溶液が酸性・アルカリ性のテストとして用いられるように、統語論の世界でも、いくつかの文法事項を援用しながら「どこが文構造上のまとまりを成しているのか」をテストします。これを「構成素テスト」と呼びますが、構成素テスト(やそのほかの言語学的手続き)によって文の構造や文法的性質を明らかにしていく分析過程こそが学問的に重要なのであって、その結果をラベル付き括弧標示で表そうが、樹形図で表そうが、それ以外の記法を用いようが、それ自体は非本質的な事柄です。樹形図は別に大したことないというお話でした。
オマケ
統語論に興味が出た方は、以下のような教科書をお勧めします。一部、アヤシイ本も出回ってるので(しかも有名だったりする)、そうした本を鵜呑みにしてトンチンカンな批判を繰り広げてはいけません。
(以下に挙げるのはどれも生成文法という理論的枠組みに依拠した統語論テキストですが、実際にはここに挙げる以外の枠組みに基づく統語論というのはあります。選書の偏りは、単に僕が生成文法ベースの統語論を専門にしていて、それ以外の分野を知らないから紹介できないというだけの話です。)
Carnie, Andrew (2021) Syntax: An generative Introduction. (4th edition)
Radford, Andrew (2016) Analyzing English Sentences. (2nd edition)
渡辺明 (2009) 『生成文法』
(ここで挙げたのはどれも生成文法という理論的枠組みに依拠した統語論テキストですが、実際にはここに挙げる以外の枠組みに基づく統語論というのはあります。選書の偏りは、単に僕が生成文法ベースの統語論を専門にしていて、それ以外の分野を知らないから紹介できないというだけの話です。)
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