「普通」が崩壊。好きがいっぱいのこれからの世界を生き抜く50代オーバーへ贈る言葉

私は、時代の急速な変化を日々感じています。

変化① 進化のスピード

時代が進み発展すれば当たり前に変わっていくものがあります。
1つの変化は、技術の進化のスピードです。
この日本においては新しい技術や考えは享受しやすい環境にあると思います。
驚くスピードで技術革新しているのは誰もが感じていることでしょう。しかも、そのような技術が私たちにも驚くほど簡単に手に入れることができるのです。すぐに実用化され市場に波のように大量に現れるからです。
当たり前過ぎますが、パソコンで世界の人とつがることができる。タイムラグなしに世界の人とゲームができる。誰もが自分の意見を世界に発信できる。書けばキリがありません。そういうことが、名も知られてなくても資金がなくても、私でも、できてしまう時代なのです。
アポロの着陸やケネディ大統領の暗殺という衛星放送に驚き、新聞記事を伝書鳩!!で運んでいた時代を知っている私は何世代も繰り返し生きているような恐ろしい加速を感じます。もちろん素晴らしいことです。便利で楽しく自由な世界を掴もうと思えば誰でも掴むことができるからです。そして若い人ほど、やすやすとその恩恵を掴んでいます。本当に驚くスピードで技術が進んでいます。

変化② 普通の崩壊

もう1つの大きな変化は私たちの考え方です。
確かに日本はいろいろな概念が崩壊していきました。年功序列、終身雇用・大家族、家の跡取り、超高齢化、超少子化、そして普通という概念の崩壊です。
「普通の崩壊」これは日本人が常識知らずになって普通のことも出来なくなっているとの嘆きの意味ではありません。今までの普通と言われていたものを皆が疑っているのです。
高度成長期には「1億総中流」と言われていました。多くの人が中庸を好み、出過ぎず、下過ぎず、中流、普通で満足していたのです。それが「普通」の考えだったわけです。
みんなが好きなものは好き。それを疑いもなく選んでいるつもりだったのでしょう。
「巨人・大鵬・玉子焼き」選択肢が少ないこともあったでしょうが、子どもの好きなものとして、この3つで間違いがなかったのです。どの子もそうだったのです。
それにしても大人も子どもも、全員が同じベクトルで同じ方向を見て普通を認識し普通で満足していたわけです。まさしくそれが、普通だったのです。


現在の情報量は高度成長期と比べて圧倒的に多くなっています。多様化の時代と言われている由縁です。その多様さから私たちは取捨選択でき、自分だけの好きを選べる時代になっています。
大きな本流からたくさん流れに変わり、好きも選べ、以前よりは自分で考えられるようになった今の1人1人には以前からある「普通」や「常識」の概念は合わなくなっていることに気づきだしたのです。

「赤ちゃんが産まれて男の子なら青い服、女の子ならピンクの服を着せる。学校へ行く。皆と仲良くする。進学する。就職する。結婚する。子どもを作る。家を建てる。定年まで勤める。子どもを結婚させる。孫の面倒をみる。葬式あげる。戒名をつける。」

これら一連のライフスタイルは数年前では「普通」のことでした。これらを普通にしていたらしあわせだと思っている人が大多数だったのです。

けれども今の時代はこの普通に疑問が生まれました。
それをやりたい人はすればいい、やりたくない人はやらなくていい。それぞれの考えで選ぶのです。そこにもはや普通はあるのでしょうか?

ここ何年間の大葛藤時代を過ぎ、普通なんてものはない!と時代の流れは大きく舵をきったのです。
けれども多様化の波に乗れている所もあれば乗れていない所もあるのが現状です
渦中の人にとっては未だに葛藤時代でしょう。

ただ理解をしてくれる人は増えています。賛同してくれてる人も増えています。

《結婚するしない問題》
これも当事者は大変な事でしょうが数字的にも結婚しない派が増えており、結婚して1人前を言いたがる上司も壊滅寸前ではないでしょうか。もちろん結婚したい人は結婚していただきたいです。それを遠慮する必要は全くないです。

《子どもを作る作らない問題》
この問題はとてもナイーブで当事者は人からの言葉で傷つけられたと思いがちなのではないでしょうか。そこまで追い詰められている心理を思うとどうやって楽にそれぞれの人がしあわせを感じてもらえるのか考えてしまいます。子どもがいる生活も素晴らしい。いない生活も素晴らしい。と相互に思っていただけたらなぁと感じます。日本における少子化問題や保育園不足問題、ワークママの働き方問題も、もちろん考えていく課題です。けれども始めの大前提の段階でお互いのしあわせを認めることが問題解決の第一歩でしょうか。

そして
《学校に行ってもいいし、行かなくてもいい問題》
これはまだ認知が少ない方かもしれません。けれども一時期の何がなんでも学校にいかなくては!学校に行くのが正義!の大葛藤時代はこちらも過ぎているように思います。インターネットの発達のおかげで学びは学校しか出来ないものではありません。次に出てくるのは友だちができないので子ども時代の大切な時期に心の発達がしにくくなる、など言われますが果たしてそうでしょうか?
私たちは、それ以前の大人たちも大きな嘘をついてきたのではないかと最近感じています。
学校でよく言われてるモットー、正しいと思われることにある

「みんな仲良く」  できますか?
大人のみなさんできますか?みんなと仲良くしなくちゃいけないんだと素直に疑いもなく思っていましたが、実際は誰もが好きな人も嫌いな人もいる。当たり前ですよね。これは子どもたちに大いなるプレッシャーを与えているのではないでしょうか?みんなと仲良くできなくても、生涯において心の友が数人いればとてもしあわせなことではないでしょうか。
「友だち100人できるかな」 いらないよ
友だちが多いことも楽しいことでしょう。でも、それは楽しい形の1つに過ぎないのです。私たちはみんなと仲良くし、たくさんの友だちがいることにキラキラ感を持ち過ぎたのです。この場合もしたい人はすればいいのです。
みんな仲良くできる人はすればいい、友だち100人ほしい人は作ればいい、のです。そこに普遍的な価値観を持ち出すと苦しく感じる人がいるのです。「みんな仲良く」は間違った言葉ではありません。だからやっかいなのです。素直な子どもたちの中には仲良くするために自分の好きを殺したり、自分の考えを殺したりしていた子どもが少なからずいるのです。仲良くできない自分を責める子どももいるのです。仲良くする相手は「みんな」でなくていい。そして最も仲良くする相手は自分自身だと気がつき始めています。

《男の子は青、女の子はピンク問題》
これは一番旬な話題ではないでしょうか。2019年冬のNHKドラマ「特撮ガガガ」は特撮ヒーロー好きの女性の話。会社員の現在、そして幼少期のいろいろな苦い思い出が描かれています。主人公のお母ちゃんから女の子なんだからピンクが好きでしょうと言われるのが苦しい主人公。そんな話がドラマとして話題を呼びました。良質なドラマということもありますが、内容に共感する人が多かったようです。
また、2月28日のピンクシャツデーをご存知ですか?私は今年知りました。カナダ発のいじめ撲滅運動です。カナダの男子生徒がピンクのシャツを着ていくと女みたいだといじめにあいました。そのあとクラス全員が男女ともピンクシャツを着て男でも女でも好きな色を着ていいんだよ!とアピールした実話からできた日です。自分の好きに男女の制限はいらないですね。
ただこの色問題は逆の話も聞きます。ピンクの好きな女の子に何色選んでもいいんだよと迫る(笑)ピンクが好きならピンクでいいじゃないですか。どちらにしても行き過ぎはダメです。

変化しない人

こんな具合に大きく大きくの世の中が変わっている、その真っ只中にいる私たちは時代の流れをまさに体感する日々です。

けれども
けれども
けれども
こんな世の中なのに、逆に恐ろしいほど昔の考えに固執している人がいる事実に驚いています。
自分が旧時代の中で暮らしていくことを選んでもなにも文句はありません。けれどもそれを人に押し付けないでいただきたい。

最近のニュース、高校で先生が生徒の頭髪チェックをして!違反と認定し先生が生徒の頭を丸刈りにしてしまった!!!というもの
これは原始時代の話ではありません。平成30年の話です。間違いなく人権問題です。私たちは上記のようなこんなにも大きな時代の流れの中にいるにも関わらず全く影響を受けない人がいる。しかも教育者。大変嘆かわしいです。

けれどもこういった、比率はあるものでしょう。ビックチャンスにしか思えない現在でも受け入れられない人は存在し続ける。全員が理解するのも不可能で当たり前でしょう。

50代オーバーの私たちの未来へ贈る言葉

私から言えることは、これからの時代はますます加速し変わっていくということです。昔を懐かしんでも逆行はしません。若い方たちは難なく受けとめることでしょう。
私たちの年代は変革の時代が到来してしまったという事実を認識し、受けとめる寛容さを持つことが大切だと思います。決して情報弱者にはならないこと。情報はもはや資産の一部と認識してもいいくらいです。情報がない人はそれだけ資産がないと心得てください。
世の中は変化していますが、決して住みにくくなってはいません。こんなにもドラえもんの道具がある世界があったでしょうか?こんなにも自分の好きが許される時代があったでしょうか。時代の加速についていけなくても、わかることを喜んで受け入れる、住みよい生活に感謝し、情報という資産を活用することが大切だと思います。

そして、私たちも過去の「普通」に囚われなくてもいいのです。
私たち世代だと親の介護・子どものひきこもり・等でしようか?誤解を恐れずに言うならば親を捨ててもいいのです。それくらい普通や常識に縛られなくてもいい時代が来ているのです。

どうか私がしあわせに。あなた1人1人がしあわせに。しあわせを感じられる日々を今も未来も過ごしましょう。