数についてもう一度考える②

おもちゃを作るということ
おもちゃは現物に似せるよりも、心の中の”ほんもの”を描くための余白を残した像でないと面白くない。僕はブラジルに住んでいたころに日本のおもちゃが欲しくてたまらなかったけど、いざ日本に帰ると日本の生活のありがたみを忘れて文句ばかり言ってしまっている。本物の日本よりも、私の日本が独り歩きして輝いていたからだ。お付き合いでは、そういった勝手な偶像の一人歩きは半ば迷惑がられるけれど人は何重にも魔法のかかった現実を生きているし、現実自体も何枚も服を着ているので私はそういった面も肯定しないと人間として生きる上での特権でもあるマジカルリアリズム(ラテンアメリカ民話にみられるフィクションが現実に漏れ出した世界観)を丸ごと楽しめないと思う。偶像が独り歩きしても許されるのが「アイドル」の世界だけれども、それを「現実」と切り離して考える必要があるのかははなはだ疑問だ。僕には気が知れないが、ドラマで悪役を演じた俳優の人間性に懐疑的になったり、アイドルに「愛してる」と言われて本気にしてしまう人々がいるらしい。このような場合に「現実が見えていない」という指摘をよく目にするが、彼らに見えているのは「恋人をひどいやり方で捨てたアイツ」だし「はじけるような笑顔で好きだと言ってくれたあの子」だ。場が場とは言え、俳優もひどい衝動を抱いて、ひどい顔をしていて、相手を本当に憎んでいたかもしれないし、言葉を吐いていたアイドルもライブに来て活動を支えてくれるファンを本当に大切に愛おしく思っているかもしれない。だからこそ、「あんな演技が自然にできるのは人間性の底が知れる」とか「重ねた時間は少なくても僕を本当に思っていた!!」とか考えてしまうのもうなずける。そこで冷静になるために世の中心にはびこるとされている「快楽的推論」を用いて「時間をかけて付き合っていないしわからないな」とか「自分が市場で美味しそうだとされる異性ではないな」となだめて「現実」という根拠のない天井を作って地を這う現存在(日常的に配慮されるすべて≒永続的な私;ハイデガー「存在と時間」)を展開していく明日を選ぶのである。
私は人と付き合うときに相手を攻略するというよりも「溶け合う」という感覚を大事にしている。時に相手を否定する壁となって、相手にそれを打ち砕かせるし、相手にもそれを望む。天井に壁を作るのではなく、適宜壁を作って壊していく。これが理想と現実を近づける手段だと思うからだ。しかし、単に悪ふざけを楽しむための少しオーバーな演出にもリアリティを持たせてしまって失敗することもよくある。


マジカルリアリズム 「想像の世界」「現実の世界」の区別は近代の産物か
さて、数はいったいどこにあるんだろう?現実と想像がぶつかるところ?おそらくそんなに単純ではない。私たちが世界をとらえる方法や階層は何十通りもあってそのうち現存在に影をもたらす程度の違いあるかもしれないが数はおそらくどの改装でとらえられるかによって全く違うものとしてとらえられる。これが一概に「私は数や数学が苦手だ」とは言い切れない所以だと思う。今はやりの生理心理学的なアプローチでは周波数が整数比である脳波の同調が計算とかかわりがあったり、特定の周波数の脳波が数認知に深いかかわりを持っていたりすることが示されているし、行動心理学や認知心理学のほうからも赤ん坊の数認知やニューロダイバーシティ(神経系多様性)による様々な数認知、数感(概算や個数把握能力)と教育年数や方法の関連性、鳥類や霊長類、魚類の数把握能力や計算能力についても調べられている。

私たちもほかの動物と同じように数という目印を使わずに計測したり、数えたりする。私は88件の鍵盤をいちいち数えてピアノを弾いたりなんかしない。空間が幾何学的なパターンで現れて、そのイメージでダンスをするように弾いている。はじめは指のほうの精度が悪かったので鍵盤を見て練習していたし、視覚でとらえて鍵盤を弾いていたけれど今では高い音を心で叫ぶと耳から生えた右手が滑らかに心に描いた場所と同じところまで行って鍵盤を鳴らしてくれる。もうそういう時は「外界」や「内界」の区別はなくて心に起こることと体に起こることがピタッとあっている。はじめは驚いたし少し怖かったけど「あたりまえ」ってこういうことなのかもしれない。それに、しっかり見て正確にきれいに弾こうとするよりも、そっちのほうが断然きれいで豊かな音色が鳴る。楽譜を思い浮かべて色付けしていく感じじゃなくて絵具をまき散らしたら勝手に絵が描ける感じ。もうこの状態に入ったらほかのことはやりたくなくなるのでちょっと、いやかなり困る。

地球温暖化の予測データとか、天気予報の降水確率とか、株価とかを見ていると、数は私たちの内部にではなく外にあるものを直観ではなく厳密に表すものであると錯覚してしまうが、本当に私たちの外部にあるのは天体の活動とか、身体的な欲求や欲望、大気や海水の動きのほうでこれらはどうしようもないから、何とか手元にあるものでどうにかしよう、慣れ親しんだものをこねて本物には劣るけれど想像で補える可能性を持ったおもちゃを作ろうと、model(規範、模型)figure(数字、模型)に置き換えて考えている。でも500㎞の宇宙怪獣が5㎝の模型になった時の細部の再現度はぐんと下がってしまうから、いろいろな工夫が必要になってくる。



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