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著作権を主張する=心が狭い?【心に根を張る言葉たち #1】

先月明らかになった、漫画のドラマ化を巡る問題。
1人の漫画家さんの命が失われるという、大変痛ましい結果になってしまいました。
多くの人が心を痛めるとともに、「著作権」という言葉に触れるキッカケにもなったのではないでしょうか?

「著作権」とは、「著作物」を創作した者(「著作者」)に与えられる、自分が創作した著作物を無断でコピーされたり、インターネットで利用されない権利です。他人がその著作物を利用したいといってきたときは、権利が制限されているいくつかの場合を除き、条件をつけて利用を許可したり、利用を拒否したりできます。

公益社団法人著作権情報センターHPより

著作権って関係する条文がいっぱいあって難しいんですけど、でもそんな難しい話は置いといて、シンプルに

人の作品を好き勝手使っちゃダメ。



って、当たり前のことですよね?
たぶん一人一人、個人としては分かっていても、業界内の常識…みたいなフィルターを通してしまうと、その当たり前が霞んでしまうのかな。

…と、そんなことを考えているときに、ふと、私の心の中に、ある出来事の記憶が蘇りました。
小学生の頃、担任の先生に言われた、ある言葉に関する記憶です。



それは、私が小学校3年生か4年生のとき。
事の発端は、図工の時間だった。

その日は絵を描く授業で、お題は
『あなたの考えた、空想の生き物を描きましょう』
というもの。

みんな思い思いに、頭の中の生き物を描いていく。
私は悩んだ末、『虹色の羽を持つ鳥』を描くことに。

まずはマジックで線描き。羽を鱗状に描いて、その一枚一枚に、異なる色を絵の具で塗っていく。
とにかく色とりどりの羽にしたくて、たくさん色を混ぜて、丁寧に丁寧に塗る作業をひたすら繰り返す。
細かすぎたのでめちゃくちゃ時間がかかり、授業中に終わらず、放課後に残って続きを塗り、なんとか完成。

「稜子ちゃんの描いた鳥、すごい綺麗!」
「めっちゃいいね!」

苦労した甲斐あって、自分でも満足いく仕上がりになったし、友達からも大好評。
教室の後ろの壁に貼られた自分の絵が、ものすごく誇らしく感じられたのだった。

ところで、私が小学生だった当時、女子たちの間では交換日記が大流行。
私たちのクラスでも、大多数の女子が参加する交換日記が行われていた。

図工で描いた絵が、教室に貼り出されてから数日後。
私の交換日記の順番が回ってきた。
ノートを受け取り、ページを開いた私の目に、予想もしなかったものが飛び込んできた。

「え?これって…」

そのページを書いたのは、Aちゃんという女の子。
Aちゃんは、『私の作ったキャラクター♡』と題して、ある鳥の絵を描いていた。
名前は『チャッピー』。『カラフルな羽で、みんなに魔法をかけるよ☆』という紹介文つき。


そう。
その『チャッピー』は、私が図工の授業で描いた『虹色の羽を持つ鳥』そっくりだった。


あ、パクられた。

直感で、そう思った。

私はだいぶ気の弱い女子だったので、すぐAちゃんに抗議することはできなかったのだけど、心の中にモヤモヤしたものが広がって、とても嫌な気持ちになったのを今でも覚えている。

私が図工で描いた絵と似ている。
そう思ったのは私だけではなかったようで、しばらくすると他の女の子たちも噂し始めた。

「ねぇ、Aちゃんが描いてた絵、稜子ちゃんの描いた鳥に似てない?」
「てか、パクってるよね」
「稜子ちゃん、Aちゃんにちゃんと言った方がいいよ」

他の子たちにそう言われ、私は思い切ってAちゃんに抗議することにした。

正直、その後の展開をあんまり覚えていないのだけど、なぜか事態はすんなり収まらなかった。
そして放課後。
私とAちゃんと、担任の先生を交えて話し合う場が設けられた。

先生と、Aちゃんと、自分しかいない、シーンとした教室。
結構気まずい空気だったと思うけど、私には絶対的な自信があった。

だって、私の絵を勝手に使ったAちゃんが悪いに決まってる。
私だけじゃなくて、他の友達もみんな、あれはパクリだと言ってるんだから。

最初はパクリ疑惑を否定していたAちゃんだったが、さすがに言い逃れできないと思ったのか、最終的には「つい真似してしまった」と認めてくれた。

私はホッとした。
きっと先生が、Aちゃんに「それは良くないことだよ」と注意してくれるだろう。
そしてAちゃんも、いけないことをしたと謝ってくれるだろう。
そう、期待していた。

しかしその直後、担任の先生から発せられた言葉は、全く予期せぬ言葉だった。
先生は私に向かってこう言ったのだった。


「そんなに怒ることじゃないんじゃない?」


――――……。

予期せぬ言葉に驚き固まっている私に、なおも先生はこう続けた。

「人に真似されるくらい、自分の作品が素敵だったんだって、そう思えばいいんじゃないの?」



もしかしたら先生は、私を慰めるためにそう言ったのかもしれません。
でもそのときの私には、

「そんなことで怒るなんて心が狭い」

と言われているように感じられたのです。

私が一生懸命描いた絵を黙って真似されて、
自分の作ったキャラクターだと言われて、
勝手に名前も付けられて、
それで怒っちゃダメなの?

私が描いた絵が素敵だったから真似してくれたんだ!って、
そう思えない私がおかしいの?

『作者』としての私の声は、

「そんなに怒ることじゃないんじゃない?」


という、先生のたった一言で封じられてしまいました。

私はまた、反応の仕方を間違えてしまったんだ……。
と、虚しくやるせない気持ちになりました。

ちなみに著作権というのは、学校で生徒が作った作品にも認められています。

児童、生徒の作品にも著作権はあります。(中略)著作物であるためには、表現に創作者の創意工夫があればよく、その作品に芸術的、学術的又は経済的な価値があるかどうかは問われません。

公益社団法人著作権情報センターHPより

もちろん、冒頭で書いたプロの漫画家さんの作品と、小学生の図工の絵を同等で語るつもりはありません。

だけど、小学生の私でさえ、作品を好き勝手に扱われたことに不満の気持ちを抱き、20年以上経った今でも覚えているんです。

文字通り、人生をかけて作った作品をぞんざいに扱われた先生のお気持ちを思うと、心が苦しくなります。

作品は、作者のもの。
他人が好き勝手に扱っていいものではない。

それは、おそらくみんな分かってるはずです。
ましてや作者が意見することについて、ワガママだとか言われていいはずがありません。

どうか、その当たり前が当たり前のままで、作者の心が大切にされる世の中になってほしい。
今回お亡くなりになった作者様のご冥福をお祈りするとともに、心からそう願っています。

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