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無知の知と一隅を照らす

この頃は「善悪」について考えることが多い。世の中が混沌としているせいだろうか。ともかくそれで、ひとつ答えらしきものに辿りついた。そのメモ書きです。

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善とはなにか。
それは「理解しようとする意志」だと思う。

より世界を知ることは、より善いことだ。

とはいえ人間は世界のすべてを知ることはできない。未知の「闇」は常につきまとう。その「闇」はキリスト教でいう「原罪」と関係があるかもしれない。

人間は知らずに犯す罪からは逃れられないのだ。

しかし、ソクラテスが「無知の知」といったように「闇」に目を向けることはできる。そしてその「闇」を照らし明らかにしていくのが「理解しようとする意志」つまり「善」のはたらきだ。

もちろん、それでもなお人間が知れるのは世界のごく一部だけ。だから、逃れられない「原罪」という考えが必要なのではないだろうか。

同時にここから「ともに働くこと」の意味がみえてくる。

ひとりの「善」が照らせるのはごく一部でも、みんなで持ちよれば、だれかの「闇」をだれかが照らし、やがて世界のすべてを照らすことができるかもしれない。最澄の「一隅を照らす」の真意はそこにあるのではないか。

無知を知り、一隅を照らしたい。

画像はパリのオランジュリー美術館にあるモネの睡蓮の部分

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