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日本独自の「人格の完成」by井上哲次郎


「人格の完成」について

日本語「人格」は「パーソナリティー」のこと

日本語「人格」とは「パーソナリティ」の翻訳語でした。

「人格」といふ言葉は、比較的後でした。初め『哲学字彙』を作る頃には、まだ正確な訳語が無かつた。中島力造が、「パーソナリティー」を何と言つたらよからうと、私に言つた。この時、私の頭に、人間の品位品格といふことが頭に浮かんだので、「人格」がよからうと答へ、それを講義や著書にも使つたので、今や、日本の辞書から除くことの出来ない言葉となり、法津の方でも使ふやうになつた。

井上哲次郎
精神科学の訳語(明治事物起源 第七学術)

井上哲次郎の「人格の完成」とは

井上鉄次郎は、教育(能力開発”Education”の翻訳語)の目的を人格者=人格を完成した聖人 仏陀、キリスト、ソクラテスになることとしました。

「教育について一言すれば、教育の目的は道徳的人格者をつくるにあるけれども、それはけっして国家的民族的要求と無関係のものではない。人格実現はその特殊なる国家的民族的関係を離れてなし得られるものではない。やはり特殊なる境遇に適応したる実現の方法を採らなければならぬ。それであるから道徳的人格者をつくるにあるといっても、けっして個人主義的の意義ではない。やはり国家的民族的の関係を有するもの、広くいえば、社会的関係を有するものでなければならないのである」

教育は人格を陶冶《とうや》する方法であるが、人格を陶冶するにはその被教育者の投ぜられたる特殊の境遇事情に適応することを必要とするのである。それゆえにわが国の子弟を教育するにただちにわが国と境遇事情を異にする欧米の方法をもってすべきではない。わが国においてはどこまでも伝統的の日本精神をもって指導原理として教育を施さねばならぬ。ただし欧米の方法は慎重に取捨してこれをおのれに資することを期すべきである。」

人格者は極めて稀なる場合であるけれどもほとんどそれを完全に実現して絶対無限の意識状態に到達したのである。それは孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、そういう後世に模範を垂れた古今の聖人である。聖人といえどもその人格が絶対的に完全なりや否や、なお研究の余地があるようである。けれども、比較的によく道を体現し、人格を完成したものとして、長く後世に模範を垂れたものというべきである。この観点からいえば、孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、みな人格修養上最好の実例として仰慕すべきところである。」

明治哲学界の回顧 04 結論——自分の立場/井上 哲次郎 - 2

大正期の人格の陶冶(教養とも ”bildung”の翻訳語)の流行

カントのPersönlichkeit(ペルゼンリッヒカイト)の翻訳がパーソナリティであり、それは人間の完全性の元となるこころのことでした。ペルゼンリッヒカイトの”bildung”(ビルドゥング 自分自身を神の像につくる)が人格の陶冶、人格の完成としてドイツから輸入されました。

「人格の陶冶」と「人格の完成」

 大正期の日本において、このカントのペルゼンリッヒカイトの形成を論じたドイツの教育学言説――リンデ(Linde, Ernst)、ブッデ(Budde, Gerhart)などが1900年代から1910年代にかけて展開した――「ペルゼンリッヒカイトスペダゴギーク」(Persönlichkeitspädagogik)が「人格的教育学」と訳され、いくつかの教育雑誌を通じて紹介された。この「人格的教育学」がめざしたことが、「ペルゼンリッヒカイトスビルドゥング」(Persönlichkeitsbildung)である。たとえば、教育学者の中島半次郎は、1914年に著書『人格的教育学の思潮』において、この「人格的教育学」を紹介し、この「ペルゼンリッヒカイトスビルドゥング」を「人格の陶冶」と訳している。教育学者の篠原助市も、1918年に論文「最近の教育理想」のなかで、この「人格的教育学」を紹介し、「ペルゼンリッヒカイトスビルドゥング」を「人格の陶冶」と訳している(田中 2005)。

1933年にデューイ(Dewey, John)の『民主主義と教育』が、帆足理一郎によって『教育哲学概論――民本主義と教育』という表題で、はじめて翻訳出版された。同書では、「人格の完成」という言葉が2回用いられているが、どちらも、原語がcomplete development of personalityである(CWD, mw 9, DE: 118, 128)。デューイがそこで言及した「人格の完成」も、当時のドイツ教育学で語られた「人格の陶冶」だろう。デューイはそこで、「文化(culture[これはBildung(陶冶)のことである])は、人格的(personal)である。‥‥文化と呼ばれようと、人格の完全展開と呼ばれようと、それがもたらすものは、一人ひとりの個人に内在する特異性(what is unique)‥‥が顧慮されているかぎり、真に社会的に有為な能力にひとしい」と述べている(CWD, mw 9, DE: 128)。この「人格の完全展開」は、「〈内的〉人格の完全化」(perfecting an “inner” personality)とも言い換えられている(CWD, mw 9, DE: 129)。

https://ippjapan.org/archives/2675

人格を完成させるためには読書するという教養主義になりました。


教育基本法と「人格の完成」

教育基本法に「人格の完成」はクリスチャンの文部大臣田中耕太郎が原案を作らせた実現不可能な宗教願望でした。

大前委員 実を言いますと、この人格の完成という文言は、現行法の案文策定当時の文部大臣田中耕太郎氏の強い指示によって決定したと言われております。当初の案では、人間性の開発を目指し、となっていたそうでございます。田中文部大臣は熱心なクリスチャンであったそうでございますけれども、自己の信念に基づき、限りなく宗教的概念に近い人格の完成という文言に固執をしたと言われているのでございます。

 このことは、田中文部大臣自身が執筆された著書「教育基本法の理論」の中でもはっきりと述べられているそうでございます。

 私は読んだわけではございませんので、上杉先生の論文から孫引きで恐縮でございますけれども、引用させていただきますと、「人格の完成は、完成された人格の標的なしには考えられない。そして完成された人格は、経験的人間には求め得られない。それは結局超人的世界すなわち宗教に求めるほかは無いのである」と述べておられるわけでございます。

 こういった、いかに文部大臣であったとはいえ、クリスチャンとしての田中氏の信念を再び今回の改正法案に盛り込むのはいかがか


164国会 衆特別委 第4回(5月26日)

田中は,人格を「自然的人間」とは異なる観念であると言う。また,人格は「人間が他の動物と異なって備えている品位ともいうべきもの」だとも言う。更に,人格は「理性と自由の存在を前提とする。それは善悪正不正を識別し,自由意志に よって善や正を選択し,悪や不正を排斥」し,「道徳的に行動する場合において,自由であり, 自主的である」。そして,人格は「自由と自主性を本質とする」ので,従って「責任の概念と離るべかざる関係にある」と述べている。田中は,このように教育の目的としての完成された人格を「全一的な人間」であると述べる。そして,「全一的な人間」は,「経験的な人間に求めることは不可能」であり,結局,「宗教的な世界観に求めるほかはない」と言うのである。田中は,「人格」に関するこのような解釈が,「他の理解を得られるとは思っていない」と言う。確かに,教育基本法に定められた教育の目的が,田中の宗教的な世界観で語られることには違和感を禁じ得ない

戦後教育思想史における田中耕太郎の教育目的論 ──『教育基本法の理論』の考察を中心に──

Kotaro Tanaka’s theory on educational aim in history of educational thought in postwar Japan

Consideration based on the

“Theory of the Fundamental Law of Education”

小坂文科大臣:政府案第一条で言っております人格の完成は、現行法においても教育の目的とされておるわけでございますが、「各個人の備えるあらゆる能力を可能な限り、かつ調和的に発展させることを意味するものである」、このようにされております。このような人格の完成は、教育の目的として普遍的なものであることから、今回の法案においても引き続き規定することとしたものでございます。それでは人格の完成とはどのような人なのか例示してみろ、こう言われたら、これは私は例として申し上げる人はおらないわけでございます。すなわち、人格の完成というのは、私は神のことだと思うのでございますね。ですから、神のような全知全能を備えたものを目指すといっても、これは到底到達できるものではございません。だからこそ目指すのであって、それが実現するということは恐らく一生を通じてなし得ないかもしれない、しかし常にそれを目指せということで、「人格の完成を目指し」と言っているんだと私は思っておるわけでございます。

https://www.tamagawa.jp/graduate/educate/column/detail_19488.html

パーソナリティについて

パーソナリテイは遺伝と学校ではない環境で決まる

パーソナリテイは遺伝4割、環境6割で決定されるとされています。

パーソナリテイ遺伝は4割、環境は6割
Heritability of personality: A meta-analysis of behavior genetic studies.https://psycnet.apa.org/record/2015-20360-001

パーソナリテイの変化は年齢

パーソナリテイの変化は教育ではなく年齢を重ねて起きるとされています。もっとも、もう1説あり高齢になると遺伝の割合がつよくなるというものです。

参考 Education の意味は能力開発


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