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16.そして一人旅が始まる ーイラン編3~本当の地獄の始まり

捕まえたバスに乗ったら、15分位でイスファハンの
メインの場所に着いた。

昨夜の真夜中の長時間のドライブが嘘の様に街にあっけなく着いた。
取り敢えず最初の目的地だったホテルにチェックイン。
まずは、石鹸を買いに行って土まみれの体を洗う。

全く寝てないので眠りにつこうとするが、アドレナリンが出過ぎているのか
興奮していて眠れない。

街にでて文房具とノートを買って、
今の心境を紙に書いて気持ちを整理する。

自分でも意外だったけど、今の状態を記録に残そうと
街の写真館に行ってポートレイトを撮ってもらう。
今見てもゾッとするくらい顔つきが怖い。憎しみに満ちている。
(後で分かった事だけど、当時のイランの流行の写真にするために
ネガに加工して鼻筋をスッキリしたりしていたので更に極悪人顔に。)

ひとまず落ち着いたので日本大使館に行って被害届を提出する事に。
当時、日本のビザを取って日本に行きたいイラン人が沢山いたので
大使館は簡単にアクセス出来ない厳重な警備をしていた。
(当時は、上野公園で偽造テレホンカードを売ってるイランからの出稼ぎが急増して話題になっていた時代だった)

大使館の人に被害の話をすると、とても驚いていた。
というのも、そういう被害自体も少ないし
そもそもイランで外国人に危害を加えたりすると、死刑になるみたいで
それを恐れて下手したらその場で殺してしまって、
バレない様にするんだとか。
「命があって良かったですね」と言われ
こんな出来事にあったけど、生きている事に心から感謝した。

大使館の後は、現地の警察に行って被害届を出すのだが
ペルシャ語で全く分からない。
犯罪者の顔写真を見て、「この中に居るか?」と聞かれるが
皆同じ顔に見えてしまい、全然判別出来なかった。

被害届のレポートを貰わなければ
奪われたアメックスのトラベラーズチェック(小切手)が
再発行して貰えないので
途方に暮れていた。
あてどなくイスファハンのイマーム広場の絨毯屋に行ったら
店長のアブドゥは日本に行った事があり少し日本語話せて
困っている自分を見かねて
とても親切にしてくれて、一緒に警察に行って通訳して
助けてくれてお金も一切請求しなかった。
彼のお陰で無事被害届が出せた。

人を信じる事に恐怖を感じてしまっていた僕にとって
本当に有難い優しさだった。

しかし、ここで大問題があって
当時アメリカと敵対しているイランには
アメックスの支店が無く、紛失したトラベラーズチェックを
再発行して貰うには隣のパキスタンに行かないと
出来ない。

日本の4倍近い広いイランを手持ちのUS$200で乗り切って
パキスタンに行かないと、外国で一文無しになってしまう。
なので気合で旅を続けてパキスタンに行って、
トラベラーズチェックを、ちゃんと再発行して貰わないと
旅が続けられるのか?全く安心出来ない。

旅に出て、最初の頃こそ世界遺産など観光地を巡っていたけど
段々、観光地巡りも飽きてきて
現地の市井の人達との関わりに旅の楽しさを見出していた僕にとって
自分に話しかけてくる人全員が「自分を騙そうとしている」という
不信感がぬぐえないのは、本当に辛く
旅は一気につまらなく苦痛になってしまった。

当時、日本に出稼ぎに来てお金を稼いでイランに帰ったイラン人は
イランでビジネス成功して日本に感謝している人が多く
僕が日本人と分かって日本語で話しかけてくる人達は
皆、良い人でご飯を御馳走してくれたり、
バスのチケットを買ってくれたり、と
とても親切にしてくれたが、
心の底から人を信用出来る様になるには
まだまだ時間がかかりそうだったし、
本当に人を信じられる様になるのかも
全く分からなかった。

その時あったイラン人に言われた言葉を今でも覚えている。
「どこの国でも同じ。良い人50% 悪い人50%。
たまたま、その半分の悪い人に会っただけだから
全てのイランの人が悪いと思わないで欲しい。」と。

今になって思うけど、
そういう悪い人を引き付ける自分にも
隙だったり落ち度があったのだと思う。








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