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1回目の別居で考えたこと①

生活力の無かった私が頼った実家は、ここの初回の記事に書いた通り、毒親である実母が仕切る環境。
父も姉も、そして母も温かく迎え入れてはくれましたが

「あー、我が家ってこうだったな。。。」

という、小さな緊張が毎日続く生活がスタートしました。
とにかく、両親の仲が最悪で、家庭内別居とでも言うのか…
まったく会話が無いのです。
要件は手書きの小さなメモ、またはメールで。
父が廊下を歩いている気配がすると、母はその気配が消えるまで待機。逆も然り。
姉は母とは話すけど、父とはほとんど話さない。
姉と母の仲も、良い訳ではない。
ケンカのようになると、1~2週間は口をきかない。
この3人はイライラすると、物に当たったり、激しくドアを閉める音が家全体に響いたり、短い絶叫が一瞬聞こえたりする。

いつからこんな家庭になったんだったかな?
両親の仲は、物心ついた頃から、ずーっと悪かった。
全員が不機嫌。私は一番幼い者として、おちゃらけたり気を引くようなことをして、家族が笑ってくれないかな?と無意識に腐心してきました。
でももう、いいや。今や全員、立派な大人。
居候中は、家族の機嫌を取るのをやめました。
しかし、見ないフリを無理にするにも努力が必要だったので、何かに気を逸らすために…資格試験の勉強を始めました。
決意した日が、その資格試験のちょうど5か月前だったので、集中して勉強すれば資格が得られて、離婚しても大丈夫かな?なんてことを薄っすら考えつつ。
ベストな選択に思えました。
何かを得ておけば、この先は大丈夫だろうと。
んー、そこまで大丈夫ではないかも知れないけれど、今よりはマシだろう、安心できるだろうと。

実の家族のつくり出す雰囲気の険悪さにストレスを溜めながら、私は何故あんなに優しい夫から離れてしまったんだろう、やっぱりあんな素晴らしい人は二人と居ない…と思い始めました。
逃げなのか、何なのか。
夫と2人で一緒に旅行した景色を毎日毎日、思い浮かべていました。

転機になったのは、夫の妹の結婚式でした。

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