世界の解釈は気分が決める


中指を立てる人
 通りすがりの人があなたの目の前で何度も中指を立てたとしよう。あなたはその人物に嫌がらせを受けたと解釈し、嫌な気分になることだろう。ここに哲学的な問題が隠されている。果たしてあなたが嫌になったのはその人の行為を目の当たりにしたからだと本当に言えるのだろうか。つまり、その人の行為は絶対悪なのだろうか。
 では、あなたがトゥレット症の中には自分の意思に反して汚行をしてしまうチックの症例があることを知っていたらどうだろうか。その人の行為における解釈は別のものになる可能性があるのではないだろうか。
 このように無知な人間には絶対悪に解釈される行為も知がある人間にとっては別の視点で解釈される可能性がある。つまり、世界の解釈はあなたが決めているのである。

悪口をいう人
 悪口を言われてもダメージを受ける時と受けない時がある。ダメージを受けるのは、あなた自身が自分を責めている時だけだ。つまり、悪口それ自体はマイナスな感情を生むトリガーにはなるがそれを解釈するのはあなた自身なのである。
 人間の行為というのはその人間が自発的に行なっているように見えて全てが学習したものだ。子供がある子供の悪口を言うのは、親が陰で悪口を言っているのを聞いているからだ。このように人間の行動は、基本的にその人間の置かれた環境に適応した行動なのであり、ほとんど模倣的なのである。こうして考えた時、ある人間の行為における解釈において、その人間の過去をイメージする力となるだろう。

 これは単なる護身術ではない。これらの事例は、人間の行動への理解と自己理解をさらに深めていく必要があることを示唆している。世界平和とはひとりでも構築できる。なぜなら、世界とは我々一人ひとりに存在するものだからである。

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