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鳥山明は僕達の天使だった【追悼】

突然の鳥山明先生の訃報。
別の記事を書いている手を一旦止めて、このnoteを書くことにしました。

本当にびっくりした。
いや、びっくりしたと口では言うけれど、正直、まだ実感がない。

ずっとアンパンマンの世界で生きていくと思っていたやなせたかし氏が亡くなった時も、妖怪だから死なないと思っていた水木しげる氏が亡くなった時も驚いたけれど、彼らの訃報の方が、まだ現実味を持って驚いていたように思う。

彼の訃報に現実味を感じられないのは、私は頭のどこかで、鳥山明先生は「鳥山明という制作会社」だと思っているからだ。
もちろん鳥山明先生がいち漫画家であることなどは当たり前に理解している。けれど、漫画制作からアニメ、アニメ映画の監修、フィギュア制作、キャラクターデザインまで、本当に手広く活動されてさまざまな場所で名前を拝見していたから、感覚としては「ディズニー」「ジブリ」「鳥山明」として受け止めていた。
だから、余計に訃報に驚きを感じてしまう。

「おいくつなのだろう。そういえばずっと昔から活躍されているし、そろそろ良いお年だったのかもしれない」と調べたところ68歳、硬膜下血腫だという。
なんてことだ。あと20年は生きられたじゃないか…と、さらに愕然とした。

97年生まれの私にとって、アラレちゃんはもちろん、ドラゴンボールも「世代」ではない。

生まれた時にはドラゴンボールの連載は終了していたから、フリーザ編やセル編のリアルタイムでの熱狂は知らないし、アニメはケーブルテレビや夕方の再放送枠で放映されているものを飛ばし飛ばしに視聴していた。
でも小学生の時はケーブルテレビで放送されていたアラレちゃんに夢中になっていたっけ。

小学生の時に大好きだった漫画・アニメはたくさんあるけれど、特に、と言われるなら『NARUTO』『銀魂』が好きだった。

『NARUTO』の岸本先生が最も尊敬する漫画家は鳥山明先生で、「たくさん影響を受けている」と本人も仰っている。
『銀魂』の空知先生が幼少期に最も読み込んだ漫画は『ドラゴンボール』と『スラムダンク』。
その後に連載が始まって大好きになった『僕のヒーローアカデミア』も、作者の堀越先生は幼少期に『ドラゴンボール』が好きだった
と公言している。

年月を経て、中学生になった私が夢中になったドラマは『勇者ヨシヒコ』。言うまでもなく、鳥山明先生がキャラデザを担当したドラクエをパロディしたコメディドラマだ。プレイしたことがない私でも、誰に教えられるわけでもなく「マントの人が勇者だな」とか「杖を持っているのが魔法使いだな」とわかるのは、それだけドラクエのキャラクターデザインが一般化しているから。

そんな私がドラゴンボールをちゃんと読もうと思ったのは、たしか中学生の時。2011年〜2014年あたりかな。
「よくパロディされているから元ネタを知りたい」「オタクなら、ドラゴンボールは基礎教養として履修しておかないと思う」などの理由で原作42巻を読破した。
面白かったし、18号やピッコロさんなど好きなキャラもできたけれど、女性の私はドハマりとまではいかなかったというのが、正直なところ。
(これに関しては、多くの男性がディズニーにドハマりしないのと近しい感じだと思う)

しかし、私が好きになった漫画、小説、影響を受けた音楽…そのどれを辿っても、ドラゴンボールにたどり着く。鳥山明先生のイラストを見るたびに、ユニークな形の機械やキャラクターデザインの素晴らしさに「天才だ…」と圧倒される。

クリスチャンでなくとも、アメリカに生まれたら無意識のうちに聖書の影響を受けるのと全く同じように、97年生まれの私たちの世代は「鳥山明の影響を受けた社会」に生まれた。
そしてこれからも、鳥山先生の作品に影響を受けた人が作った作品に影響を受けた人が作った作品に影響を受けて…と、鳥山先生の影響は永遠に紡がれると思う。日本のカルチャー史は「手塚治虫 前/後」に分けられるけれど、同じく「鳥山明 前/後」にも分けられる。これは間違いない。それほどの方が逝去された。

最後に、私がドラゴンボールの曲で特に好きなのは「ロマンティックあげるよ」と「僕達は天使だった」だ。

その中にこんな歌詞がある。

空の上から愛の種を撒き散らして
この地球から悲しみ 消したかった

背中の羽根はなくしたけれど
まだ不思議な力残ってる


鳥山先生は背中の羽根をなくした代わりに羽根ペンを持ち、不思議な力のこもった作品を生み出し、今でも空の上から地球に向かって愛の種を撒き散らしてくれているのだと思う。

ご冥福をお祈りします。

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