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映画すみっコぐらしに、ひとつまみでも悪意があれば私はこんなに泣かなかった

みなさん映画すみっコぐらしを観ましたか?

私はあまり映画で号泣しないタイプなのですが、この作品ではハンカチグショグショになるまで泣き、その後朝起きては「ひよこ……」とため息をつき、感想をエゴサして涙を浮かべるような日々が一週間続きました。
誇張ではなく。

で、感想をTwitterに上げたら炎上しました

公開当時、私はこの映画について勢いのまま箇条書きの感想を投稿しました(現在削除済み)
それがなかなかバズったのですが、その中で「JOKERの方がマシ」という一文が取り沙汰されてプチ炎上みたいな事になってしまいまして。(ニノの結婚と並んで「JOKERの方」がトレンド入りしてると友達に連絡を受けてびびり散らかしました)

釈明をさせていただきたいのは、私は別にJOKERとすみっコを内容で比べたのではなく、私の精神的な引きずり方で比べて、その結果「あんなに鬱だ引きずると噂されていたJOKERも観たけど、それよりすみっコぐらしの方が私は引きずった」という意味で「JOKERの方がマシ。一週間は引きずる」と呟きました。

言葉足らずなのもあり「JOKERよりすみっコの方が優れてる」とか「すみっコの方が鬱映画だと言ってる」みたいな曲解もされてましたが、そういう事ではありません。

他作品と比べるなという意見もありましたが、こちらの意図としては作品自体は比べておらず、私の精神状態の単なる事実を述べただけのつもりでした。

どっちが良いとか悪いとかではなく、ただ引きずったのはすみっコで、直近に観た映画のJOKERが奇しくも「引きずる映画」として名を馳せていたので、それより引きずった事に我ながら驚いて衝動的に比較して呟いたものでした。
まさかあんな壁打ち感想が拡散された上に構文化するなんて、相変わらず何がバズるかわかりませんね。

ちなみに「すみっコぐらしの感想上げたら炎上した」と友達に話した所、彼女らは爆笑しながら私のLINE登録名を「爆心地」に変更しました。  

そんな微妙に苦い思い出もある映画すみっコぐらしがアマプラに入りました。ちなみにこの映画、1時間くらいしかなかったんですね。アマプラで検索して初めて気付きました。

Blu-rayはこちらから
再び観たところ、結末を知ってるため冒頭開始1分で涙が出ました。

なので、『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』の感想、及び考察を改めて記したいと思い今回noteを書きました。


まずは核心的なネタバレは無しの感想から。
とはいえ個人的に良いな!と思った作画や演出について触れるので本当に一切のネタバレが嫌な方はここで戻ってください。↓



泣ける泣けると噂のこの映画ですが、涙の種類としては

絵本を読んで愛おしさと切なさで泣く

感じの涙です。なので物凄いどんでん返しとか、衝撃的な関係とか、そういうのは期待しないようにしてください。絵本を読む気持ちで観るのがちょうど良いと思います。

さて、当時Twitterでこの映画は「泣ける」と大いに話題になっていたため、私もそのウェーブに乗る感じで観に行きました。
私はすみっコぐらしがサンリオだという事もキャラクター設定も何も知らず行きましたが、最初にキャラ設定を全て解説してくれるので、全く知らなくても大丈夫でした。
けれど知ってたら深みはより出ますので、予習がしたい方は『すみっコぐらし そらいろの毎日』を読んでおくのが良いと聞きました。

最初の方は普通に観てました。ずっとぽよぽよ動いてて可愛いなあと。恐らく3DCGで描かれているのでしょうが、キャラクターたちの形が単調なため3DCGアニメにありがちな違和感は一切ありませんでした。

地下室で世界の名作を集めた絵本を見つけたすみっコたちはその中に入ってしまうのですが、アニメーションのタッチがとても素敵で、絵本の中に入ってからは背景が水彩っぽくなるんですね。
しかも作品ごとに背景のタッチも異なっているのがすごく細かいこだわりですよね。赤ずきんは切り絵風、桃太郎は筆絵風、マッチ売りの少女はパステル風などなど。

優しく差し込まれるナレーションによるボケやツッコミもとても微笑ましく、過激な作品ばかり観ている心が洗われます。
画面の端でタピオカたちやほこりがEXILEしてたり、踊ってたり、ツッコミ不在の細かいネタも面白いですね。

そして緩急の付け方がまた上手いんですよね。ふと止まったかと思えば大きく動いたり、ゆっくりしたかと思えばスピーディーでダイナミックな画面になったり。
この作品は作品の性質上アングルが大きく動くことは珍しいのですが、ふとした時、例えばレストランでタピオカが行進するシーンやアラビアンナイトでひよこ?が噴水から出てくるシーンなど、いきなり妙に迫力のあるダイナミックなカメラワークになる事に、この映画はアニメーションのプロたちが大真面目に作ったものだということが伝わります。

また演出のひとつとして、トンカツやエビフライのしっぽが動く時にサクサク音がするのがとても好きです。細かい一つ一つを蔑ろにせず、しっかりと拘って作られているのが今作の魅力を引き出しているのだと思います。

さて、そんな感じですみっコたちが絵本の世界に戸惑っていると、ひょっこりとグレーのひよこのような生き物が出てきます。ひよこ?はどこから来たのかも、自分が何の物語の登場人物かも知りません

そこで、自分探しをしているぺんぎん?が仲間意識を持って、一緒に探してあげようと言い出しました。ここから話が動き始めるのです。

以下ネタバレ感想&考察






みにくいアヒルの子かと思いきや違った時、ひよこをスルーする白鳥、ぽつんと1人取り残されるひよこにめちゃくちゃ胸が抉られました。
こんな愛らしい子にそんな辛さを与えて許されると思ってるのか映画スタッフ!!!と叫びたくなるくらい、ひよこが可哀想でたまらなくなりました。  

その後みんながひよこを仲間にしようと決めた時、ひよこはみんなの真ん中にいるんですよね。そして円状にみんながそれを取り囲んでいる。
つまりその場において、「すみっこ」の生きものは誰もいないんです。  

本の世界から出れないことに気づいた時、積み上げた塔がぐらつき、ひよこは咄嗟に木の枝で倒れるのを防ぎます。しかし小さなひよこには塔は重すぎる、そう長くは保ってられません。
それと同時に、ゲートが狭まっていきます。

ここで、ひよこが木の枝を離せば塔は崩れ、積み上げている間にゲートは閉じる事でしょう。そうすればひよこはまたみんなと一緒にいることができます。  

絵本の世界のゲートが開いたのは、ひよこが一人ぼっちの寂しさに耐えられなかったためです。
映画の冒頭にひよこが落とした涙からゲートが開いたシーンがあります。つまり、ひよこの不安や寂しさといった感情、あるいは涙とゲートは連動している様子が伺えます。
ひよこが二度寂しい思いをしない、つまり涙を流さないということは、二度とあのゲートが開く事は無いのです。

現実世界に戻れなくてもすみっコ達はなんとかなってしまいます。実は前半の物語パートで、すみっコたちは絵本の世界でそれぞれ幸せになれると描かれていました。
寒さに弱いしろくまは南国で過ごせる、にせつむりはパリピできる、とかげ?は捕えられる心配がないので存分に海で泳げる、とんかつたちは食べてくれる(かもしれない)狼を見つける、などなど
なので、ひよこがわざと塔を壊してみんなといる道を選んでも、言い訳が立ってしまうのです。
自分の力では塔を支えられなかった、でもみんなはここで幸せに暮らしている、と。  

それでもひよこは涙を流しながらも塔を支え続けます。
ひよこがみんなのことを思い出しながら溢した涙は、自分が再びひとりぼっちになる事なんていとわずにただみんなのために、帰る道を広げるんですよ。

やめろ、そんな辛い優しさがあるか。

みんなが元の世界に帰っていく時、花が散っていく演出が辛すぎる。酷すぎる。
向こうの世界に帰ったら、きっともう本の中へは戻れない、それは今生の別れであり、あの世界においては死とほぼ同じです。その死を、散る花びらで描いているのではないでしょうか。

現実世界に戻ったすみっコ達は、自分たちを模したひよこを本の中に描きます。それにより、ひよこはもうひとりぼっちではなくなりました。
すみっコの分身であるひよこ達は、エンディングでペンギン?が涙を流してひよこに抱きついている事から、本体の記憶を持っていると考えられます。そしてひよこは彼らとずっと本の中で幸せに暮らしました。

でもね、それは分身であって、本体ではないんですよ。

これが本当に、物凄く心に来ました。しんどいという意味で。
エンディングのやさしい歌声に合わせて変わる絵で再開を喜び合う姿を見て、幸せそうなひよこがそこにいて嬉しい、けれど本体ではないという切なさと悲しさ、もう感情ぐちゃぐちゃです。

ひよこは絵本の中で分身たちや物語の登場人物たちとこれからも過ごすので、決してひとりぼっちにはなりません。
ラストシーンですみっコたちがひよこの周りに自分たちに似せたキャラを描いたことで、ひよこはもう二度と寂しい思いをせず、涙を流す事はありません。実際に、エンディングのひよこは1度も涙の描写がされていません。

先程、ひよこの涙や負の感情とゲートは連動していると書きましたが、ひよこ?が寂しい思いをしないという事は、ゲートが開かないということ。つまり、もう一緒に旅をしたすみっコ達本体に会うことは出来ないのです。

同様に、すみっコたちが動いて喋るひよこ?に会うことももう出来ません。こちらの世界でのひよこ?は、動かず喋らない落書きなのですから。

その事実がものすごく苦しかった。  

先程ひよこが寂しい思いをすればゲートが開くと書きましたが、もしそれにすみっコの誰かが気づいていたら。そしてこう考えたら。

「ひよこが寂しくなれば、またすみっコ達はひよこに会える」と

実は、ひよこの物語を本の中に作らない事で、あちらの世界とこちらの世界を繋げておくという裏技があるのです。

でも、そんな事をすみっコらが実行することはありません。思いつきもしないでしょう。なぜなら彼らは優しいから。

すみっコぐらしの世界に、すみっコたちに、ほんのひとつまみ程の悪意があれば、この物語は安易にハッピーエンドを迎える事が出来たのです。

けれどそうはならなかった。

エンディングでは対になる画面の隅に、絵本の中の世界のひよこ?たち、こっちの世界のすみっコたちがそれぞれ寝ているのが描かれます。

同じポーズで寝ながらも、決してそれが重なることは無い、違う世界線なんだと感じてしまい切なさが押し寄せて来ました。けれど同時に、あっちとこっちでも関係性は変わる事ないのです。

確かにひよこはハッピーエンドを迎えました。すみっコたちも本を開けばひよこを見る事はできます。

けれどすみっコたちとひよこの間に、永遠に取り除けない隔たりができてしまっているという事実が。
誰も悪くない優しい世界で、悪意が無かったからこそ生まれてしまったこんなに切ない別れが。

あんなぽよぽよと丸くて簡素な線で描かれた可愛くて切ない設定背負ってる愛らしい生き物に訪れたショックが私の心に一週間毎朝寝起きに「ひよこ……………」と呟くほどの爪痕を残しました。

さて、この映画のキャッチコピーは「君もすみっこ?」でした。
まるでひよこが私たちにそう訊ねているように。

その意味は作品を見る事で分かります。
「きみもすみっコ?」
という質問の意図は「ひよこも(本の)隅っこ」という事だと映画を観終わって気づくのです。
また、作中における「すみっコにおいで」というすみっコたちのセリフに対してのアンサーでもあります。
つまり、このキャッチコピーの質問に続く言葉はきっとこうでしょう。

「ひよこ?もすみっコ。ずっとすみっコたちの仲間だよ」

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