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”悲しみ”の成仏

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https://note.mu/mougi/m/me73b5c27c34b

愛しき友が十万億土に旅立ったことは、葬儀告別式が一通り済んだ後同級生たちに連絡をした。
私と美和子でそれぞれ連絡のつく人たちに片っ端から伝えたので、一通り伝わっただろう。
しかし、もう一人どうしても伝えたい人がいた。

お世話になった恩師である。

中学1年生の時、私、暁子、美和子は同じクラスだった。その時の担任だった先生にはどうしても伝えたかった。
しかし、卒業してから20ウン年、LINEはおろかメールアドレスさえ分からない。
幸いにして私達の通った学校は私学だった為、教師の異動も無かったので学校に手紙を送ることにした。

アナログな手紙を書くのはかなり久しぶりだったので、まずスマホで下書きをして文章を練り、駅前の文具屋でレターセットを買った。可愛すぎず派手すぎず、かといって真っ白というのもなんだかアレだったので、そこそこの柄の入ったものを選んだ。
そして清書。文章作成はキーボードで打ち込むかスマホでちまちま打つかが殆どだったので、本当に緊張した。

どうにか書き上げ、封をして投函。ちゃんと先生の手に渡るだろうか。もちろん、差出人名に自分の名前を書いたし、名前の横には「平成○年○月卒業」と書き添えたので、怪しい女からの手紙とは思われないだろう。

暁子が旅立った日付、これまでの闘病の経緯、葬儀の様子や自分の感じた気持ちなど、伝えたいことは一通り書いたので、そのうち葉書か何かで何らかの返事をよこしてくれるだろうと思っていた。そう、そのうち。

しかし翌日、携帯に見慣れない番号から電話があった。出てみたら先生だった。手紙を読んだ先生は、美和子に連絡を取ってくれて私に電話をしてくれたのだ。卒業以来の先生の声に、近所のスーパーの前で私は目を潤ませた。
気持ちはすっかり学生時代に戻りながらも、敬語での会話になんだか不思議な気分だった。
「今度ぜひお酒でも飲みましょう」
と、学生時代では出来なかった約束もした。

卒業から二十ウン年も経っているので、わざわざ知らせなくてもよかったのかもしれない。しかし、暁子や美和子と出会った中1の担任だった先生にはどうしても伝えたかったのだ。
あの時の、そこそこませていながらもまだまだ子供で、でも大人の階段に足をかけるかかけないかという、所謂思春期のキラキラしていた頃を見守ってくれた、親とは違う大人。そんな存在だった先生には学生時代の気持ちで伝えたかった。

そして、慰めて欲しかったのだ。

先生との飲み会が実現したら、私は泣くだろう。今はもうオバサンと言われても文句も言えない歳になってしまってはいるが、制服を着ていた学生時代の、箸が転げてもおかしかった学生時代の私になって泣くだろう。
その時だけは、どうか許して頂きたいと願っている。

そうやって少しずつ、暁子が旅立ってしまった悲しみを、自分の中で成仏させたいと思っている。

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