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りんごちんの人体実験 ~歴史week day1~

みなさん、こんばんわ。

こだわりのない自分が
振り切ってなにかに染まってみる。

人体実験シリーズ。

こんなになる今週のテーマは、、、

どどーーーーん!

歴史week day1〜✨✨


今日は日本の海軍軍人、山本五十六さんの言葉から。

偶然、仕事でお世話になっている藤井先輩のおじい様が山本五十六さんの側近の方だったそうで、真珠湾攻撃を知らせる書類を受け取った文書官だったそうです。

自分自身は直接戦争を経験したわけではもちろんないですが、そういう話を聞かせていただくうちに、過去の先人があっての今なのだということを体感せざるを得ないですね。

これには自分の両親が長崎県出身であり、両親共に戦後に生まれたものの、祖父母や叔父叔母は戦前戦中にあったという話を伝え聞くごとに感じていたことも一つ理由としてあるのかもしれません。




生い立ち(1884年〈明治17年〉4月4日 - 1943年〈昭和18年〉4月18日)

明治17年(1884)4月旧長岡藩士高野貞吉の六男として玉蔵院町(現 長岡市坂之上町)で生まれる。父56歳の時で五十六と名付けられたという。

明治34年(1901)長岡中学を卒業し海軍兵学校に入学。明治38年(1905)巡洋艦日進に乗組、日本海海戦において左手指と右下腿部に重傷を負う。大正5年(1916)長岡藩家老山本家を継ぎ以後山本姓となる。

大正7年(1918)元会津藩士三橋康守の三女禮子と結婚。翌年4月からアメリカ駐在武官として渡米、ハーバード大学に入学し英語習得に励む。またこの頃欧米諸国をめぐりワシントン軍縮条約後の各国の実態をつぶさに視察した。

大正13年(1924)霞ヶ浦海軍航空隊教頭兼副長に就任、後に海軍航空本部長まで歴任し、今後の国防の主力は航空機にあると確信を持ち、一貫して航空戦力の充実に尽力した。

昭和5年(1930)ロンドン軍縮会議の随員。昭和9年(1934)ロンドン軍縮会議予備交渉の海軍代表として出席。海軍軍縮条約の締結が日本の命運を決める重大事と認識し粘り強く交渉を続ける。

昭和11年(1936)海軍次官に就任。当時の海軍大臣米内光政、軍務局長井上成美らとともに日独伊三国軍事同盟に断固反対の姿勢を貫いた。

昭和14年(1939)連合艦隊司令長官に就任。昭和16年(1941)ハワイ真珠湾攻撃を敢行し未曾有の大戦の指揮をとった。

昭和18年(1943)ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて戦死。死後、元帥府に列せられた。

なんか経歴を見るだけでもすごいですよね。
自分では到底理解できない、重圧や色んな感情があって生きられたのだと思います。

山本五十六さんが遺された言葉について

やってみせ、
言って聞かせてさせてみて
ほめてやらねば
人は動かじ。

話し合い
耳を傾け承認し
任せてやらねば
人は育たず。

やっている
姿を感謝で見守って
信頼せねば
人は実らず。


まさに教育論ともいうべき、人生訓ともいうべき言葉ですね。
まだまだ自分では、理解できる範囲とそうでないところがありますが、
自分も視座高く、志を持って仕事をしたいと思うきっかけになりました。

経営者の先輩でも、
この言葉を大切にしている人が多く、
本当に世の中に本当によい影響を与えていらっしゃるのだなと思います。

かの有名な坂本竜馬さんも実は31歳で亡くなられています。
自分の今の年齢より短く生涯を終えられている。。。
今なお、お墓にファンが集まり、坂本竜馬を題としてものがある。
これって本当にすごいことですよね。

その当時から功績を評価されたかというとそうではないかもしれない。
でも志高く、やるべきことをやり続けた人が、
結果的に後世に名を残すことを学びますね。




何のために生きるのか?

今、未常識だったとしても
50年後先、100年後先に常識になっていることは沢山あるでしょう。

今の目先の利益ではなく、
将来を見据え、大局を見て判断できる人間になりたいです。


では今日はこのへんで🍎

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