エッセイ:『僕の母』が癌かもしれないと聞いて思ったこと。
まずは『僕の母』がどんな人か簡単に説明するために過去の記事を掲載します。
先週、母から連絡が来た。
『癌かもしれない……来週もうちょっと精密検査をしてみるから』
母の年齢を思い出そうとしたけれど、ちっともわからなかった。
家族という個人的な組織がまともに機能していたとしたら、おおよそでも割と正確な年齢ってわかるのではないだろうか、と思った。
生憎、僕の母は、僕が幼い時に消えてしまったから、僕の目の前で母が誕生日を迎えた瞬間を覚えていない。
むこうだって僕の誕生日を覚えていないかもしれない。
母の記憶も僕の記憶も互いにきっと曖昧だ。
今でもふと、思い出すのは、冬の日、母が出ていく瞬間まで、ストーブの前で足を永遠に温めていたジンジンとした感覚。
その日も外は雪だった。
どうして、母が僕の前から消えようとするときには決まって雪が降るのだろう?
福島にいたときも、バンクーバーにいるときも、
雪が降ると、母がどこかへ行ってしまう。
最後に母に会ったのは実は最近だ。
2021年の初夏に母に伝えた。
「2023年の6月からバンクーバーへ行きます」
そうしたら母は僕に会いに来た。
今は昔みたいに飲み屋の仕事をしていないから、日程の融通が効くらしい。
それでも、会うのは下手したら約10年ぶり。
考えてみたら、僕の母は息子に約10年会わなくても、ましてやその間ほとんど連絡をとらなくても平気な母親ってことなんだ。
逆も然り。
僕は母に対して何の感情もない。
たまに自分の心のなかに、母が出て行った冬の日のストーブの前で、足を温めながら母を引き留めようとする僕とか、母がいなくなって数日後のいじけてベッドに潜っている僕を見つけるけれど、それって本当にたまにのこと。
滅多にない。
知らない老婆から貰ったキャンディを舐めようと思うことくらいレアなことだ。(大抵、そういったキャンディは捨ててしまうか、ポケットに入れたまま忘れて洗濯してしまう)
8月の夏の盛りに、母は一人で福島から静岡まで来た。
その日僕は仕事だった。
取ろうと思えば有給だって取れたけれど、一日中母といる空気感を想像すると、なんだか居心地が悪くて、仕事帰りのほんの数時間だけ時間を取った。
母との待ち合わせ場所は『御殿場アウトレット』
数年前僕は、そこからとても近いところに住んでいたのだ。
近くに湖があって、仕事が休みで天気の良い日はよく、そこまで歩いた。
夏、雲のどこかが溶けてドロリと落ちてきたような暑い夕暮れだった。
おおむね世界は赤い色になっていたし、御殿場アウトレットはその時間になってもまだ、どこもかしこも忙しない。
約10年ぶりに会った母は、僕の想像よりもずっと年をとっていた。
人間って会わないうちに勝手に年を重ねて行って、自動でどういう風にか変わっていく。
この人が……母……か、と思った。
とくに何も話すべきことも、話したいこともないなとも。
母は、幼い僕の『ママ』で時間が止まっているから、僕がいくら母のことを「母上」と呼んでも(母のことを本当に母上と呼んでいる)一人称が『ママ』になる。
「ママね、最近も前の飲み屋の社長たちと夜まで飲んでいてね人生楽しいよ」
母と寿司屋に入って、一貫2000円くらいのウニを何巻も食べさせられて、お会計は、母がどこかの男に預けられたであろうクレジットカードで払っていた。二人で3万はこえていたとおもう。
昔から、母の財布には僕の一ミリもしらない男のクレジットカードが何枚か入っている。
小さなころは、そのことに少なからず母を遠くに感じる気持ちと、自分だけの母であってほしいという親へのよくわからない独占欲みたいなものがあったけれど、今では「ああ、そうか、この人はずっとこういう人なんだ」という自分とは何ら関係のない人間への認識に過ぎなかった。
あるときに親父が母に対してぽつりと漏らしたことがある。
それもまだ僕が幼い時に。
父は母へ一言。
「男狂い」
と言った。
母はいつも、男、男と、言っていたらしい。
当時の僕には父が母に向けて言った言葉の意味がわからなかったけれど、忘れなかったくらいには印象的らしい。
初めて母が遠くに感じた時のことも覚えている。
母の昔からの友達の家に遊びにいったときに、それまで吸ったところを見たことない煙草を吸っていた母を見た時だ。
団地の夕暮れ、オレンジ色の換気扇の下で、友人と貧しそうな煙草を吸って、何かを談笑していた。足元に伸びていた淡い影を僕はずっと睨んでいたと思う。
そんな僕に気がついた母は僕に
「パパには内緒ね、いい子だから」と言った。
煙草は悪いものだと、知っていたから、母が父に隠れて悪いことをやっているという行為、そして、いつも正しいと思っていた母の行為に、なんだかやりきれなくなって、僕は名前も知らない母の友人の団地の他の部屋に行って一人で静かに泣いた。
食事を終え、母から近くに飲み屋はないかと聞かれた。
一緒に呑もうとも。
僕は適当に嘘を並べてその場しのぎの用事を拵えて断り、アウトレットのバスターミナルから母が泊っているホテルまで通っているバスが来るのを待った。
やがて、バスが来た。
大勢の人が乗っていく。
なんだかアイス工場みたいだな、と思った。
クッキーアイスのなかに、バニラが注入されていくような。
外は暮れきってはいなかった。
灯みたいな夕焼けが、山の稜線に滲んでいた。
僕は手も降らず母を見送った。
母は僕に手を振った。
額にはうっすらと汗。
暑い夏だった。
バスのなかはライトで明るかった。
暗くなってきた外とは対照的で、中身が彫られているみたいに浮き彫りになる。
辺りは賑わっていて騒がしい。
大勢の人がバスに押し込まれていく。
母も押し込まれていった。
困った顔をしながら。
バスの運転手がアナウンスをする。
「もっと奥までお願いします」
事務的なアナウンス。
母は、知らない人間に挟まれながら、困った顔をしてどんどんと追いやられていく。
僕は、心のなかで
「その人は、僕の母親だぞ」と思った。
でも母親って何だろうと思った。
すぐに母という感情を分解しようとする僕の自浄作用が働く。
ふと、母に対する感情なのか疑問なのかが湧いてきた。
『一体この人の人生って何だったのだろう』
薬物で逮捕され、男に狂い、あげくの果てには子供を捨てて出て行って、
何年もの間、会わずに、さらに10年の月日が流れて、ここで会って、
これは一体何だったのだろう。
この人の人生って何だったんだ?
そして数年の歳月が流れ、僕はバンクーバーに来た。
『癌かもしれない……来週もうちょっと精密検査をしてみるから』
遺産ってどれくらい貰えるのだろうか。
葬式はせめて来年にしてもらえないだろうか、3月に旅行へ行きたいから節約したい、飛行機取るの大変そうだろうな、お見舞いは行かなくていいな。
と一瞬だけ考えて僕は次の日、仕事が休みだったため
食べたいハンバーガーのことを考えた。
『ファットバーガー』のチーズバーガーでもいい、『ホワイトスポット』のチーズバーガーでもいい、『A&W』チーズバーガーでもいい、『バーガーキング』のチーズバーガーでもいいな、なんて。
そして翌朝、『バーガーキング』のチーズバーガーを食べた。
まだ、病気と決まったわけではないけれど、時期にくる
僕の『母の死』
僕はきっと冷たいだろう。家族という感覚がわからない。
母親も大概だけれど、父親も酷かった。
それから一週間母親のことを忘れて
ふと、思い出した。
そういえば……って感じで。
バンクーバーの雪はほぼ完全に溶けた。
あとは駐車場のスーパーの端に避けられた雪の塊が抵抗しているくらいだ。
そんな溶けた雪を見ながら母を思い出した。
一回くらい、旅行に行っとこうか。
会わないは簡単で、会う事にも関心はない。
けれど、いつか、僕の心境が変化して、今は向き合えない母親への感情と向き合ったときのために、旅行でも行って、何か、『この人が僕の母親だぞ』と自分に焼き付けておきたい、そう思った。
僕は実は知っている、僕のなかに、置いて行かれた僕という子供が永遠に母親へ執着していることを。
それが薬物で捕まろうが、男に狂って酒にたばこに毎晩踊り散らかしていようが、全く会いに来てくれず孤独な幼少期を過ごした時間とか、そういった完全な隔たりを越えても『僕の母』なんだ。
ただ、色んなことが今さらどうにもできないってことなんだ。
煙草の灰が長くなって落ちて、もう元には戻らないように。
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