見出し画像

こんな大人にだけは

「大人は判ってくれない」

4月にシアターで見た映画は「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」と「ネメシス 黄金螺旋の謎」くらいでした。ゴールデンウイークはまとまって休めることになりましたが、映画館も混むので、何度見ても飽きない古典を見返すことに。
まず、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」。
実は、トリュフォー作品は眠気に襲われるものが多いのですが、この作品は主人公に共感できる部分があり、最後まで見ていられます。

主人公アントワーヌはパリに暮らす、おそらく中学生。家族は共働きの両親だけで、一人っ子です。映画とバルザック文学が好きな、どこにでもいる感じの普通の少年なのに、いつも彼が大人の標的にされてしまいます。授業中に友だちが女性のグラビア写真を回覧すると、教師から教室に立たされるのは彼。友だちに誘われて一緒に学校を無断欠席すると、怒られるのは彼。不条理が重なって、大人は彼を不良とみなします。家族一緒に映画を見にいったり、仲のいい親子だったはずが、お父さんは血のつながりがなく、お母さんが連れ子で結婚したという背景が発覚すると、それだから「ああ、だから不良になるわけね」とレッテルを貼られます。
アントワーヌの周りには、「こんな大人にだけはなりたくない」タイプの大人ばかり。たった一人、味方のはずのお母さんさえ、もうあなたなんて帰ってこなくていいと息子に見捨てます。アントワーヌは、なにもしていません。父親のオフィスからタイプライターを一台くすねて売ろうとしたけど、律儀に返しにいったくらいです。たったそれだけで、世間は彼を「立ち直らせよう」と、鑑別所に入れます。
最後、アントワーヌが鑑別所から逃走し、海にたどり着くシーンはあまりにも有名です。

このポーズも有名ですね。警察署から鑑別所に送られるあいだ待機する留置所で、タートルネックで顔を隠すアントワーヌ。心理状況をセリフではなく、しぐさで描くお手本です。

アントワーヌを極悪非道な不良とみなすような大人にだけはならないようにしようと思ってきました。でも、いい年になった自分が、この映画に出てくる大人のようになっていないだろうかと考えると、100パーセントそうではないと言い切れない自分がいるのでした。

Les Quatre Cents Coups
1959年製作/99分/フランス
フランソワ・トリュフォー監督



この記事が参加している募集

映画感想文