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映画感想文「落下の解剖学」 関係の断絶を描く意欲作

映画館で現在公開中の「落下の解剖学」を鑑賞しました。
感想を書いてみようと思います。

※ネタバレありまっす。気になる方は退避してくださいませ。

2023年 フランス
監督 ジュスティーヌ・トリエ
視覚障がいをもつ少年以外は誰も居合わせていなかった雪山の山荘で起きた転落事故を引き金に、死亡した夫と夫殺しの疑惑をかけられた妻のあいだの秘密や嘘が暴かれていき、登場人物の数だけ真実が表れていく様を描いた。

映画.comより

はい、昨年のカンヌ映画祭のパルムドールを受賞してたり、今回のアカデミー賞にノミネートされてたりと、その評価の高さにひかれて足を運びました。

あらすじを補足すると、キャッチコピーに「これは事故か、自殺か、殺人かーー。」とあるのだけど、ジャンルとしてはミステリーではありません。
夫の転落事故の真相を解決しようと、「現実問題」として裁判が行われ妻が疑われ判決が提示されるのですが、裁判の判決はあまり重要ではない。。。

物語の途中から裁判シーンがメインになるのですが、それでも判決は物語の決着になっていない。
「犯人は誰で、実はこういう動機があってーーー」という、いわゆるミステリーものではないのです。
ここが今作の最大の特徴だと思います。

じゃあこの作品は何を描いているのかというと、タイトルに書いたように「関係の断絶」を描いていると思う。

裁判の途中で夫婦間の軋轢があらわになる。
妻は小説家でそれなりに売れっ子。
一方、夫も小説家を目指しているのだけど、あまりぱっとしなくて、仕方なく教職を掛け持ちしている。
家事・育児ももっぱら夫の仕事。
さらに息子が障がいをもつきっかけになった事故時に、夫は自分が執筆に夢中になり迎えに行かなかったことから負い目を感じている。
夫は妻に「もっと小説を書く時間が欲しい」とお願いするのだが、妻は「好きにすればいい」とさっぱり返す。

こんな感じで、夫婦の思惑がすれ違う。
ひと昔前の夫婦なら夫と妻の役割が固定化されていて、この夫婦の逆だったよなあと思う。
夫(男)は仕事で稼ぎ外で好きなことをする。一方、妻(女)は家事・育児をしながら「何かこういうことをしたい。それをする時間が欲しい」と夫に言えば、「好きにすればいい」と夫は言う。

妻としては言葉の裏に「その代わり家事・育児をしてほしい」ということなんだけど、夫側からすると「『家事・育児に影響が出ない程度に』好きにすればいい」ってこと。このすれ違い。
以前なら妻が泣く泣く折れて、あくまでも役割を壊さない程度にしていたんだと思う。

でも今はもう時代が違いますよね。
夫婦の形なんて各家庭それぞれだし、今作では性別を反転させている。

つまり夫婦といえど別人同士なのだからそれぞれ思惑があるし、それが一致しないと不幸が起こる。
夫婦間の愛情も当然あるけど、一方で個人主義的な対立も避けられない。
当たり前のことだけど、自分のやりたいことをやる権利が誰にでもあるのだ。それをお互いが主張し合う。

もう夫婦といえど、「愛情」やら「役割」では埋められない「関係の断絶」を描いている。
それを事件の真相を追うというミステリー要素をうまく利用して、退屈させず見ごたえのあるものに仕立てている意欲作。
ほんとによく計算された作品だと思う。

ただ自分は、少し頭で観る映画なのかなと感じた。
個人主義が日本より進んでいるヨーロッパ夫婦の極端な形を描いてるから、日本の夫婦もこれからこうなっていくのかな、とか。
比較社会論的な意味合いでは興味深いのだけど、ちょっとインテリな人が面白がってる姿が浮かんだんだよなあ。

前回のカンヌ・パルムドール「逆転のトライアングル」ほど鼻持ちならない感じはなかったけど(とはいえ今回の審査員長はその監督なのだ)、「カンヌ=知的」という図式を押し出してる印象を受けました。

どういう映画を撮ろうが自由。
カンヌには、日本で昨年末に公開されたアキ・カウリスマキさん「枯れ葉」も出品された。
率直に好みの話だけど、自分はアキ作品の方が好き。
アキ作品は愛を楽観的に大らかに真っ直ぐ語る。

もうこれはどういう人生を歩みたいかに尽きますよね。
「愛を謳いながら暮らすか」、それとも「断絶を感じつつも打算的に関係を続けていくか」。

自分は前者がいいなあ。

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