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急かす親に育てられると自分で決められなくなるんだろうか?

他人軸で判断するということは自分はどうしたいのかを考えることなく、他人がよしとするもので判断するということ。


なぜ自分はどうしたいのかがわからないのか、その始まりは考える時間を与えない待てない、急かす親とのコミュニケーションの繰り返しによるものだったのかもしれない。


いつも急かされている気がして答えを間違うと責められそうな怖さがあって落ち着いて考えることができない。


自分がどうしたいのかを言ったとしても親にとって都合が悪ければ却下されたりして結局聞き入れてもらえない。


他人軸の始まりは親軸だったんだと思い至った。


自分はどうしたいのか、ずっと答えが出せなくて、手放す罪悪感による辛さを避けるために先延ばしにしていることがある。


じっくり考えたいのにいろんなことがあってそのことだけに集中することができない。


メリット、デメリットを出すとお金と気持ちが葛藤していた。


手放せばお金は浮く。


その代わり精神的な安心感が減る。便利さも減る。


お金の価値ってそれによって何が得られていたのか、その質や量を失うことと浮くお金を天秤にかけたら、お金がかかっても手放したくない安心感が勝った。


でもそれはいつか手放す日をただ先送りしているだけ。


ほしいと思って手に入れたのにいつか手放さなくてはならなくなる。


その代わりになるものがいくらでもあるなら平気だけど私はこだわりが強いからすぐには気に入るものに出会えない。


何回考えても答えが出ない。


決めることが苦手すぎる。


いつもどっちを選んでも後悔しがちだから。


人に聞いても参考にはなっても自分の気持ちがわかるわけではない。


手放さない決断をする方がお金がかかるけど安心。


この罪悪感も子供の頃からつらい気持ちに寄り添ってくれる人がいたならこんなに辛くならなかったのかな。


私も子供に対して待てない親になってきた。


時間も精神的にも余裕と安心感が少ないからだ。


他人が絡むと判断できなくなる。



自分の希望を伝えたり通そうとすると不機嫌になられそうで怖い。


どちらも納得できる選択肢なんてなかなかない。


大抵はどちらかが譲るから物事が進む。


我慢してる事の方が多く感じるけど、譲ってもらったことがあっても気づけなかっただけなんだろうか?


自然の中で一人静かに過ごせる時間がほしい。




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