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社会人3年目 -継続について-

私は社会人3年目です。
3年経てば少しずつ環境にも、仕事内容にも慣れていくものですね。
3年続けたわけですね。

3年も続けたものって今まで何かあったでしょうか。
高校や中学校は3年間でしたよね。あれ、そうでしたよね。
うん、それで小学校は6年間か。
なんというか、学校はノーカンな感じがするんですよね、私的には。
学校、それなりにしんどいこともあったけど
「もう少し続けてみるか…学校…」という思うようなことは無かったなあと。なのでノーカン。

学校は義務感を持って行っていたので、
やめるとか考えませんでした。行かなければならないところって考えていたからかな。ハブられるようなこともありましたが、それでも「学校を辞める」という考えは浮かんでこなかったなあと今になって思います。
辞めるという可能性が、「余地(よち)」があるとは思えませんでした。
(学校を辞めることを否定しているわけではありません。)

辞める余地がない場合は、それは「続けた」という感覚ではありません。
私の感覚ではですけど。

では、仕事はどうなのでしょうか。
「余地」はあるのでしょうか。ありまくりですね。
私の感覚では。
SNSや世間的に、仕事を辞めることへのハードルの低さが度々取り上げられているような気がします。(流行りなんでしょうかね)
「仕事嫌だったら、生活保護もあるんだし、辞めてもどうにかなります」
今まで何度聞いたことのあるセリフでしょうか。
そんな「仕事は義務ではない」という雰囲気が、考え方が最近は世間に(日本に?)ふわふわと、あるように思えます。

そのような世界にいる私ですから、
「ふーん、仕事って辞めてもどうにかなるのね」って考えたり
「いやでも、生活レベルを落とすのはなあ…」って考えてたり
もう世間の雰囲気に、ふわふわと翻弄されているわけでありまして、
結構辛いのが本音です。

さて、何が言いたいかと言いますと
義務ではない場合、辞める余地ができて辛いなって話がしたかったです。
しがみつく理由が確固としてあるわけでもないのに、
体裁のため、惰性でしがみついて日々を送るのが辛いです。
辛いので、「仕事、3年間続けたな」なんて考えがでてきているんでしょうか。
なんともいえない宙ぶらりんな気持ちで歩いてきた3年間。
義務でもない。強い意志でもない。そんな3年間。

義務感ではなく、強い意志で何かを続けられることは
私にもできるのでしょうか。
考えてみると、いままでそのような経験はしたことがないように思えます。
自分の考えを持って、意思を持って進んでいける日々を送ってみたいと
最近は考えているという話でした。

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