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「人それぞれ」と「ラベリング」問題

大学のときに「私は久本雅美じゃない!」と泣いた子がいた。終電もなくなった夜中、駅のベンチでその子は泣いた。確かにその子はいじられキャラだった。周囲から“女芸人”のように扱われていた。私から見たら、色々な人から好かれているように見えるし、むしろおいしいんじゃないか、と思っていたけど、あまりにいじられすぎてついに限界が来たようだった。
その一年ほど前に、似たような理由でサークルを辞めていった人がいたのを思い出した。
「みんながみんな、“キャラ”で会話しすぎで、○○キャラだから、ってだけでコミュニケーションとっているのがしんどい。ボタンを押してるみたい。Aボタン、Bボタン、って押すだけで会話してるみたい」
と言っていたのがめちゃくちゃ印象に残っている。

ちなみに、先述の雅美(仮名)も同じサークルの子だった。

確かにそのサークルでは当時、○○キャラを重んじるのが流行っていた。雅美も芸人キャラを求められていたし、キャラにそぐわない言動に対しては「空気読んで」とヤジが飛ぶ。それぞれがそれぞれのポジションから何かを言う、なんだかバラエティ番組のような空間だった。こうやって文字で書くと、地獄の陽キャ集団のような場に見えるけど、そういう感じでもなかった(少なくとも陽キャは一人もいなかった。というか、陽キャの定義って何)。
キャラ、と言っても、性別や年齢や国籍や出身などで誰かに何かを押しつけられるようなことは一切なく、自分の担うキャラに納得をしていれば、比較的居心地のいい場所ではあった。逆に言えばその「お作法」さえ身につけてしまえば、脳死でコミュニケーションをとれるようなところがあったのだと思う。
今思うと、キャラで括ってラベリングをしないと、コミュニケーションの仕方がみんなわからなかったんじゃないだろうか。
まさに、Aボタン、Bボタン、を押すかのように。

で、なんでこんなことを思い出したかというと、最近ラベリングをされることで居心地の悪い思いをした出来事があったからである。

ある場所で、こんな話になった。

「女性って、贈り物をする文化があるじゃないですか。男性同士だとそういうのないんですよね」
えー、ないなぁ……。したことないなぁ……。と私が思う一方で、その場にいたほかの女性は「あるある」と頷いている。あるのか。そうか。
「女性って〜」の一言によって、その場はすっかり、それぞれが女性代表・男性代表の立場から意見を言う空気が出来上がっている。「女性(男性)って○○じゃないですか」論法の暴力的なところはここにある。その「あるある」に当てはまらないと、その場の会話の参加資格が急になくなるような感覚になるのだ。私はそこに存在しているのに、いない。虚無だ。存在が、無。90年代テレビアニメの予告風に言うと、「瞬間、存在、無にして」。

私の存在が無になっている間、
「男性は会社の中で生きているから、上下関係が染みついているんですよね。女性は家にいるから友達との横の繋がりが云々かんぬん」
と“贈り物何某(なにがし)”さんは分析なさっていた。それはもう無邪気に。
いっけーない!殺意殺意!と滲み出るパトスをおさえながら私は言った。必殺「男女差じゃなくて、個人差じゃないですか」。たいてい(そんなことはわかっているよ)という目をされるので、あまり威力に期待できない必殺技である。でもこういうとき、これしか返す言葉を知らない。こういうとき、どんなこと言えばいいか、わからないの……。笑えない。

「もちろん、人それぞれだけどさ」と何某(なにがし)は言う。虚無だ。やっぱり雑に片付けられた。さっきまで「人それぞれ」の中の、「少数のそれぞれ」の部分は無いものとして語っていたくせに。

「男女差じゃなくて、個人差ですよね」。ですよね。ですよね。ですよね(エコー)。

こうかは いまひとつのようだ。

何年か前までは、「みんなでワイワイご飯食べたほうがおいしいに決まってるじゃん!」という類のものもあった。みんなでワイワイがいいの当たり前じゃん?みんなそうじゃん?一人?ないない!寂しいじゃん? という感じのアレだ。
私は一人でいるほうが楽だから好きなんだよ。そういう奴もいるんだよ!
最近ではソロ活の市民権が得られてきた結果、あまりそういう肩身の狭さは感じなくなってきたけれど(少なくとも私の行動範囲内では。世の中的にはまだあると思う)、とにかく、多数派に属する人間は、その多数派の論をナチュラルに世界の常識かのように扱ってしまいがちだ。自分もどこかしらで気づかずやってしまっているとは思う。

でも、「人それぞれ」とか「個人差」をいちいち細かく検討しながら会話しようとすると、コミュニケーションがめちゃくちゃ難しくなるのも理屈としてはわかるのだ。「一人一人違う」とか「セロリが好きだったり」とかスマップは言っていたけど、実際にはそううまくいかないのもイナメナイ。

Aボタン、Bボタン、とボタンを押すかのように、性別や年齢などの「大多数がそれで括れるであろうこと」というボタンを押して、会話を簡易化させている。そういうことなんじゃないだろうか。

あーあ。やだやだ。

交友関係は狭く狭く狭〜くていいから、「人それぞれ」には誠実でありたいものです。







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