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『さあやとこはる』大阪上映を終えて about Day 1

皆さんこんばんは
来週に来る大寒波の知らせに今からめちゃくちゃ震えております、燃ゆるです
皆様方もどうか凍えないようお気をつけくださいませ

と、ご挨拶はこのへんで
本題

『さあやとこはる』大阪上映2DAYS
お越しくださった方々、宣伝にご協力いただいた方々
本当にありがとうございました!

Day 1
この日の上映は、上映後に舞台挨拶があり
昼間からそれはもう気合を入れて準備をしておりました。
ホームである大阪
今まで何度か舞台挨拶には登壇させていただいたことがあるのですが
大阪での舞台挨拶は初めて
ホームである大阪
当然のこと、東京の舞台挨拶のように
キリッと決めて一番キレイな私で
それはもう大手を振って女優ヅラをかましてやろうとも思ったのですが
ホームである大阪
ノリが通用するステキな街、大阪
これは…
やるしかない…
あの日の恨みを晴らす絶好のチャンス!
ということでですね
大阪での舞台挨拶が決定した時
すぐさま目の前にいた高原監督に
堂ノ本さんを!堂ノ本さんを!引きずり出してください!!
高原監督が言ってくれたら
彼もNo!とは言えないはずなんで!
私が言うよりも確実なんで!

なんとまぁ、汚い大人なんでございましょ
でもいいじゃない
一人で舞台に立つの寂しかったんだもん
って、建前を振りかざし
私の悪巧みはトントン拍子に進み
当日を迎えるのでありました
へっへっへっ

私もね、もう30になる歳なわけでして
そして堂ノ本監督と同い年の(めちゃくちゃ溺愛している)弟を持つ一人の女性として
私、言わなかったの
初めてのプロの現場で、まだあまりどんな人かも分からない監督
(当時は本当に何を考えているのか分からなすぎて燃ゆるは混乱していました)の元
私はめちゃくちゃ緊張して現場入りしたわけです
何より、この現場を繋いでくれた
堂ノ本監督の顔をつぶしちゃならん
高原監督にしょうもない役者だと思われても
堂ノ本監督の顔を潰すようなことだけは!絶対に!してはならぬ!
という心持ちで現場に入る私
見渡す限り見当たらない堂ノ本さん
そして唐突に告げられる
「堂ノ本さん、残念でしたね…」
皆さま、心優しいこのブログの読者さま
想像してみてくださいませ
私の当時の心境を

けどね、私もいい大人だから
『さあやとこはる』完成してからも
堂ノ本さんを責めることしなかったの
いい大人だから
私いい子にしてたもの
だから、いいよね…?今回ぐらい
ということで私は堂ノ本感監督を恥ずかしめるためだけに
その日の衣装をわざわざ買い(今後は二度と着ないのに)
その日のお昼から髪の毛をぐりんぐりん
きらっきらにおねぇさんに仕上げてもらい
るんるんで劇場に向かった次第なわけでありました

もうお気づきの方もいると思いますが
そうです、私
一度根に持ったら長いんです
けど、このことは今回の舞台で水に流して上げます
私、「大人」なんでね!(大変大人気ない)

そんな経緯はさておき
とにかくホームでの初めての上映、そして舞台挨拶
ダメ元でも!と数少ない友人たち
普段からお世話になってる方から
めちゃくちゃ久しぶりな方まで
一人でも多くの人に来てもらわねば!
と、今度は高原監督の顔を潰してならぬ!と
奔走していたのですが
想像を上回る方たちに観に来ていただいて
感謝の思いがぶわぁと溢れておりました
その中には『海底悲歌』の頃から
応援しに来てくださってる方の姿もあり
感慨深さも感じつつ
舞台挨拶ではひとりひとりの顔をしっかりと見ながら
堂ノ本監督のスマートなMCのおかげもあり
楽しくトークを広げることができました

堂ノ本監督、えらい
そして、ざまぁみろ(まだ言うか)

どんな進行がなされるか分からなかったため
この日はどう転んでもいいように
何パターンかの話題を準備していたのですが
本当にすごい人たちしかいない現場だったので
映画の感想、現場での話などなど
スタッフさん、キャストさんたちについてお話していたら
あっと言う間に時間が

改めて今作についての話をしていると
本当に私がどうしてこの場にいるのか
とても不思議な感じがします
舞台挨拶後もたくさんの方がお写真撮ってくれたり、サインを書かせてもらったり
本当にありがたいでしかない

お芝居だけで食っていくなんて覚悟などなく
ただ好きな人たちと
心動くものが作りたい
そんな私を使ってくれた
高原監督には本当に頭が上がりません
そして何より現場がとても楽しかった
そして思い切りやらせてくれました
ありがとうございました
最高にときめきました
あの現場も、この作品に関わってこうして私が立っている場所も

そうそう
あの舞台挨拶の日
散々堂ノ本監督に恥ずかしい思いをさせた代わりに
本当はこんな話をしようと思っていたんだった

私が初めて映画に出ることになったのは
当時まだ大学3回生の堂ノ本監督の作品
『濡れたカナリヤたち』でした

ちょうど人生の分岐に立っていた私は
ほんの出来心でお芝居をしたいと思い立ち
役者のオーディションを探していたのです

その時の私は
今からは想像できないほど
自分に自身がなく
誰かに依存し
目の前に見える海は真っ黒で
どうにかこうにか
自分の人生を生きたくて藻掻いている最中でした

未だに忘れません
あの役者募集の画面

大阪の芸大生が
ピンク映画というものに惚れ込んで
文字からも溢れてくるソレを作りたいという思い
そして文乃という
まるで自分を見ているかのような登場人物

一切の迷いなんてありませんでした
もし、このオーディションがダメだったら
私はいよいよ何をしよう
けど、後悔はやってみてからでいいや
そんな身投げのような気持ちでオーディションへ向かい
結果はその場での採用決定

この出会いがなければ
堂ノ本監督が採用してくれなければ
女優としての私は
この世に生まれることもなく夢は海に沈んで藻屑と化していたことでしょう

そしてその次の作品
堂ノ本監督の『海底悲歌』
この映画では前作での悔しいさを各々の胸に
堂ノ本監督自身がが描きたい物語を
同じ名の、しかし別の文乃として生きました

『海底悲歌』を巡るお話は
堂ノ本監督のnoteを遡ってもらえたら
書き残されているのでぜひ一読してみてください
⬇️⬇️⬇️


そんな『海底悲歌』
色々と波に揉まれつつ
上野オークラ劇場さんでの上映初日
その場に高原監督が駆けつけてくださったのが
私と高原監督との出会いでした

堂ノ本さんがピンク映画と出会っていなければ
私が人生の分岐点に立っていなければ
あの日合格をもらえなければ
あの日高原監督が来てくれなければ
どのピースひとつが欠けても
こうして私が『さあやとこはる』の舞台挨拶を大阪ですることはなかった

そう考えるとこの人生
どこまで行っても面白いでしかありません
好きなことがしたいと思っていたら
好きなように生きている人たちに囲まれて
同じ時間を共有し、一つの作品に携わることができている
とてもとても感謝しかありません
そしてそんないろんな好きが詰まった作品を
たくさんの方々に観てもらえて
私は本当に幸せ者です

ま、これからも
自分のわがままには素直に
そしてどこまでも全力で愉しんでいく所存です

この日は無事に嬉しくて
観に来てくれていた友人と朝まで飲み明かしておりました

そういえば今もちょっと酔ってるな

Day 1だけでこんなに書いてしまいったので
Day 2は改めて書き起こします

ここまでお付き合いくださりありがとうございました
次もどうぞよろしくお付き合いくださいました

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