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パン屋再襲撃

村上春樹の小説の特徴として、重層的なプロットを使うと定義してこの短編小説におけるストーリーとプロットの関係について述べる。パン屋を襲撃するのだが再襲撃である。小説の冒頭にはパン屋を襲うか襲わないかを妻に話すかどうか、そのことが正しいか正しくないかの判断は無意味と書き、そこに、具体的には段落の終わりに村上春樹独自の区切りを置いている。それは、彼独自の風の歌を聴けからずっと現在の騎士団長殺しまで、小説の至る所に散りばめられている「独自の慣用句」と「重層構造」だ。もちろん村上春樹が評価されている大きな部分を占めるところであろう。大江健三郎は物語の区切りにとても難解なセリフを入れる。洪水は我が魂に及びでは、大木勇魚の出口のない状況を「その向こうには無が露出している」と語った。行き場のない現代人のあるがままを表現している。村上春樹や大江健三郎、安部公房などが世界的にも評価が高い理由の一部はそのような出口を探し彷徨う我々とかぶる部分を独自の表現で表すところではないかと考える。この短い短編にもそのような仕掛けはたくさん散りばめられている。その仕掛けが私も含めた多くの読者から支持を受けるのは、そのようなプロットの構造にも理由があると考える。再襲撃であることを妻に語る。2回目であるというストーリーがこの物語では重要なのだ。1回目の襲撃について妻に語りそこから呪われていることを2人で共有する。主人公は1回目の襲撃の中に何か間違いがあったと感じているのだ。その呪いを解くことが再襲撃である。一度目の襲撃で始まったことを同じように襲撃をすることで解決するという組み立てになっている。このプロットが2回目の襲撃を終えたときに主人公の中に一つの風景として降りてくる。海底火山の上にに浮かんでいるボートだ。やがて満ち潮はやってきて海底火山は過ぎていきボートは主人公をしかるべきところに運んでくれる。この小説の中にはこのボートに浮かぶ自身の現実的な状況というのはなく、主人公の心象的風景ではあるが、このような表現は村上春樹の小説の中には非常に多く現れる。その方法論としては完全に二重のプロットを取る、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドに顕著である。物語自体が二つのストーリーで構成されている。それは綿密に仕掛けられていてお互いのストーリーは深く絡み合いながらやがて一つに溶け合う。この小説は短い短編であるが再襲撃であることや、彼の心の中の海底火山の上に浮かぶボートの状況を説明することで無限の広がりを持つ。幾重にも重ねられた物語の深みだ。そして呪われている事実をはっきりと語るのは妻である。妻は二人目の相棒であるということ。物語のプロットにつながりを持たせている。パン屋をもう一度襲うことでその呪いが解けるという展開をもたらすのだ。あがなえない空腹を満たすものとして。そしてやはりこれが村上春樹でなければ仕掛けることは叶わないであろうプロットとして、一度目がワグナーが趣味のパン屋であることに対し、二度目は「マクドナルドを襲う」ことである。さらに、ビックマックを30個テイクアウトで、襲うのである。襲撃している状況に対して、ようこそマクドナルドへと言わせる。マニュアルにないこと。この辺りも物語自体が必然性をもって進んでいない面白さを醸し出している。一度目に対し二度目のコントラストを表現している。ルグインもよく似たことを語っていたし、村上春樹も自身のエッセイだ語っていたが、まず頭の中に何か世界があって書き進めるにつれそれは表現されていく。書き進めるまではどうストーリーが展開するかはわからない。ということだ。つまり、主人公の物語のようなものはなんとなく世界観がありそこで登場人物は勝手に動き回るという作家の説明である。やはり、物語が生み出される状況はなかなか作者自身には分析されにくいものであろう。プロットの構造もその作家の性格と言って良いかもしれない。語られ方としては呪いのことを妻に打ち明け、そして、妻から再襲撃を促される。妻は満足げにビックマックを4個も食べて眠る。呪いが解かれる。物語のプロットとしては妻に自分の過去を語るところから始まる。呪いを受けている過去の襲撃について襲撃をし直さなければ呪いは解かれないと妻に宣言される。過去の相棒、現在の相棒という関係性である。呪いについては具体的には述べられておらず、洗っていないカーテンのようなものとだけ語っている。それは真夜中のパン屋が営業していない時間に突然夫婦を襲う永遠に続くかもしれない空腹感である。我々現代人はこの渇きを持って生きて行かなければならない。マクドナルドではワグナーの音楽はかかっておらずそれを聞くことが条件にもなっておらず襲撃のみで成り立っている。襲撃1と再襲撃の違いはワグナーを聞くべきであったかどうかというプロットのちがいだ。ワグナーを最後まで聴くという条件、純粋に襲撃のみを行うということができなかったためにその後の自分や相棒にとってさまざまなズレを生み出してしまったということ。それを2回目の襲撃をメインに1回目の襲撃で呪いを解いていくというプロットとして素晴らしい部分である。ストーリーは重なり合い、絡み合い、再襲撃であるという部分で村上春樹の小説のプロットの特徴を色濃く持つ素晴らしい短編小説である。

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