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子どもの「教育」への熱心さは何の裏返しなのか

子どもの習い事の関係で、他にも習い事をかけもちでさせている親御さんと話す機会があった。
塾とそろばん、サッカー、体操をやっているらしい。
幼稚園生である。
塾の勉強の他に漢検や英検を受けさせたいけれど試験勉強の時間がないそうだ。小学校受験は通学の便が悪いからと諦め、中学受験をさせようかと考えているらしい。ゆくゆくは〇〇高に行ってほしい、と、地元では有名な高校の名前がでた。ご主人はサッカー強豪校に行かせたいらしく、夫婦で意見があわない、と。

習い事が終わるといつもお子さんを急かすようにして車に乗り込んで行くから、忙しそうだなと思っていたけれど、そういう事情だったのか、と思った。
そして、なんだか不思議な感じがした。
それだけ多くの習い事をさせる経済的余裕があるのはすごい、とも思った。平日は毎日習い事の送迎をしているそうだ。塾と体操を2件はしごする曜日もあるらしい。塾の宿題もあるはずだ。
お母さんもお子さんも、その努力は尊敬に値する。
実際、塾での成績は上位のほうらしく、習い事の教室でも活躍していた。

けれど。僻みではなく、羨ましいとは感じなかった。

いつだったか、夫が
「学歴コンプレックスがある親ほど、インターナショナルスクールに通わせるらしいよ。芸能人見ててもそうだよね。」
と言っていた。
例外はあるにしても、たしかにそんな傾向がある気がする。お受験や中学受験も、スポーツもそうなのかもしれない。自分が成し遂げられなかった目標を子どもに託しているのだろうか。

私自身、幼い頃から運動が苦手で嫌いで、大人になった今も体力がないことを気にしている。そのせいか、子どもには体を動かす習い事を、と考えた。
だから、勉強にコンプレックスがある人が子どもに「勉強を苦手になってほしくない」と思う気持ちはわかる。
一方、私も夫も勉強はまあまあ得意だったので、学力の面では「親に似ればそこそこの点は取れるだろう」と思っている。それが転じて「自分がここまでできたのだから子どももできるはず」となることだってあるかもしれない。
前述のお子さんのお父さんは学生時代サッカーに打ち込んでいたらしい。「上手ければ推薦がとれる」と言っていたようだから、自身ももしかしたら推薦枠をもらえるほどの選手だったのかもしれない。巨人の星ではないけれど、幼いうちから良いチームに入れればプロになれるのでは、と夢見てしまうのも不思議ではない。

でもそれは、子どもの幸せを願っているようには、私には見えない。
子どもを利用して親としての自己顕示欲を満たそうとしてないか?と思ってしまう。

子どもがどんなにサッカーを好きだったとしても、そこには「ぼくがサッカーを頑張ればパパが喜ぶから」「ぼくがサッカーを辞めたらパパががっかりするから」という気持ちがあるはずだ。親が熱心であればあるほど。親の気持ちを、たいていの子どもは驚くほど繊細に感じ取っている。

だから私は、息子に「なぜこの習い事をするのか」を明確に説明できるようになりたい。
目的はプロになることではない。
基礎体力をつけること。
人前に出る経験を積むこと。
「本番」への心構えをつくること。
基礎練習の大切さを知ること。
それらが大人になったときどう役立つか。
説明しておかなければ、息子は自分のためではなく「お母さんのために」頑張ってしまうかもしれないから。

最近、保育園から帰った息子がよく言う。
「きょう、ほいくえんがんばったよ、おかあさんのために」
私はこう答える。
「ありがとう、お母さんも息子くんのためにお仕事頑張ったよ」
息子には、保育園は仕事と同じ、と教えてある。学校もそう教えるつもりだ。そして小学生になったら、仕事はなんのためにするのかを息子と一緒に考えたい。

そんなことを考えられさせた、習い事の一コマだった。

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