もず

働く主婦。 出身地:東京都 所在地:九州の田舎

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最近の記事

息子が一人で眠るようになった

息子、4歳。 1年前まで、おっぱいがないと眠れなかった男である。 保育園の年少さんになった4月に「年少さんはお兄さんだからパイパイはしないんだよ」と言い聞かせてようやく添い寝だけで寝かしつけられるようになった。 保育園でのお昼寝は本人曰く「ぎゅっ!と寝る」そうで、気合を入れれば一人でも眠りにつけることはわかっていた。ただ、「おうちで寝る時はぎゅっ!て寝るのはやだ」と言って、私の脇に頭を埋めたり、私の腕を抱きしめたり、私の手のひらを自分の頬に当てたりして、息子なりに心地よい体勢

    • 子どもの「教育」への熱心さは何の裏返しなのか

      子どもの習い事の関係で、他にも習い事をかけもちでさせている親御さんと話す機会があった。 塾とそろばん、サッカー、体操をやっているらしい。 幼稚園生である。 塾の勉強の他に漢検や英検を受けさせたいけれど試験勉強の時間がないそうだ。小学校受験は通学の便が悪いからと諦め、中学受験をさせようかと考えているらしい。ゆくゆくは〇〇高に行ってほしい、と、地元では有名な高校の名前がでた。ご主人はサッカー強豪校に行かせたいらしく、夫婦で意見があわない、と。 習い事が終わるといつもお子さんを急

      • 多世代地域に暮らして、死の近さに気づく

        田舎の村に越してきて5年以上が経ち、ようやくご近所の方からぶっちゃけ話を聞ける瞬間ができはじめた。よそ者扱いは変わらずだけれど、お客様ではないくらいには受け入れてもらえたらしい。 あの家は実はこんな事情がある、あの人はこういう癖があるから話す時は気をつけて、あそこの娘さんはどこに住んでいるのかしら。そんな会話の中で、近所のお年寄りの話、もう亡くなった方の話、遠方に住む息子夫婦への思い、介護をしているときの気持ち、自分が年を取ったらどう死にたいか、なんかを聞きながら、ああ、こん

        • 伝統という価値に思いを馳せる

          能登半島の地震に関連したニュースで、復興か移住か、という話題がXのおすすめに流れてきた。 奇しくも大好きなコテンラジオの番外編で、菅原道真の子孫で太宰府天満宮の宮司をされている方のお話を聞いたばかりで、「伝統」というものについて考えさせられてしまった。 冒頭の「復興か移住か問題」は実はたくさんの議論をはらんでいると思う。 大きく分けて「何で生計を立てているか」「どんな資産を持っているか」そして「伝統文化を終わらせられるか」だ。 私もいわゆる限界集落に住む身で、もしも大災害

        息子が一人で眠るようになった

          「推し」という言葉への小さな違和感

          ずっと違和感があった。それは自分の心がおばさん化しているせいだと思っていた。 年明け、大晦日の紅白歌合戦への感想がXのおすすめにたくさん流れてきた。YOASOBIのアイドルの演出や、伊藤蘭さんの親衛隊に言及したものが多かった。 やはりどうしても「推し」という言葉が気になる。 長年アイドルのファンをやってきた私は、実は「推し」という言葉をあまり使わない。それは私の時代には「担当」という言葉があったからなのだけれど、私は誰かの熱心なファンであったとき、そのタレントやアイドルを「

          「推し」という言葉への小さな違和感

          現代人が無駄に忙しいのは「販促」のせいなのではないかと疑っている

          技術がこれだけ進歩しているのに、どうして私たちはどんどん忙しくなるのだろう。 と、かれこれ数年間ずっと考えている。 そんなときにふと病院の診察室で、製薬会社のノベルティらしき文房具を見かけた。ドクターを待ちながら、「あー、このマグネット単価いくらくらいなんだろ。ボールペンもカレンダーも。文房具を安くしないと売れないのも道理だよね、タダであちこちで配られてるんだから。MRの人もマメにこういうの配って大変だなあ。そのコストも医療費に乗っかるんだから、もとを辿れば国のお金から出て

          現代人が無駄に忙しいのは「販促」のせいなのではないかと疑っている

          ゆる仏教徒である我が家の子にクリスマスを経験させるか問題

          私と夫はゆる仏教徒である。 いわゆる一般的な日本の人々と同じように、お墓参りは寺に行き、正月は神社に詣で、結婚式を教会で挙げた。そういった人々の多くは自身を無宗教だと思っているらしいが、私はこれは「重宗教」あるいは「多宗教」ではないかと考えている。それはさておき、私達夫婦はどちらかというと仏教と神道に比重を置いて暮らしている。 例えば、息子の保育園はお寺の保育園を意図的に選んだ。夫の実家のお盆の棚経や法事は欠かさず参加して読経もする。正月を除いても年に数回は近隣の比較的大きな

          ゆる仏教徒である我が家の子にクリスマスを経験させるか問題

          育児休業を「育業」と呼ぶのだと知った日

          テレビも見ない、新聞も読まない私は色々なことに疎いので、noteのお題で「育業」という言葉を初めて見た。 育児が仕事ってこと?え?いや仕事なんかよりずっと大事なことだしおかしくない?と叫ぶ心は置いておいて、せっかくなので育児休業中の良かったことを思い返してみようと思う。 息子を産んだ当時勤めていた会社はかなりホワイトな職場で、出産時には誰もが1年しっかりと育児休業を取得していた。私も例に漏れずで、復帰後しばらくは時短勤務も経験した。 いまは個人で働いているので、もし子供を生

          育児休業を「育業」と呼ぶのだと知った日

          傷跡に、触れてはじめて気づくもの

          びっくりした。 Podcastで過去のラジオを聞いていた。最近お気に入りの「安住紳一郎の日曜天国」だ。恥ずかしながらこの有名ラジオ番組のことを知ったのは今年に入ってからで、いつの話を聞いても面白いのだけれど、数年越しの企画も多い番組だということもあり、せっかくだからと10年以上昔のものを遡って聞いている。 ちょうど、2011年のあたりを続けて聞いていた時だった。あの日の直後の放送回が流れ出した。あの日、そう、東日本大震災だ。 震災は金曜日だったので、日曜天国は二日後に放送が

          傷跡に、触れてはじめて気づくもの

          消費圧力に怯えた午後

          仕事の関係で、あるメーカーに訪問する機会があった。そのメーカーでは、私のような出入り業者が受付を通ったあとに担当者を待つ場所を、その会社の歴史や製品についての展示スペースにしていて、一番手前には商品が掲載された雑誌が並ぶマガジンラックがある。 女性誌が並んでいた。表紙の華やかなモデルたちがこちらを見つめている。その美しい顔の周りには「いますぐ〇〇ケア」「〇〇が選ぶベストコスメ」「トレンドに着替えよう」「洒落てる人になる方法」「いま着たい服」といった言葉が溢れていた。 怖い。

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          夕飯の食器を朝に洗う話

          偉そうに言うことでもなんでもない。 この数ヶ月、夕飯に使った食器を朝になってから洗っている。なかなか良い。 私は子供の頃から朝が苦手で、機嫌が良くない日も多い。起き上がるだけで一苦労で、頭も回らない。 それが、半年前に息子が年少になり、水筒にお茶と、お弁当箱にご飯を入れて持たせることになった。最初こそ週末にまとめてご飯を冷凍したりしていたが、ここ最近は朝になってから準備している。朝の支度にこれまで以上に時間がかかるようになった。 意識の高い主婦たちの間では、就寝前に食器洗

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          過去の興味から開放してくれ。SNSによってつくられる視野狭窄への恐怖。

          そういうものだから、と言われればそれまでなんだけど、ちょっと興味があって調べた話題の関連情報をいつまでもいつまでも表示し続けるSNSのアルゴリズムに腹が立っている。 X(旧Twitter)といい、Instagramといい。 noteでさえ、一度ジャニーズについての記事を書いてからジャニーズの話題ばかり表示してくる。私はあの件は記事を書いたことで自分の心の整理ができたんだ、もう放っておいてくれ!という気分になる。 ある販促関係のセミナーで「SNSというのはいかにユーザーを長時

          過去の興味から開放してくれ。SNSによってつくられる視野狭窄への恐怖。

          人はみな歳を取るのに

          白髪を、見つけてしまった。 私ももう30代も後半。友人に、「髪染めた?きれいな色だね」などと声をかければお礼とともに「白髪あるからさ、面倒くさいけど染めないと」なんて返ってくる年齢ではある。自分の前髪にも時折白いものが混じっていて、ピンセットで抜いたりしていた。 それが、美容院で髪をカットしてもらっている最中に、鏡の中の私の髪に一筋のキラリと光るものを見つけたときには、なぜかいつものように平然と受け止めることができなかった。 髪の束の中に長い長い白髪を見つけたのが久しぶりだっ

          人はみな歳を取るのに

          私のアラジン

          ディズニーの映画はどれも好きだけれど、ずば抜けて好きなのはアラジンだ。 この歳になって恥ずかしげもなく惚気けよう。私は、夫をアラジンのようだと思っている。夫に出会い、会話したときに、A Whole New Worldの歌詞そのままだと感じたのだ。今もその想いは変わっていない。 それまでの私にとっては、夫はとんでもない人だった。 軽々しく他人に声をかけ友だちになり(良い言い方をすれば、人脈作りがうまい)、思い立ったらすぐ行動、深く考えているのかいないのか短期間で次々に職を変え

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          未完了コミュニケーションのストレス

          以前、仕事の関係でコミュニケーションスキルについてのセミナーを受けた際、「未完了のコミュニケーションは人間にとって大きなストレスになる」という話を聞いた。その時は、夫との会話や、仕事上のコミュニケーションでの対面の会話を思い描いて、「そうだよなぁ」と思っていた。 しかし対面の会話では少なくとも目線や体の動きなどの非言語コミュニケーションによってわずかでも反応を得ているもので、これがテキストコミュニケーションになるとストレスが何倍にも膨れ上がる。そんな体験をした。 先日の記事

          未完了コミュニケーションのストレス

          嫌なことは重なるもの

          ちょっとした嫌なことが重なった。 体調が悪い日に、仕事で一番忙しい時間帯にミスをして、お客さんから「前々からここが不満だったんだけど今日ついにミスしたよね」と指摘があり、お客さんが一人減り、わざわざ仕事前に準備しておいた夕食を家族に食べてもらえず家族はなぜか外食していて、帰ってきてグズる子どもを前に夫が「俺も体調が悪い」と言い出した。 こういうとき、どうにかして誰かを責めたい気持ちがわいてきてしまう。ひとつひとつは大したことじゃないのに、重なったせいで、あれさえなければ、これ

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