薄氷集(散文詩)

 薄氷のうちに閉じ込められた枯れ葉を、ネイルの先で葉脈のちぎれないように取り出す。叔母は短い言葉と白い息を吐き出し、街灯の明りにその小さな桜の葉を透かして見る。雪に覆われて機能を失った貸駐車場の上。ダウンジャケットを着た彼女は、葉を持つのと反対の手で、幼い甥の手を引いている。葉は、静かに指先で回転した。叔母は身をこごめると、冬枯れを閉じ込めたその葉に口づけ、そして少年に口吻する。それから甥は、ひとつのスノードームとなって、今、駐車場の薄氷たちの仲間となって、短い冬を越えようとしている。

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 粉雪に、雑多なものは吸い込まれ、すべてが澄んでいた。積もった雪を踏み分けて、人通りのない、きらめく夜の路上に出ると、少年はしゃがみこんでアスファルトをじっと見た。ジーンズの生地が膝裏と腿に冷たく食い込んでくる。長い睫毛が、まばたきのたびに瞼を心地よく撫でる。その瞳の前に、薄氷とも雪のかたまりともつかない、透明なものが落ちている。少年は、路上から透き通った丸い物質を取り上げると、宝石の中心から拡散する光の粒子に戸惑い、自分が今まで辿ってきた道と、これから進もうとする道を、剣呑そうに見比べた。少年は、透明なものをポケットにしまって滑らないようにおっかなびっくり、街路灯の下、歩き出した。

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 ヒヨドリが鳴いていた。古い時計が、深夜の二時を指すころ、その人はそのことを思い出している。『眠らない人』と呼ばれているその人には、昼間の小鳥の声を思い返して、どうにか今が夜なのだと自分に言い聞かせている。今はヒヨドリのうるさい声は聞こえないだろう、だから、今は夜なのだ。眠らなくてはいけないのだ。でも最近は、その声も聞こえない。どこか遠くで、家屋の扉がノックされる音が。警邏(けいら)の巡回だろうか。自分が眠らないのを責められているのだと思って、毛布をかぶる。窓の外に音はしない。町はしんしんと、痛みに耐えるみたいに寒々しい沈黙で凍えている。昼間には昼間の怖さが、夜には夜の怖さがある。家からでないその人には、もうずっと、どちらの怖さも重くのしかかってくるのだけれど。どん、どん。いつか、ノックの音が、ついに。どうして最近、ヒヨドリが鳴かないのだろう、と考えて、『眠らない人』はふと思う。もしかすると、町はもう冬なのだろうか。ぜんぶ雪におおわれて、ヒヨドリも、誰もかれも、昼もよるも、すべてふゆのまち、とりもさかなも、ゆきのしたにかくれてしまう。

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 妊娠している妻のために、雪を持って帰ってきた。ベランダに置くと、彼女は小さく笑って、外に出るのはあきらめていたのだから、べつによかったのよ、と男に笑った。彼は霜焼けした手を電気ケトルから立ち上る湯気にかざして、言う。それでいいんだよ、僕がそうしたかっただけだから。スーツのジャケットを脱ぐと、ネクタイを緩めて椅子に腰かける。妻はベランダに置かれた一つの雪のかたまりを、垂れた目で眺める。煮物のにおいがあたたかく部屋のなかを満たしている。お腹をさする。安心して、と語り掛ける。安心してでてきていいわ、すごくきれいなものが、あなたを待ってる。

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