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Vtuberは政治家になれるか?

タイトル通りなことを考えました。

なぜ?

理由としては、Vtuberの未来ってどうなっていくんだろう? ということを最近よく考えるからです。

Vtuberのこの勢いって、いまだけのものなのでしょうか。かつてニコニコ動画でもてはやされた歌い手、ゲーム実況者、やってみた系投稿者って、今は割と定着し、落ち着いている雰囲気があります。

歌い手はプロデビューというゴールがあります。

では、Vtuberは? 




ここから↓すっっっっっっっっごく野暮な話をします。
nakanohitoとか、そういう単語が苦手なひとは読まないほうがいいです(私自身あまり好きじゃないです)。





最近聞いた話のなかで、これはとても興味深い話でした。以前、バーチャル関係の仕事をしているひとがTVでこんなことを話していました。いつもネット上では「美少女」の姿でお話したり歌ってくれたりするVtuberが同人誌即売会に参加するとのこと。しかも、の姿で。
行ってみると、そこにはふつうにふつうなリアルな女のひとがいたとのこと。
でも、この話をしてくれたひとは、こう思ったそうです。

「ああ。今日はこのアバターなんだな」


もちろん、そのVtuberさんがロール・プレイをしているのか、そうでないのか(キャラを演じているのか、そうでないのか)で話は変わって来ると思います。でも、そういう捉え方をすれば、「中のひと」の認識の仕方も、ちょっと変わるかなと思いました。

どうしてこんな話をしているのかというと。

私のなかにこんな考えがずっとよぎるからです。

〈Vtuberは数年後に、アバターから抜け出して活動するのか、否か〉


はい、すごく野暮な話してます。ごめんなさい。

でも、私は今のこのVtuber文化がすごく好きなんです。だれにも邪魔されたくないから、企業が行っているVtuberの飼い殺しは正直みていられません。どうにかして、Vtuberというものがもっともっと長続きしてほしい。みんなに幸せであり続けてほしい。

だけど、終わりのないものはありません。きっといつか終わりがきてしまいます。でも、その終わりがなにかの始まりであってくれればいいと思います。

そのひとつとして、さきほどのお話をもとにいろいろ考えてみているのです。そして、私の中で出た答えのひとつが、これです


「現実の姿=Vtuberのもうひとつのアバター」


……書きながら、やっぱりこれはないな、と思ってしまいます。でも、数年後、私たちがどう受け止めるかはわかりません。でもでも、やっぱり、私の大好きなVtuberたちが、Vtuberであることを捨てていくところはみたくないな……ずっとずっと幸せでいてほしい。そのかたちは人それぞれだけど…。

Vtuberには、Vtuberでしかできないことがたくさんあるし、実際今、その方向へとどんどん進んでいっています。

ヘッドセットを用いて視聴者がバーチャルの視点で参加するライブもいくつか始まっています(成功失敗関係なしに)。VRCの世界はどんどん広がっていくし、「REALITY AVATAR」など、バーチャルの体で即配信できるアプリも無料で手に入るようになってきました。

実際、Vtuberにはならずとも、アバターを用いて情報を発信しようとする人が増えてきています。今年や来年あたりから、「個人の特定を避けるために顔を出したくない」「論説に根拠を持たせるために説得力のある姿でいたい」「かわいい自分をみてほしい」などの理由で〈ネットでの活動=アバターでの活動〉という式が自然になっていくように思われます。

誰もが自分のお気に入りのアバターを所有できる社会になってくると、Vtuberで活動するひとと、単にアバターを所有するひとの違いは、個人の持つ資質になってきます。

あるひとが言いました。

「一生のうちにいくつも、人を笑わせるネタを生み出すことはできない。しかし、誰もが人生のうち一個だけ、世界中を大爆笑させるネタを思いつくことができる」


Youtubeの仕組みとは、つまりがそういうことです。個人の人生の一瞬を切り取り、集約した巨大なネタの宝庫なのです。

そのなかで、継続的に興味・関心をひくネタを生産し続けられるのがYoutuberなのでしょう。Vtuberだって同じだと思います。
それには、なにかしらのとびぬけた才能が必要です
バーチャル・リアリティでの生活が当然になっていく将来、Vtuberはバーチャル世界での先導者のような役割になっていくのではないでしょうか。手足の動かし方の分からない子供に指導する大人のように。


(話が逸れました)


では、バーチャル世界がこれから発展していった結果、Vtuberのその先にはなにがあるのでしょうか?

そのひとつに、私は政治家という道があるのではないかと思います。
というか、政治家になれるんだったら、Vtuberはもうなんにでもなれるのではないかと思います。

もちろん、今現在活躍するVtuberがそのまま政治家になってほしいという意味ではありません。政治家になるにはたくさんの勉強が必要ですし、人気だけで政治家になれるほど甘い世界ではない……であってほしいと思います。

ただ、私はこう思うのです。

〈Vtuberが政治家になる=バーチャルの姿のままで生き続けられる〉


これには根拠があります。参議院議員に多く見られる「タレント議員」の存在です。彼らは必ず「元格闘家の〇〇」「元アイドルの〇〇」「元作家の〇〇」など、「元」はつきこそすれ肩書を失わずに政治家として生きていけます

つまり、「タレント」というアバターの上に「政治家」というアバターを上乗せして生きていけるのです。

そのうえ、選挙期間中でなければタレント活動はしてOKです。Vtuber活動をしながら政治活動もできます(配信中の発言ひとつひとつがヤジの的になりそうですが)。


「…………いやいやいやいや!!!そもそも、顔も出さずに政治家になれるのか!?バーチャルの姿で当選できたとしても、バーチャルの姿のまま議会に入れるのか!????」


こんなツッコミが聴こえてきそうです。
もちろんそう仰るでしょう。
でも私は根拠をもって言い切ります。

「可能です」


根拠とは、Wikipedia「タレント議員」の項目よりこんな一節。

覆面レスラーが地方議員になった場合、覆面姿のまま議会に入場しようとすると「病気などの理由を除き、帽子やコートの着用」を禁じた議会会議規則に抵触すると判断される可能性がある(中略)が、(覆面レスラー議員S)と(〃D)は議会の別室で素顔の本人確認をすること等を条件に覆面姿の議場入場は認められた。


「覆面」=「アバター」と言い換えれば、この事例は相当大きな根拠になると思います。つまり、Vtuberは政治家になれるのです。

馬鹿なことを言っているようで、私は結構大真面目に考えています。もしもこれが本当に近い将来現実になったら、政治家になるために生身の体は必要ないということです。

「体の性別」や「身体の機能」に関わらず、己の望むままの姿で政治に参加することができるのです


前述した、Vtuberであるための資質の話はここに繋がるのではないかと思います(よかった無駄話じゃなかった)。身体的に縛られるなにかがあったとしても、本人自身の資質そのものが評価される世界がバーチャルの世界です。それが政治にまで敷衍される未来――それって、すごく生きやすい世界に繋がるのではないでしょうか。

もしもそんなVtuberがこれから現れたとしたら……そのときは、本当に時代が変革していく時期に入ったのだと、私は嬉しく思います。

まとまりのない文章大変失礼しました。
ここまでお読みくださった方に最大限の感謝を申し上げます。
ありがとうございました。






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