「もの」(掌編小説)

青い陶器のふちが欠けた。音もせずに私の手からすべりおち、フローリングに堕ちるまでの時間をいつも長く感じる。一瞬のうちに人は多くの夢を見るし、いくつもの疑問を抱くことができる。どうしてこれほどに物は脆く、私というものも壊れやすくできているのだろう?

たった一度の睡眠がうまくいかないだけで、いろいろなものがかすんで見えるようになる。手が止まって、仕事が進まなくなるとき、テーブルに置いた腕時計の秒針を追いかけている。以前つきあっていた彼氏がくれたその腕時計はピンクゴールドの輝きを持ち、ダイヤモンドだという小さな石が2の位置に嵌っている。

誕生月が2だから、といってくれたその時計のベルトを腕に回すことはなかった。彼とはその誕生日の翌日に別れてしまった。シーツのうえで手を伸ばしたときに、彼氏の顎に触れた。髭がうっすらと生えてきている大学生の彼氏は、まだ若いというよりは幼くて、私は暴風になった。強く吹き付ける風になり、汚れのない窓に身を添えようとして身を投げうつ気分になった。窓のなかには、彼と見知らぬ女がささやかなパーティをしていた。

火をくべることは、命をつなぐことだった。

キャンプ用品をメルカリ用の段ボールに入れて郵便局に持っていく。着火剤やチャッカマンというものばかりが物置に残ってしまったが、椅子や簡易テーブル、マグカップや焼きマシュマロ用の串(こんなもの一度しか使わなかった)というものは持っていても仕方のないものだった。ただ一度だけ、大学生の彼氏が未成熟な頬のやわらかさで微笑みながら、

「佐久さんってさ、火を見るのが好きだよね」
と言われたときの、安堵感はおそらく二度と手に入らないのだろう。この人は、十も歳の離れた私のことをよくわかってくれている。キャンプ用品店で働いているからといって、キャンプが好きなわけじゃなく、営業にそもそも知識は邪魔だと思っている私には、キャンプ好きの彼はまぶしかった。
「火はいいよね。俺は火をみるためにキャンプをしているのかもしれない」

温かかった。火と適切な距離を保って手をかざすと、風に揺れながら火の粉を散らす焚火が頼もしく思えた。壊れながら自己を作り、移ろいながら自己を充たす。若々しい火は宇宙みたいだった。

寒いキャンプ。その翌月が2月だった。3月にはコロナが始まり、私はリモートワークでの勤務が続いたから、店頭で働く彼とは自然と顔を合わせなくなった。家にいるということと、家で暮らすということはまるで違っている。働くことと、生きることのはざまで、私はうまく眠れなくなった。そばに誰もいないということがこんなにも辛いなんて、とも思うし、自分が、たったそれだけでこんなにも壊れてしまうものだっただなんて。

コンロに火をつけ、湯を沸かす。温度の上昇とともに弱火に自動設定される音、ピッというお知らせの音が、「そういうものですよ」と告げてくる。パソコンからは、会議用のアプリの通知音。「始まりますよ、会議が」そういうものですよ。なるほど、と私は火を止める。まだ飲み頃ではない白湯を、ふちの欠けたカップに注ぎ、テーブルに戻る。

火ではなく、あるいはものであれば。
ものであると断定すれば。
やすやすと眠れるのだろうか。








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