ボヘミアン・ラプソディを見てから2週間経っても全く熱が冷めない

 何かと話題になっている映画「ボヘミアン・ラプソディ」。2週間ほど前に劇場で見たのですが,それからというものQueen熱というか余韻がまだ引きません。この映画の何がそうさせているのか,熱に浮かされたまま書いていきます。

見に行く前に

 見に行く前からかなり期待値は上がっていました。

 こちらが予告編。これだけで期待がうなぎのぼりします。YouTubeの広告やテレビのCMも時折目にし,じわじわと映画への気持ちが高まっていました。あとはこんな動画もループしていました。

 なぜかジョージマイケルのカバー版。この演奏は「フレディが憑依した」とも評されるほどフレディを完璧にコピーしています。それでいてジョージマイケルらしさもあるという奇跡的なバランス。まあ,ともかくそれなりの期待値で劇場へと半ば衝動的に向かったのでした。

実際映画を見てみて

 オープニングはライブに臨むフレディとともに「Somebody to Love」。劇場に行く前からループしていることもあって映画が始まる前に長ーいながーい予告編を見せられて焦れていた私は一気にその世界に持っていかれました。そこからのストーリーはQueen結成,楽曲のヒットとメンバーとの衝突,そしてフレディの同性愛の葛藤,とかなりスピーディーに展開していきます。クライマックスはグループ崩壊の危機とフレディを蝕むエイズを乗り越えてのチャリティーライブ「ライブ・エイド」でのパフォーマンス,伝説となるための21分間となります。

 その21分間は本当に圧倒的と表現するほかなく,音楽のパワーで殴られているというかこめかみを撃ち抜かれたような,そんな感じです。それを実現しているのはフレディ役のラミ・マレックの演技と映画館の大スクリーンに音響,そして当然Queenの名曲たちです。その全てが全力で脳を蹂躙していきました。実際見る前はライブみたく「Queenの曲だー!うおぉぉぉ!」となるとは思っていましたがまさか泣くことになるとは思いませんでした。脳の処理が追い付かないとそうなってしまうのですかね。

 映画としてはどうなのか

 Wiki曰く,映画としての評価は結構割れているみたいです。平凡なストーリー,単純化されたフレディの描写などが評論家に批判されているようです。一方で見た観客からの評価は非常に高いようで,作中のボヘミアン・ラプソディ(楽曲)の評価と同じ構図でなんとも皮肉な感じがします。 

 まあ実際のところストーリーの平凡さや脚色に関しては私も感じるところはありました。実在の人物をモデルにしているのでその辺のさじ加減は難しいだろうなとも思います。その他にもこまごまと気になる点はありました。

でも,そんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない

 これは映画でなく2時間半のミュージックビデオなんだ。ストーリーも脚色も登場人物たちの葛藤もすべてラスト21分のための引き立て役に過ぎない。それを拾って批判するのはステーキを付け合わせのコーンの味で評価するようなもので,不毛だ。この映画を見るときは音楽の持つパワーに殴られ,Queenの曲にこめかみを撃ち抜かれ,ただただあのライブ・エイドの観客の,視聴者の一員となればよいのです。それだけのために劇場に足を運ぶ価値は十分にあるし,音や映像の迫力を考えれば劇場で見るべき映画だと言えると思います。

最後に

 本当に何年ぶりってぐらいで劇場で映画を見たということもあって,いまだに余韻に浸っています。これほど音楽のパワーを感じたことは初めてでした。これを機に劇場にも足をどんどん運んでいきたいなと思いました。

 以上,お納めください。

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