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大嫌いなわたしのはなし



わたしは自分のことが嫌いだ。

自分のことを好きだって思えない瞬間がないわけではないし、本当に幸せなことにこんなわたしのことを「かわいい」と言ってくれる彼さんもいて、かわいいワンピースも好きだし、毎日脚のマッサージをして、クリームを塗って、着圧タイツを履いて寝るし、顔だってマッサージをして毎日パックをして寝る。
かわいくなるための努力は、わたしよりもかわいい人と比べたら天と地の差かもしれないが、それなりに頑張っているつもりだ。

それでも、鏡を見れば、一重の重たいまぶたが嫌だなあ、とか、丸い顔がむかつくなあ、とか、このシミが嫌いだなあ、とか、この毛穴どうしてなくならないのかなあ、とか、この余白がいらないんだよなあ、とか、どうしてこんな顔なんだろうなあって、嫌なことばっかり目について、嫌な気分になってしまうことが多くて、ひどいと鏡を割ってしまうこともある。
街を歩いて、お店のガラスに映った自分の姿を見て、バランスが悪いなあ、とか、もっとウエストが細かったらこの服はかわいく見えるんだろうなあ、とか、肩幅広いし嫌だなあ、とか、そもそもわたしみたいなかわいくない人間がこんな服を着ていたらダメなんだよなあ、とかも思ってしまう。

女子ならみんな当たり前なのかなって思ったりもするし、わたしの努力が足りないだけなのかな、とも思うけれど、どんな自分でも自分のことを大事に思って、嫌だなあって思うことがあってもまあいいか、くらいで生きていける人もいる気がしていて、どうしてわたしはこんなに自分のことが嫌いなんだろう、と思う。今の時代、どんな体型でも、どんな服を着ていても、どんなメイクをしていても、批判されにくくなっていて、“ありのままの自分を愛して”みたいな言葉が世の中を歩いていて、わたしもそれでいいんだって思おうと思ったけど、どうしても無理で、自分は自分のことが嫌いなのにどうして無理にそう思わなきゃならないんだろうって気持ちに蓋をしているみたいでとても苦しくなってしまう。


嫌いとまでいかなくても、ここはちょっと嫌だけど、これもこれだし、しかたないし、みんながみんな同じ顔になれるわけじゃないんだから、大丈夫だよね、くらいの、グレーの思考があったらな、と思う。本当はそう思いたいのも事実で、それでも、わたしのスイッチの振れ幅は、未だに、0か100かしかないらしく、好きか嫌いか、の思考になり、嫌いなら自分のまるごとを否定するようにスイッチがはいってしまう。

仕事の関係で、自己肯定感について、講義を受けたことがある。そこでは、自己肯定感とは、自分のことが大好き、というわけではなく、失敗したり欠点だったりということを含めたまるごとを自分だと受け入れることができること、ということを学んだ。

まさしく、わたしは自己肯定感が低いんだと思う。まわりがいくらかわいいと言ってくれたって、そのままがミホが1番大事なんだよと言ってくれたって、自分が自分のことをダメだと思ってたら自分のことを永遠に受け入れることはできないんだよなあと思う。


なんとかしたいなあ、と思いながら、今の思考回路を変えていくのも、自分の気持ちを上書きして嘘をつくようで、苦痛を伴い、とても疲れてしまう。不器用だし、大変な人間だなあ…と自分で呆れながら、自分とは離れられないので、向き合っていくしかないよなあ、という気持ちに、書きながら、なっている。


いつか、自分のことを嫌いな自分もまとめて受け入れていけるようになりたいなあ、と思っている。


#自分のはなし  #コンプレックス

わたしの文章で何かできそうなことがあれば、全力で力になりたいと思っています。