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警察アンチ撮影隊の本性

最近、SNSで、職務質問(=バン掛け)を受けている風景を撮影した動画をよく見掛ける。そして、そのほとんどは職務質問を頑なに拒否し、抵抗の姿勢を続けている。

警察がバン掛けする対象は、なにも主観による怪しさといった曖昧な根拠ではなくて、「異常な人」もっと言うならば「普通とは違う人」「違和感を感じる人」というロジックに基づいて判断している。ここで用いた“ロジック”とは、バン掛けの法的根拠となる警職法第二条第一項の「合理的」という言葉に相当する。


警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。

警察官職務執行法第二条第一項

つまり、バン掛けを喰らってしまった時点で、自分が怪しい、普通とは違うんだ、ということに気がつかねばならない。
しかし、堂々と撮影している以上、犯罪に手を染めている訳でもないとすれば、わざと声を掛けられるような挙動をしているのではないだろうか。そして、「違法職務質問」などというキャッチーなタイトルをつけて、注目されたいがためにネットに上げる。

また、中でも「法律」という言葉を乱用して馬鹿の一つ覚えのように法律を口にしている者もいるが、警察官は、警察学校でミッチリ職務上の法学を学んでいる上に、法的に正当か違法かは裁判所が決めることだとちゃんと分かっているので、スマホを片手にお喋りが止まらない方々は、まるで子どもがオモチャ屋の前でオモチャをねだって大声でわめいているのと同じように見えています。

まとめると、

わざと警察官に声をかけられるような仕草をし、承認欲求とアクセス数のためにスマホを取り出し、弁護士ぶって警察官を困らせ世の中に恥を晒し、虚構の快感を得ている人間が、警察アンチ撮影隊の本性である

ということだ。

さて、先ほどバン掛け対象者の判断法のところで、「普通とは違う」、「違和感」と言った。これに気付くためには、「普通」の状態に目を慣らしておく必要がある。そこで、パトロールや立番において、普通の人の歩き方、挙動、仕草というものを目で見て、しっかりと覚えておく。すると、少しでも違和感がある人が現れると、「大丈夫かな、ちょっと声を掛けよう」、ということになる。

この話は、実は、「警察官の身なりがいつもビシッとしている」、「パトカーがいつもピカピカ」といった話に繋がる。
つまり、常にキッチリした身なりや服装、整備されたパトカーを「当たり前なもの」としておけば、少しの違和感でも瞬時に気付くことが出来るのだ。

パトカーに少し傷が付いているぞ、何があった!
仲間の階級章が斜めっているぞ、大丈夫か!

というように、いつも完璧な状態を保っておくことで、ちょっとした変化でも気付けるように、いつも引き締まっているという意味もあるようだ。

そう、バン掛け対象者の発見法も同様である。

■追加考察
撮影した動画をSNSにアップし、数字を稼ぐことに快感を覚えるというフェーズに着眼すると、繋がってくるのは芸能人に対する誹謗中傷である。
他人を叩き、言いたい放題言って、時には過激なことも言い(そっちの方が注目されるからだ)、アクセス数だけを生き甲斐にしているような連中である。
芸能人に対して、少しの過ちも認められない許容性の無さ、そして自己が見えていない自己中心的なさま、他人の不幸は蜜の味、他人の弱味をここぞとばかりに突っつき、傷口を大きくしては、大衆の前でそれを行う。叩かれた芸能人やその家族、親戚、友人は平穏な日常を送ることが難しいときもあるだろう。対応した警察官は、それでもそういった人たちを守るために日夜活動している。

己を見つめ、立場をわきまえなさい。
男の子が狭い教室という世界で、気になる女の子を意識して、その女の子の前で、わざと皆が嫌がることをしてしまう。子どもだったら愛らしいとなるかもしれないが、そのまま体だけが大人になった人にとって、昔の教室が今やネットになり、気になる女の子とは、今は、そのスクリーンの裏側にいる数十万もの「目に見えぬ」大衆だ。そこに愛はない。
教室はあくまでも学びの場であったが、その人たちにとってネットとは、自己満足の場である。

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