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なんでもない日常を続ける

(小声)mofusand × ファミマにやられています。コーヒーに猫ちゃんはずるい、ずるすぎる・・全部欲しくなる。

最近、前から気になっていた「ねほりんぱほりん」をつまみ食いで見ています。今を生きている様々な人びとの生き方や想いを聞くのはなんて面白いのだろう。今は亡き私の父もそうだったギャンブル依存症の回は家族側の気持ちにひたすら「わかる、、殺したくなるよね・・」と同意しかなかった。アホみたいな遊びに飛んで行ったお金があれば、家族でもっといろいろな経験ができたはずなのに。彼が母にしたことは絶対に一生許せない部分は多いです。

当時の辛い思い出を色々と思い出すのも、時間が経ったからこそ、悪くないと思っています。一つは反面教師として、一つは、そうなってしまう側の苦しさを理解していく材料として。

ただギャンブルは一歩足を踏み外すと、とんでもない地獄に落ちることは間違い無いです。それなのにこの国はカジノを作るそうです。意味がわからない。

お金も家族も何もかも全てなくなることが決まり、一緒に暮らすことが終わった日、彼を一緒に暮らしていた家(彼自身も自分の年老いた母親の家に戻るので家具も何もかもなかった)に置いて、私たちだけ引っ越したあの日、タクシーの後ろから見た父の初めてみるような小さく悲しい顔をいまだに覚えています。

今の家に着いて、私は辛くてすぐに大泣きしました。今まで信じていたものが何も無くなったこと、家族がバラバラになったこと、何もかも、私にとっても何もかも無くなりました。

それから気づけば13年。色々と思い出すと、優しい母と可愛い猫たちと一緒に暮らす当たり前の日常をとても愛おしく思います。今日も一緒に色々話して、鑑賞して、猫たちと家の中で走り回って、夜はお布団に入る。何も派手なことはありません。闇のものに手を出した人たちには、その日常よりも派手で輝かしい生活が欲しくなってしまうように思う。自分の中にそういう欲望もあるから、そう思うのです。

でも毎日変わらない、優しい時間が続く、それが何よりも続くことを信じ続けたい。今の日常をもっと多くの人の苦しみから振り解き、優しい日常がずっと続く社会にしたい。今は願うことしかできないが、少しでも実際に行動をしていきたい。私には力も仲間も運もない。だからこそ小さな場所に文字を書いて、どうにかそれを続けていく。それしかできないけど、それを続ける。