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今日もしんどい

はなまるおばけのまるまるちゃん、可愛いがすぎる。

今日は久しぶりに仕事で怒鳴られた。でも驚くことにもう何も感じない。人がたくさんのフードコートで赤ちゃんが泣いているみたいな感じ。「おお~泣いてるな~」みたいな感じ。こちらにも非があるかもしれない、その罪悪感でもう何も感じなくなった。もちろん単調に謝罪をしながら、今日も息をしていた。

時々、突然仕事を辞めたくなることがある。誰かとの関係や色々な感情、習慣なども突然変えたくなるし辞めたくなる。信じられないほど飽き性なのかもしれない。何か一つのことを長く長く続けているのはフランス語だけかもしれない。まだ一つだけあるだけマシな方かもしれない。

ただフランス語をやっていて自分の生活が(経済的や物理的に)良くなったことはない。フランス語は日本ではただの第二外国語で、ビジネスにも使えない。私は偏差値の高い有名な大学にいたわけではないから、なおさらただのフランス語が好きなおばさんになってしまった。そんな自分を恥じることも多い。

以前留学の良さを紹介するような講演会に出た時、ほとんどが若者でフランス語と共に生きていく自分の未来をとても希望を持って話していて、家庭的にも経済的にも恵まれているな、ととても疎外感を感じたのを覚えている。

私は基本的に努力は実らないと知っている。頑張ってもうまくいかないことばかりである。ひたすらにいつも不幸感がある。自分の人生はあるときにもう一生うまくいかないと信じてしまった。どうやってもそこに希望を持てない。

どんどん夢を叶えて歩いている人たちをひたすらに羨んでしまう。自分はただもう、毎年の契約更新時期にドキドキしながらいつこの今いる道から振り落とされるのかを焦る日々だ。

人と触れ合わない仕事をしたいと思うことがある。家でのデータ入力とか、それだけで仕事ができないかといつも考えてしまう。どうして私は皆のように頑張れないのだろうと、いつも人と比較して生きている。

もう疲れてしまった。なんでこんな気持ちで仕事をしながら生きていかなければならないのだろう。もうずっとお休みが良い。ずっと何もしたくない。ただ自分の好きな人とだけ話して、優しい時間にいたい。

でもきっとそれはそれで飽きてしまうのかもしれない。前職に飽きたから今の仕事をしているのかもしれない。そんないつも不安定な道にいる。そんな不安でいつも心が塞いでしまう。誰か助けてと言っても、誰にもわかってもらえない。「みんなそうだよ」なんて言葉じゃ私は救われない。きっといつまでもこの疎外感を感じながら60歳以上になったら歩けなくなって孤独死をするだろう。その前に自分で自分を殺さなければ。

いつか描いていた夢はこの国では叶わない。この場所では何もうまくいかない。もう何も希望を持っていない。ただなぜか知らないが生まれてきたこの場所で自分を消して生きていくだけだ。なんて辛い時間だろう。もっと優しく、そして自分をしっかりと発信しながら生きていきたい。

とりあえず、今は増税メガネが早く私たちの払い過ぎな税を返し、ベーシックインカムをミソジニーなじじいの政治家どもの財布から勝ち取りたい。脱税ばっかりしているようなアホな政治家しかいない国ではこれから誰も希望を持てない。ひたすらに弱者から搾取ばかりを考える最悪な国だ。あいつらが苦しんで死に、この苦しい世界が変わるのなら、そこまでは生きてやろうかなと逆に燃えてきた。