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日頃の思考したものを およそ週一のペースで綴っています。

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最近の記事

『言葉の渡し方をこれから』

以前にトライしてみた SNSミニ断捨離は わたしにとって向いていると言える。 どう向いているかというと 余計なことにとらわれなくていいことが 出来るからだ。 随分と長い間 ひとの目を極端に気にしていた期間また いい人でいなければいけないという思想期間も 長かったため それが普通であるという思い込みも あったのだ。 その後には 本音を言わずにしてきた反動で 今度はそれを全部に近い状態まで 言ってみようという形にして。 すると今度はいい過ぎるという段階を経て 調整が必要だ

    • 来週の月曜日で

      note記事を一旦終わりにしようと 思います。 わざわざ目を通して下さった方 スキを押して下さった方々 フォローして下さった方々にも ありがとうございます♪

      • 『自分教育』

        自分教育というのが 毎日行われているなぁっと、ふと思い そういう想いを巡らせてみたら その端っこの部分には 自分への日々の声かけと いうのがあるなぁっと感じて その声かけには 普段から聞いている言葉(文章) 選んで吸収している言葉(文章)も 材料になっているように思う。 さらには 大きく自身の感情面に 影響しているのではないかと考えている。 現実的には 聞きたい言葉(文章)だけではないのが はじまりである。 そこでどの言葉(文章)を吸収するのかを 工夫して選ぶ必要が

        • 自身を整える。『今何を思っているのかメモを書いてみる』

          1日をたっぷりと 自分用時間に充てる。 または ここだけは 自分用時間であります。 というときを自らで創り出すのは あらゆるところに平和をもたらす 最重要事項に他ならないと 思っています。 毎日の暮らしの中で 自身以外の音で これがいい あれが有名である これが流行っているなど 外からの刺激が どんどんと聞こえてきます。 外からの刺激に対して スルーが得意な方は もしかすると軽いメモ書きで おしまいになるやもしれませんが わたし自身の場合 よくよく見ていきますと

        『言葉の渡し方をこれから』

          『目の前のことを大げさにしなくていい』

          ものごとを 大げさにしていないかと 定期的に尋ねてみるように トライしてみている。 大げさにすると決めているか。 ここは大げさにしないと 決めているか。 喜び事などは 大げさばぁーじょんでと どちらかというと選びたい派ですが そうでないことは 大げさにしないと決めてみる。 ものごとが大げさに見える場合には 選んでいる方向が 大げさばぁーじょんで 舵をきっている場合が多いようです。 ですので ものごとを 大げさにしていないかなぁ という定期的な自分への問い合わせは

          『目の前のことを大げさにしなくていい』

          見ているところで

          『気になった紙類の入れ替え』 スクラップブックに以前いざっと 果敢に挑戦してみたはいいのですが わたし自身の場合 切って貼る→切って貼るというのが 面倒になってしまい このやり方はわたしには負担であったため 方法を変えてみたのです。 ファイルに気になった紙類をぼこぼこ入れる。 その紙類を定期的に眺めるという形から さらに ファイルを省き 紙類専用引き出しに 出し入れして眺める形に 変化させているところです。 ひとつのやり方が 負担であったならば やりやすいようにシフ

          見ているところで

          『見るところを変える。』

          見るところを変えるには ひとつ準備がどうやら必要なよう。 準備とは 限定期間 普段見ているところを 意図してみないタイムを つくってみることだ。 例えば ミニSNS断捨離もそのひとつ。 まだ表層部分であるのが ほんとうのところなのですが 今までSNSを見ていた時間、 はいこの時間をゆっくり使って ずっと前からやってみたかったことが あったらやってみていいんだよーコールを かけてみると 紙の本をゆっくり読んでみたかったんだとか 新しい布団をたっぷりと自身にかぶせ

          『見るところを変える。』

          【ミニ情報断捨離】

          ミニ情報断捨離を やってみたくなったのでトライ中です。

          【ミニ情報断捨離】

          旧思想のアップデート化をしてみよう②

          自身が何かに対して ムカついてしまうところを ちょっとではなく だいぶ見ていく方法です。 この方法は 自身の心が平和な時には どうやら使えないようです。 行える時期があります。 それは 自身の一部であった存在との別れが起きた時。 自身の一部とは 例えば 兄弟の片割れの結婚で おめでたいことではあるのですが 長く一緒にいた場合には 暮らしの中の一部の風景が 一時的ですが取り除かれるため 妙な寂しさを一時的に憶えることがあります。 その兄弟との思い出を振り返り ムカ

          旧思想のアップデート化をしてみよう②

          旧思想のアップデート化をしてみよう①

          思想を図であらわしてみると 上記の図のようになる。 規則化された思想が内側に 外側に今生まれくる思想がある。 今回のお話しは 規則化された思想をアップデートしてみると 外側も同時にアップデートして 考え方の幅が広がり 悩みの解決材料がぼんっと増えて あれっあの悩みは何処いきましたか? あれっ何で悩んでいたのだろうという 現象が起こります。 どういったことかというと 自分だけの範囲での視野が 自分そして他人両方の範囲の視野に 入れ替わるからではないだろうかと 思っていま

          旧思想のアップデート化をしてみよう①

          【ものごとを受信する心の窓について】

          ひとそれぞれが ものごとを受信するのに 持っている心の窓があると捉えている。 この心の窓にも オン状態とOFF状態が存在していて どろどろとした感情 (怒りや哀しみ)に支配権を 自ら譲ってしまっていると 受信機能がOFFになっている状態である。 窓に何かが届いていても 響かない状態である。 この状態を解除するには どろどろとした感情の支配権を 自身が持つことである。 今回のポイント ○どろどろ感情も自然の一部。 どろどろ感情も持っていることもOK。 どろどろ感情も

          【ものごとを受信する心の窓について】

          思考の凝りをカットしていく遊び。

          伸びた髪をカットすることも ハサミでいらない紙をカットする こともさっぱりする儀式のひとつ。 このカットすることについて 少し※思考あそびをしてみませぬか。 ※ここでの思考あそびとは 思考の凝りを おいさ、ほいさ、よっこらしょっと ほぐしてみる実験型遊びです。 いつもなら気にならないことでも 何故だかマイナスな思考 (不安に感じること)が ぐるぐると回ってきている場合も あったりします。 このぐるぐるが短いと なんてことはないのですが これが長引いてきますと 何だろ

          思考の凝りをカットしていく遊び。

          目から味わう世界とは

          例えば いつも出かけない場所での 新しいスパゲッティ屋さんの空間をも 味わう世界。 はじめて行く場所の八百屋さんの レイアウトをじっくり味わう世界。 海が見えるカフェからの 香草パン粉焼きのメニューが出てくる前の 周りの景色 飾ってある絵画をぼぉ〜っと眺める世界。 景色を眺めながらの 沈黙の時間。 いつもと違う様子を ゆったり味わう世界。 そういった ゆるやかなひとり時間を 自身にプレゼントしてみよう。

          目から味わう世界とは

          【自身の周りの流れについて】

          身近なひと (長い時間そばにいる周りの人)の流れと 自身の流れは連動している。 連動している=つながっている。 例えば 身近なひとに ある悩みが発生している場合にも つながっているため影響を受ける。 なので このつながりからくる影響を調整する 必要があると捉えている。 調整とは ある程度でいいので 区分けすることだと捉えている。 例えば ○自身にとっているもの。 ○自身にとっていらないもの。 ○自身にとって今はいらないもの。 などである。 区分けという言葉が登場

          【自身の周りの流れについて】

          【後悔の取り扱いについて】

          その人それぞれに どうしようもないことにしないと 救われないことも ひとつの手段としてあるように見える。 なので、 そういう手段の取り方もありだと 捉えている。 ただし、あらゆる物事の見え方を その形で使わなくてもいいのでは ないかなぁっと これは はっきりと思っている。 何でか。 どうしようもないことだらけではない そういった視点もあるからなのです。 【もうひとつの後悔の取り扱いについて】 後悔とは何だろうかと 調べてみると 後になって悔やむこと。 ワタシ自身

          【後悔の取り扱いについて】

          【ココロの防衛本能にも段階がある】

          今回のお話しは ココロの防衛にも段階があるのでは っという仮説を立てたところから はじめてみたいと思います。 ひとは何かから 自身を守ろうとして まずは表面的なところを防ぐ動きが 第一段階に作動します。 代表的には ぱっと出てきたのが 『まっいいか』という言葉で 自身の外側からの圧力を 一時的に遮断することが 可能になってきます。 このような第一段階の防衛の仕方を 例えば十段階であらわしてみたとすると 八段階又は九段階は 一時的な守りをたくさん使いこなして 上手にな

          【ココロの防衛本能にも段階がある】