【1990年のこと】バブルの終わりと、3枚のCD

これは自分にとっての、バブルの終焉の予感のお話。

時は1990年。自分は就職をして一年目。その会社は1年でやめてしまうので1990年はその会社に勤めていた一年だ。だから、そこだけ切り取ったみたいに、その一年のことは思い出せる。思い出される景色や思いが、特別だからだ。

例えば、その年がどんな年だったかというと、たまの「さよなら人類」のシングルとちびまる子ちゃんの「おどるポンポコリン」が出た。ジャンプではジョジョの第三部が連載中。(死神13の話の途中でちょっとコミカルな感じに芸風が変わって戸惑ってた。)モーニングでは「OL進化論」と「ゴールデンラッキー」が絶好調。アフタヌーンでは得体のしれない新連載「寄生獣」が始まり、スピリッツでは土田世紀「俺節」が始まる。あと、高橋源一郎の「追憶の1989年」が刊行されて読んだ。年末にはドラマ「東京ラブストーリー」が始まりますね。この年の終わりには沢田知可子の「会いたい」が流行り、翌年には「愛は勝つ」や「それが大事」が流行する。そんな節目ではあります。少年サンデーで連載中だった「機動警察パトレーバー」は、外国人労働者問題を取り扱ったエピソードをやってた。

バブル真っ最中なのか、終わりの始まりが見えていたのか。そんなタイミング。でもあの経済には既に「バブル」という名前がついていたから、総括が始まり、終わりは始まっていたのかもしれない。そんな時代。

覚えているのは、TVのビールのCMだったかと思うのだけど、90年代はベーシックに戻る時代だ、というようなことを言っていたこと。正直「胡散臭いな」と思いつつも、妙に心に残ってる。

浜田省吾「誰がために鐘は鳴る」

夏休み前、自分は一枚のCDを買った。浜田省吾の「誰がために鐘は鳴る」。「40回目の誕生日に、自分の頭を打ちぬく奴は、あまりに一途な、理想と望みを描き続けたそんな男さ」という衝撃的なフレーズで始まる、「J-BOY」「Father's Son」に続く3部作の最後を飾るアルバムだ。夏休みの間、このアルバムを繰り返し聞いていた。

アルバムの2曲目は、「BaseBall kid's Rock」。その中で浜田省吾は、「今もベースボールキッズ、ただのベースボールキッズ。意味などないのさ、ただ好きなだけ」と歌う。野球選手をモデルにした曲ということだけれど、これは自身のことを歌っていると思った。「ただ好きなだけ」。ベーシックに戻ったように感じた。

あと「サイドシートの影」。恋人とドライブする曲ような始まり方をする曲なのだけど、「そこには誰もいない」のだ。誰も座っていないサイドシートに向かって、愛をささやくラブソングなのである。この寂寞感、虚無感。そしてなんだろう、この一抹の解放感。もうそこには誰もいない。いなくてもいい。

最後の曲は「夏の終わり」。「もう誰の心も引き裂くことなんてない。手に入れたもの失ったって構わない。残された僅かな時間静かにひとり暮らそう」。そうか、ハマショーは誰かの心を引き裂いていると感じていたのか、と思うと同時に、手に入れたもの失ったって構わない、という歌詞が印象に残る。そしてハマショーはどこかへ去って行ってしまった。

「J-BOY]「Father's Son」の続きという感覚で聴いたということもあるだろう。でもそこにはなんというか、すでに仮想敵は目の前にはいない、という感覚が漂っていたように思えた。

RCサクセション「Baby A Go Go」

この年の夏は暑かった。自分がその夏の終わりに買った一枚は、RCサクセションのラストアルバム。「Baby A Go Go」。

RCサクセションにとってのバブルは、「COVERS」「コブラの悩み」周辺の喧噪だったのではないか。音楽的・製作環境的には「MARVY」のお金のかかったアレンジが、いわゆるバブルだったりするのかも知れない。そのバブルに違和感を感じ、戦い、そこから降りようとしたのが「COVERS」だったのかもしれないとも思う。でも結果的には「COVERS」が引き出してしまった企業サイドの反応は凄くバブルを感じさせるもので、RCサクセションもそのことへリアクションせざるを得ない状況になる。一部は、本人たちの意図したことであっただろうけど、ここまで大きくなるのは意外だったに違いない。

そんな喧噪の後に届けられた「Baby A Go Go」は、シンプルなアレンジで統一された、モノクロームな印象のアルバムだった。中に「Rock'n Roll Showはもう終わりだ」という曲が入っていて、キヨシローは「Rock'n Roll Showはもう終わりだったら終わりだ。」「なんだよもう面倒くさいんだ」と歌っている。もうひとつ心に残ったのは「大人だろ? 勇気を出せよ」と歌う「空がまた暗くなる」。まるでバブルに踊った大人たち、バブルに踊らざるを得なかった大人たちに問いかけるような歌だ。

そしてこのアルバムは、「楽に暮らそう」と歌う「楽(LARK)」で終わる。ここで、キヨシローもまた、ベーシックに戻り、踊るための舞台から降りてしまった。「HEART ACE」のラストに「山のふもとで犬と暮らしている」という曲があるのだけど、そんな暮らしに戻って行ってしまったような印象。そして実際、このアルバムでRCサクセションは解散してしまう。

佐野元春「TIME OUT !」

そして、秋の終わり頃に買ったCDは、佐野元春「TIME OUT !」。ジャケットはモノクロ。シンプルでベーシックなアレンジの曲が11曲。

佐野さんのディスコグラフィーには、バブルを感じさせるものはなったように思う。このアルバムの前には一年前に「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」があるのだけど、そこにはバブルの影もそこへの反発も、感じられなかった。それだけにこの「TIME OUT!」に感じる何かの区切り感には戸惑ったし、決定的だと思った。

「ジャスミンガール」という曲がある。凄く好きな歌だ。普通に暮らし普通に働く女性に、讃えるでもなく鼓舞するでもなく、そっと共感をよせるような歌詞。「ありふれた月曜の朝、服を選んで、君は曇り空を見て仕事へ出かける。人ごみの中を歩きながら、変わる街並みに虹を歌うのが綺麗さ」。良いですね~。曇り空が良いですよね~。この曲の中に、こんな歌詞がある。「歌の中の恋のように激しくないけれど、週末に約束の時は街へ出かける。」普通の暮らしの中にこそ、小さなきらめきがある。激しいことだけにきらめきがあるのではない。直接ではないにしろバブルに踊り、その虚飾に疲れた市井の人々にそっと寄り添うような一節だ。

それに加え、このアルバムには佐野さんにしては珍しい歌詞が並ぶ曲がある。「ガンボ」。「パーティパーティ盛り上がるんだぜ」って全然盛り上がらない声で歌う。これはバブルに飽き飽きしてる歌とみて間違えないように思う。

そしてラスト曲は「空よりも高く」。佐野さんは「家に帰ろう」と歌う。デビューアルバムに「Back To The Street」というタイトルを付けた佐野さんが、である。「やりかけたこともそのままで良い。灯の当たる家に帰ろう」。やりかけたこともそのままで良い、のか。これは強烈な印象を残した。ハマショー、キヨシローに続いて、佐野さんも家に帰ってしまった。

ちょっと脱線するけど、佐野元春のトリビュートアルバム「BORDER」には、プレイグスによるこの「空よりも高く」が収められていて、これが最高なんです。後半を大幅に拡大解釈して、不穏さを強調してるアレンジ。でも感じるのはむしろ、深沼さんの声と佐野メロディの相性の良さ。このトリビュートアルバムのピークの一つである。

3枚のCD

浜田省吾「誰がために鐘はなる」、RCサクセション「Baby A Go Go」、佐野元春「TIME OUT!」。この3枚のアルバムは、自分にバブルの終わりを告げていた。1990年自体は、ランバダブームの年だし、米米クラブの浪漫飛行も、ユニコーンのアルバム三部作もこの年。調べてみたら、レイ・チャールズの「Ellie My Love」もこの年だった。まだまだ、バブルの残り香は漂っていたと思う。

そんな年、この三枚のCDは、バブルの終わりを自分に感じさせた炭鉱のカナリアだった。この3人のアーティストが、同時に(自分にとっては)似た感触を持つアルバムを出したことも、今考えると驚きでもあり、ある意味では必然でもあったのだろう。

そのことをどこかに残したいと思って、このnoteを書きました。

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