「冬の朝は寒いし慣れない」を千字くらいで書いた文

  冬の朝は攻撃的だ。僕は毎朝布団の中でそう思う。疲れているのかそもそもの眼覚めが悪い上に、肌が寒気を感じ取り、熱のこもった布団の中から動くなという信号を出す。ここは毛布と布団を鎧にして守りに徹した方がいいと体が的確なアドバイスをしてくれるのだ。起きた方がいいという理性的な判断は、2回目の目覚ましのベルでもう少し後で起きように変わり、3回目の目覚ましのベルで果たして起きた方がいいのか?という哲学的な問いにまで変容してしまう。4回目でこのままだと遅刻するわとセルフツッコミをしてもそもそ起きる。なぜサマータイムはあるのにウィンタータイムはないのだろうか。もっと社会全体で遅く起きようよ。

 小さな秋と言うのに小さな冬と言わないのは冬が存在としてでかいからだと思う。探さなくても突然やってきて我が物顔で傍若無人な立ち振る舞い。まさに冬将軍とやらだ。毎日寒いし、冬が本当に将軍なら足軽なりに出兵して、冬の大将首を打ち獲りたいとさえ思う。見てないけど『アナと雪の女王』もたぶんそんな話だと思っている。

 大学時代、沖縄出身の先輩が「雪は歌の中だけで降っていればいい」と言っていたのを思い出す。大学進学で熊本に来て、雪がたまにふる生活を送り、こんな寒さも雪も私の生活にはいらねえと思ったとのことだった。アナ雪が公開する数年前だったから身もふたもないことを言うなと笑った覚えがある。今だと、それがあなたのありのままの意見なんだと一笑されるのかもしれない。

 そういえば『アナと世界の終わり』を見た。ゾンビ映画とミュージカル映画を掛け合わせた変わった映画だ。緊迫した場面でいきなり踊り出すという展開はわりと新鮮で面白かった。ただ青春ものやゾンビ物でよく見るわかりやすい葛藤を歌と踊りで説明するので、歌も踊りも上手いのに学芸会感を不思議と感じた。周知されたテーマで踊るという共通点からだろう。この作品もクリスマス前のイギリスが舞台だ。

 冬は受験の時期でもある。高校生や浪人生だったころ、カレンダーの進行を眺めては死へのカウントダウンのような気がしていた。ああセンター試験まで何日しかない。二次試験まで何日しかない。なぜにこんなにも勉強する時間が欲しく、裁きの時が近づいているというのに、兎角冬は寒く、布団と毛布を払いのける手は重く、起きようという意思はなんと薄っぺらなことか。あれから10年以上経ったがずっとそう思ってる。よく考えたら生まれてこの方、冬は寒いと思っている。

 長々と書いてきたが要するに冬眠したい。コールドスリープしたい。眠ったまま越冬し、春ごろ起きて、春の恵みをもぐもぐ食べながら体を復活させ、冬は終わったのだなと桜を見ながら感じたい。冬に元気なのは小学生とゾンビくらいだ。僕にとって雪は夢の中でだけ降っていればいいのだ。冬よ、夢であれ。

#雑記 #コラム #エッセイ #アナと世界の終わり  

サポートしていただいた場合、たぶんその金額をそのまま経費として使った記事を書くと思います。