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なめくじを食べる

僕はどんな子どもだったか。
もうすぐ3歳になる息子の姿を見ながら思い返す。

その頃、僕は、なめくじを食べた。

6歳上の姉が、学校で「なめくじに塩をかけると溶ける」という事を習ったらしく、家のベランダでも嬉々として実験をしていた。
「塩をかけている=食べ物」という思考があったのだろう(嗜好?)、姉が塩をかけたなめくじを、僕はパクリと食べた。

らしい。

自身の記憶として残ってはいない、母から聞いた話。
そう言われてみれば、料理で塩をつまんだ時、指先が溶けるような感覚が。

ビールのデビューもこの頃だ。

冷蔵庫には父が呑むキリンラガーの中瓶が常に冷えていてる家庭だった。
母が目を離したすきに(買い物から帰ったら、って言ってたかも)
美味しそうに呑む父の姿に憧れたのだろう。
3歳の僕は、そのビールを開けて呑み、酔っぱらった状態だった。

らしい。

自分の記憶として残ってはいない、母から聞いた話。
急性アル中になって運ばれた、とか「栓抜きで開けなあかんのに、栓抜き使ってあけたんや、天才や!」と喜んだ、とか。
この頃から、僕の身体はキリンラガーを欲しがっている。

子どもってのは好奇心旺盛で、自由だ。

滑り台の上から、うん○を捻り出して、滑らせて笑っていた。
記憶にある。
断線したコンセントを拾ってきて家でコネクトして大惨事になるところだったし、レゴを鼻の穴に詰めて取れなくなるのは朝飯前、カッターで掌をパックリなんて昼飯前、人間綱引きで肩を脱臼するのは晩飯前だ。
おやつ前は、母に花束をプレゼントしたことかな。他所の花壇に植えてある花をちぎってきてね。

たくさん怒られたし、痛い思いもしたし、花の時は、泣いたなあ。

少しませた子どもだった。
友達の家でトイレを借りた後、便器をゴシゴシして、スリッパを揃えて出てきたのを褒められた記憶がある。
石投げをして車の窓を割ってしまい、持ち主に「弁償します」と頭を下げて、母に怒られた。「勝手に弁償とか言いなさんな」と。

気を遣う子どもだった。
小学4年生の時に胃潰瘍になったのだから。

もうすぐ3歳になる息子の姿を見ながら思う。
この先、もっと色んな事、思いもよらぬ、良いことも悪いこともあるだろう。
息子がなめくじを食べる時、僕は「どう在れるか、どう在りたいか」なんて事を。

車椅子生活を送る父、それを支える母を見て思う。
いまの僕は、その目にどう映っているのか。
自分が父という立場になり、僕が息子に求めているものは「ニコニコ過ごしてほしい」それだけだったりする。
だったら、まあ、僕はニコニコしているよと伝えて、安心してもらいたい。
僕がニコニコというよりも、僕の周りはニコニコしている人たちばかりで楽しいよと伝えて、誇らしく思ってもらいたい。

メイクを落として、会いにいくか。
そんで、ここまで書いた僕の幼少期の事実確認をしておいて、息子のハプニングに備えよう。
なめくじ以外だと、何を食べそうかな。家の中でしょ? まさかG?

床に落ちたタマゴボーロをニヤニヤしながら頬張る息子を見ながら、自分の幼少期を重ね、父や母の姿を想像し、現在の自分は、父でもあり息子でもあるという(とても特殊な)状態にある事を思い知る。

だからこそできること、やんなきゃね。

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