自分を俯瞰で見る“こっち側”の人

だいたいのことは、自分を俯瞰してみている
良くも悪くもだ。
常に人からのみられ方を気にしている。
かといって人の気持ちは気づけない。

なんの徳があるんだろう

学校に行く自分
自転車漕ぐ自分
人と話している時の自分
人の話を聞く時の自分
廊下を歩く自分
みんなが楽しそうに話している時
話しかけられた時の自分
運転の優しさ


書ききれないけど、いつも自分をもう1人の自分が見て操作している感じ。
みんなと会ってる自分は、もう1人の自分に操作されたロボットのようで。

気を遣えて、場を盛り上げ、リーダーシップのある人間ではない自分の、場の流れを止めないための生き方なのだろうか。

この生き方はもう相当な熱中度が高い行為と1人で全て完結する行為を除いて、心があんまり動いてない気がする。

友達に今日楽しかった!とか言われても
楽しかったとかよくわからんです
もうどうしましょこれ。
早急に治したい。じゃないと一緒の時間過ごしてくれた友達に申し訳なく思う。

でも心を無くしたのか、もう忘れたのか
もう誰と居たら楽しいかと言われると、
答えに詰まる。

結局誰と過ごすかより、何をするかになってしまっている。ほんとは逆がいい。

誰と居ても、
今日は〜するなら耐えられるとか思っちゃってる

俯瞰で見ると言うことは、
きっとその時の自分の感情を一旦抑えているのだろう。

その癖が何年か続くと、
それに慣れて、本当の感情を出さないことが
当たり前になり、本当の感情を見失った。

昔からの友人だと、そこまで影響はないが、
最近出会った友人や、恋人がいた時は
言えない、感じない、思わないが強すぎて
もう自分がどれかわからなかった。

訓練が必要なのですか

思ったことを言えずとも、しっかり覚えておく
自分の意見を心の中でも持つ
なんでも合わせるな
小さいことなら聞かれる前に先に話す

これくらいですか?
まだありますか?どうしたらいいですか

もうこんなに気をつかうだけで、
ちゃんと笑った記憶がない日々はやめたい

せっかく長めの春休みなのだ
何か答えを見つけて、来年度は学校にしっかり行きたい。多分無理だろうけど。
だって心持ってかれてるから。

心と芯を地面に突き刺したい
はぐれないように。見失わないように。

多分毎日癖付くほど繰り返して
癖を塗り替えるしかない。

人間はそいつに気があれば
内面もアップデートできると信じている。



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