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やることを絞るとき

 こんばんは。先ほどスーパーでとても安かったタコを下茹でして満足している山根です。地方民ですので、こういうところが最高だなと思います。

 さて、今日は何年か前から時々文章化したいと考えていたこと「好きなこととの付き合い方」をテーマとしようと思います。

大切だった演劇

 私は小学生のころから趣味の一つとして、演劇をしていました。もともと宿題として出される国語の音読が大変好きで、ある日、母親がちょっとした市民ミュージカルのオーディションに誘ってくれたことが始まりでした。

 以来、高校1年生までゆるーくではありますが、役者をしたり朗読劇に出たりしてきたのですが、高校時代に所属していた演劇部は肌に合わずに半年で退部し、それ以来、大学を出るまでは演劇を辞めていました。
 しかし、社会人になってから運よくつながりを得て、演劇を再開することになったのです。

 再開した演劇は私の社会人生活に欠かせない時間となりました。周りの方に恵まれていたことはもちろん、やはり好きなことだったのだろうと思います(私なりに考える演劇の良さについてはまた書こうと思います)。


 ただ同時に、ある種の違和感も感じるようになっていました。

整理できない自分

「俺はほんとにこのままでよいのだろうか」

 そんな風に考え出したのは、演劇を再開して2年目が終わろうとする頃でした。
 演劇というのは作り上げるために非常に時間を使います。チームで行うことですから当然のことです。また、感情を扱うことであるために精神力も必要です。加えて、当時の私は仕事も忙しく、稽古がない日には何時間も残業していました。

 確かに演劇は楽しい。でも、そのために使う時間と精神力がだんだん負担になってきていました。そんな時、一つの公演からお誘いがありました。 
 それは今から考えても、当時の私くらいの実績では到底お呼びがかからないような規模の舞台でした。

 少し考えましたが、「やらないで後悔したくない」と思い、出演することにしました。

 しかし、現実はなかなかに厳しく、仕事も演劇も精彩を欠く日が続きました。そして千秋楽の日に思ったのです。「もうこれで最後にしよう」と。
 その日以来、表舞台に立つようなことはなくなり、もう舞台から離れて3年ほどになります。

優先順位の大切さ

 書いていると当時のことを色々と思い出してしまい、長くなる文章を何度も書き直しています。それほど、自分の中で印象深い時代だったし、悔しさも寂しさも感じていたのだと思います。
 当時は演劇関係でつながっていた方のSNS等を表示しないようにしてしまったし、関係するような写真はほとんど削除してしまいました。

 なんだかかなぐり捨てたような辞め方をしてしまい、後悔も多いです。本来はここまでなる前に、付き合い方を考えたらよかったのだろうと思っています。

 実際、演劇をやっていて悪いことばかりだったのかというとそんなことはありませんでした。素敵で能力の高い様々な方にも出会えたし、周りの意見を聞きながら自分の立ち位置を探す能力など、身に付いた能力もたくさんあると思っています。
 今でも、演劇の世界は素晴らしいと思うし、タイミングが合えばまたやっても良いなと思います。

 一方で、私が一番優先したかったことは、演劇とは別であったことも事実です。

 人にはそれぞれの優先順位があるはずです。最後の公演に臨んだ時、参加している人の多くは、人生における演劇の優先順位が私よりもよっぽど高かったと思います。
 そして当時の私は、それに整理をつけるのがうまくなく「本当は違う」と思いながら、そこに合わせすぎてしまったのだと思います。本当は自分のできる範囲を正確に知り、できる範囲では全力を注ぐというやり方が良かったのだと思います。

 当時の経験から私が学んだことは優先順位の大切さ。そして、それが人それぞれ違うからこそ、生き方において「こうあるべきだ」という議論にあまり意味がないのだという気づきでした。

 これからも、この感覚は大事にして生きていきたいなと思っています。

 

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