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【七転び八起きの三転び目②】

【七転び八起き】マガジン

 平日でも普通に満席だったし、予約の電話は毎日何度も鳴った。
 半分イタズラで載せたバカデカい広告の効果は絶大で、BRASS MONKEYは移転オープンから連日満席で大盛況だった。少人数から団体客までバランスよく来てくれて、大学生からサラリーマンまで客層も幅広く取り込めた。

 料理をしていて楽しかった。
 オープンキッチンの店内はお客さんの反応がダイレクトに伝わってくる現場だったし、もちろん悪いリアクションもあったが、それ込みでもすごく楽しいと感じるぐらい充実していた。

 ただ、新規のお客さんたちが急激に増加したことで、移転前からの常連さんたちと交流するような時間は確実に減っていった。
 店の作り的にも広くなったこともあり、いつもカウンター席に座って目の前に並んでいた常連さんたちとくだらない話をする甘い曖昧な時間はほぼ無くなった。その時間を楽しみにしていた人たちにとっては、店がなくなったのと同じことだったかもしれない。
 みんなが楽しめる空間を作ったつもりが、そのみんなってのがどこかに消えてしまったような喪失感は常にあった。
 それを噛み締めたり顧みたりするほどの余裕はなく、顧客の新陳代謝を黙って見送るような日々。
 しだいにお店はいつしか交流の場ではなくビジネスの場になっていった。それが経済的には間違いなくプラスのことではあったけど、精神的にはむしろマイナスのようにも思えた。
 同じ選択肢が未来にもあるとしたら、多分もう同じ道は選ばないと思うけど、そこで離れてしまったお客さんたちというのは、この世界線で2度と戻ってくることはない。

 スタッフたちとの関係にしても、お客さんたちとの関係にしてもそうだけど、人間関係ってのはすごく厄介で、それが上手くいってればもっとより良くできたことなんていっぱいあっただろうと思う。それでも選択肢を誤るのは未熟さなのかなんなのか。

 相棒のように感じるほど相性の良いスタッフに出会えたり、弟のように可愛がっていたスタッフが喧嘩別れで去って行くこともある。

 ただ、この頃はとにかく忙しくて、相棒の大学生と2人で料理をして、気の合う仲間たちと店を回すのが気持ちよくて気持ちよくて、忙しいほどハイになる性格だからアドレナリン漬けの日々は嫌いじゃなく、むしろ大好物だったから日常に対する不満はさほどなかった。

 ここからの失敗は典型的なテンプレで、経済的に余裕が出てきたせいで起こるお金の話。
 欲しかった車を買って、スタッフと仕事帰りに連日焼肉に行ったり飲みに行ったり、そのくらいはまだ可愛いもんだしそんなの普通にみんなやってることなんだけど、よくなかったのはハングリーさや危機感を失ってお金に対してになった事と妙に寛容になったこと。

 実際にそうなって残ったのはポケットいっぱいのレシートと来月の支払い明細と飾ってあるだけのガラクタばかり。

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