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やばいしあわせ - 幸せの時恐れを感じるわけ



「しあわせは自分で獲得するものだ」とか、「幸せは自分の選択だ」という自由意志のみを強調する自己啓発っぽい幸福論に何かしっくりしないものを感じていた。

そこで、この「幸せ」についてちょっとだけ深掘りしてみた。

「しあわせ」には自分のしていることと運命が合致する意味合いが元々あったらしい。

つまり、「幸せ」の語源は、自由意志だけでなく、自由意志ではコントロールできない運命的なことと出会う事が、その本質条件として欠かせないものであったということが見えてくる。

ちなみに、「やばい」も自分のコントロールの及ばないこととの出会いが根源にあるようだ。

そうすると、「やばい幸せ」というと、自分の行いと他力が想像を超えて奇跡的に合致した驚きがそこにあると解釈できる。

だから、幸せすぎると怖くなるのか。

まとめると、幸せは自分の努力だけでは、どうにも感じることができない概念のようだ。だからこそ、他力というか、自分のコントロールできない力に対する謙虚な姿勢とか、感謝の心とか、恐れの心が幸せには欠かせない要素であるような気がしてきた。




野中恒宏

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