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昭和43年男の映画生活 ~はじめに~

現在、私は主に「映画解説者」(名刺には自嘲的に「映画解説業者」と記している)と名乗って、地元の新聞・雑誌・フリーペーパーで新作映画のレビューを書いたり、テレビやラジオで映画についてのお話をしたりする一方で、在京の会社でも書籍やWEBサイトで執筆したり、そのつながりで単独著もこれまでに3冊上梓させていただくことができた。さらには、小学生の頃からの夢だったサウンドトラック盤の企画・構成・解説執筆などまで担当させていただくことまでできた。もちろん、それだけでは生活できないので、「フリーライター」という肩書で、映画以外のジャンルの仕事もさせていただいているが、不器用なせいかその数はどんどん減っている。

ただ、私は熊本県の、映画館が2館(小学校中学年の頃に1館に減少)しかない町に生まれ育ったので、当時の熊本市に比べたら「映画鑑賞環境」は良かった方とは言えない。さらに、物書きとしてもきちんと勉強や修行をしたわけではない。独学と言うよりまさに我流である。だから、常に「これで大丈夫なのか?」という不安がつきまとっている。それでも、このような仕事をさせていただいているのは、いろいろなご縁があったからに他ならない。とは言え、使い物にならなければ声をかけてもらえないわけなので、過剰に自分の能力を不安視して卑下することは、声をかけてくださった皆さんを否定することにもなるので、そこは自信を持つべきところだろうと考えるようになった。もちろん“過信”はダメだし、お仕事を頂けていることにアグラをかいてもいけない。さらに喜んでいただけるように、スキルの向上と研究を積み重ねていかなければならない。

しょっぱなから長々と仕事論を書いてしまったが、その「ご縁」を生み出すきっかけになったのは、もちろん私が幼い頃からの映画好きだった、ということだろう(ただし、かなり偏食気味だが)。それは、両親、そして長年同居していた伯母(母の姉)も同様で、彼らの遺伝子を受け継ぎ、まだ理解もできないような幼少期から映画話を聞かされ続けたことによるものなのは間違いない。それが私の中で独自の変化を遂げ、さらには父からのもう一つの遺伝=学者肌の気質が融合し、マニアックな方向へと進んでしまったのだろう。その辺の経緯は、『絶叫!パニック映画大全』(河出書房新社)をはじめ、これまでの著作でもたびたび触れてきた。

恐らく私の「映画好き」は、一般的なそれとは違う「突然変異」的な、かなり歪んだ親しみ方なのだろう。熊本人の特徴の一つとして挙げられる、「わさもん」(新しもの好き)とは正反対の、最新の流行に背を向けて、自分の興味のアンテナに引っかかったもの(もちろん、それが最新作であることも稀にある)を徹底的に追究する。ただ、そういう気質だったからこそ、現在のこの仕事が出来ているのだと思う。

そのような背景も含めて、私がこれまでの54年間にわたって送ってきた映画漬けの人生を通して、それぞれの時代の映画にまつわる話を綴ったのが本書である。これまでの私の著作と違い、個々の作品についての詳細やデータ、批評などは極力少なくし(ただし、主に必要と思われる最小限のトリビアはその都度書いている)、昭和40年代から平成、そして令和へと続く「映画のある生活」についてのエッセイ的なものを目指した。そのため、すべてを年代順に羅列するのではなく、私の経験などに関係することをまとめて書いてある部分が多い。また、私の少年時代の時代的・地理的な問題により、映画鑑賞にテレビが大きく関わっている。そのこともあり、(特に、映画に関係する)テレビネタも頻繁に出て来ることを予めご了承いただきたい。

ここまでに述べたように、私の「映画人生」はかなり特殊な歩み方ではあるが、同世代の方々には共通の経験や共感できる部分も少なからずあると思うし、当時をご存知ない世代の皆さんは新鮮な驚きを覚えるかも知れない。

とりあえず、知識とか蘊蓄とかカタいことは置いておいて、面白がっていただければ幸いである。

(以下、文中敬称略)

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