ライスおかわり自由について一石投じたい。
昨今、ライスおかわり自由を謳う飲食店がしのぎを削っているが、
謳いすぎている。近年の技術革新の功罪か、飲食店を出店するコストが低くなり、誰でも簡単に店を構えられるようになってしまった。国民総開店時代だ。

それに伴い、他店との差別化を図るために、
サービスの一環としてライスおかわり自由の張り紙をする店が後を絶たない。
これは飲食店の威厳を損なわせている原因の1つでもある。
訪れる客の意識の低下問題とも取れるが、飲食店側の威厳低下の方が色濃い。
またこの2つの問題は密接しており、威厳低下が客の意識を低下させていることも否定できない。
本来は、店が客をしばいて、引っ張っていかなくてはならないのだ。

さて、
「君はライスおかわり自由の何に文句があるんだい?嬉しい限りではないか?」
そう問いたい読者諸君のために、とっておきの回答を授けよう。

【ライスおかわり自由】というのは、
おかわりするかしないかの自由を与えられているという意味であり、おかわりを何度も遠慮なくしてもよいという意味ではないのである。

まず、普通のお店に行ったら、ほとんどと言っていいほどライスおかわりに関する張り紙はない。
何も書いていない店でおかわりをする人がいないのは、記述がないからである。
書いてないので、したくともおかわりできないのである。
ライスをおかわりする自由を与えられておらず、
「ライスおかわりしたいなぁ」などと思いながら口淋しく指をくわえて店を後にするしかないのだ。
しかし「何も貼っていない店」の次の段階に「ライスおかわり自由の店」がある。
ここでは、ライスをおかわりする自由がある。してもしなくてもよい。
選択できるということはこんなにも嬉しいことなのか!と有頂天になってしまいそうだが、あくまでも主導権は店側にある。本来、客に自由は無かったことを忘れてはならない。これは主従関係をはっきりしておきたいタイプの店主がやることなのである。しかしながら慈悲の心も持ち合わせているため、こちらのリードにつながれていれば特に何をしてもよい。そういった表れが「ライスおかわり自由」だ。
そして、ここで考えて欲しいのは「おかわりの自由」だけが与えられているということだ。無論、してもよいが、無料ではない。タダで白飯を配るのではない。
この精神を忘れている店がほとんどという現状。これが問題提起した原因である。
自由はあるが無料とは言っていない。
そのため、客はおかわりをしてもよいが、多額のライス料金を請求されても文句は言えないのである。
それを考えずに「おかわり自由」で出店している店が非常に多く見受けられる。
ライスのおかわりを無料で提供したいのであれば「ライスおかわり無料」と書かなければならない。それを怠った先に昨今のような、威厳のない店や意識の低い客が現れるのである。

そして、もう先に書いてしまったが最終段階の店として「ライスおかわり無料の店」がある。
突飛、実に突飛な店である。民衆にとって革命的な店だ。
おかわりし放題なのである。もちろん無料で。何杯食べようがお金は取られないのである。
「金は要らない」なんと寛容なことであろうか。これは店に生かされていると言っても過言ではない。感謝しなければならない。
店に入って「ライスおかわり無料」の張り紙を見つけたら感謝の気持ちを店主に伝え、お辞儀しなければならない。必ずだ。その後、1杯目のご飯を食べて、何回でもおかわりしよう!無料なので心配は要らない1回でも2回でも3回でもそれ以上でも思う存分おかわりするといい。
どんなお店に行っても、まず最初に張り紙を確認すること。それが客として最低限のマナーである。


にゃーん