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絶滅収容所を通過収容所だとする修正主義説への反論――のための翻訳記事。やっぱりユルゲン・グラーフは「嘘つき」だった。

さて、日本で、と言うか日本語上でホロコースト否定の議論をする場合、困難な事項として、否定論の論文などで使用されている関連文献の多くを参照・確認できないという問題があります。取り扱われるホロコースト否定派の論文自体はネットで公開されているものも多く、言語の壁を越えられれば参照は比較的簡単ですが、それらで使用されている海外の文献を参照するのはほとんどの場合無理です。日本語訳された書籍も大抵ありません。

従って、例えばAという証言者が、Bという本の中で、Cという証言を行なっている、と修正主義者が述べていたとしても、Aという証言者名をネット検索で探り当てたとしても、Bという書籍にアクセスできないため、Cという証言が本当かどうかや、どのような経緯でなされた証言なのかなど、より詳しい情報を得ることが直接には出来ないのです。

今回の記事を起こそうと思ったのは、この記事を書く3〜4年ほど前(つまり2020年ごろ)だと思いますが、ネット上の否定派が、「Samuel Zylbersztainという囚人が、トレブリンカ収容所を含めた10箇所の収容所を生き延びたと証言しており、これは絶滅説に反する」のように主張したことがずっと頭に引っかかっていたのです。否定派の信ずるところのユダヤ人絶滅説は「絶滅収容所に収容されたユダヤ人は全員、一人残らず殺された」ですので、極端な話が、一人でも生きてたら、否定派にとっては反論できたことになるからです。実際にはそんなことはないのですが、それはここではさておくこととします。

その「Samuel Zylbersztain」自体はすぐに見つけることできます。日本のネット上の修正主義者が読む文献なんて、歴史修正主義研究会くらいなもので、そこからコピペしつつ大抵の場合、その参照先を示さずにあたかも自分で直接文献にあたったかのように示します。ともかく「Samuel Zylbersztain」を見つけるのは簡単で、それが登場する論文とは、修正主義者のユルゲン・グラーフの論文であるようで、例えば以下のように書かれています(元は歴史修正主義研究会で見つけましたが、翻訳が信用できないため、自分で訳しています)。

トレブリンカが絶滅収容所でなかったとしたら、それは何だったのか? 答えは明らかだ;通過収容所だったのである。多くのユダヤ人がトレブリンカを経由して、マイダネクやルブリン一帯の他の労働収容所に向かったという事実は、ユダヤ人歴史家のアダム・ルトコフスキとタチヤーナ・ベレンシュタインも認めている。1968年、ワルシャワのユダヤ人歴史委員会の会報は、トレブリンカに短期滞在した後、マイダネクに来たサミュエル・ジルベルシュタイン(Samuel Zylbersztain)というユダヤ人の目撃報告を掲載し、トレブリンカ絶滅収容所とマイダネク絶滅収容所のほかに、ジルベルシュタインは8つの普通の収容所を生き延びた、なぜなら彼の証言のタイトルは彼の証言のタイトルが『10収容所の収容者の記憶』だからだ。彼はドイツ人がユダヤ人を絶滅させなかったことを示す生きた見本である。

トレブリンカが、占領されたソ連領の通過収容所としての役割も果たしたという証拠は、それほど単純ではないが、少なくとも一つのケースでは、その明確な証拠がある。1942年7月31日、トレブリンカ開設の8日前、白ロシアの国家弁務官ヴィルヘルム・クーベは、ワルシャワからミンスクへの1000名のポーランド系ユダヤ人の強制送還に抗議する電報を打った。このとき、ワルシャワから強制送還されたユダヤ人はすべてトレブリンカに来ていたので、言及されたユダヤ人はトレブリンカ経由で送られたのであろう。この一回の移送は、トレブリンカが純粋な絶滅収容所であったというテーゼをトランプの家のように転倒させるのに十分である。もちろん、資料は不完全であり、多くの疑問が残されたままである。

現代における最大の冒険
ホロコースト修正主義
エストニアにおけるユルゲン・グラーフの講演
2002年11月25日(タリン)、26日(パルヌ)

この記述の中の、Samuel Zylbersztainについて、グラーフの記述を確かめようとすると、それが書かれている文献を調べる必要があります。で、グラーフの他の論文に、文献名が以下のように書いてありました。

"Pamietnik Wieznia dziesieciu obozow," in: Biuletyn Zydowskiego Instytutu Historycznego (Warsaw), No. 68, 1968
「10の収容所の囚人の日記」、『ユダヤ歴史研究所(ワルシャワ)会報』、第68号、1968年

https://www.ihr.org/jhr/v19/v19n4p-4_Graf.html#59478

しかし、こんなの、1968年のポーランドの文献を参照するなんて不可能、と思って、当時はあっさり諦めました。このように、本格的に修正主義説に反論しようと思っても、その元になっている文献の確認を諦めざるを得ないことが非常に多く、結局その反論には、Holocaust Controversiesブログサイトなどの海外の反修正主義者によってすでに行われている反論に頼らざるを得ないのが実態なのです。

……が、今回、上のグラーフが紹介している文献を見つけました👏(笑)

画像クリックで文献ページに飛びます。

「えー? あるの?」と見つけてびっくりしましたが、まさかのまさか、今時のインターネットは、本当にいろんな文献が電子化されているのですね。これの、53ページからSamuel Zylbersztainの回想記を読むことができます。もちろんポーランド語なので、Googleレンズでテキストを抽出後、DeepLなどの機械翻訳にかける必要があり(ChatGPTは「内容が暴力的だ」として翻訳してくれません)、若干面倒です。……が、翻訳して、さらにびっくり、そしてがっくり、まさかこれを通過収容所説=絶滅収容所の否定として使おうとはまったくもって悪質です。やはり、

「グラーフは嘘つき」

でした。本来は、文献は直接調べるべきであることを再認識しました。Samuel Zylbersztainは確かに10の収容所を生き延びましたが、トレブリンカ収容所が単なる通過収容所で絶滅収容所ではなかった、だなんてこれを読んでそんな風に読めるわけがありません

(註:ジルベルシュタインがワルシャワからトレブリンカに移送された後)通りかかったユダヤ人の囚人が私たちを呼んで、幸運だったと言った。「トレブリンカの歴史上初めて、何人かの移送者がここから去っていく。生きているユダヤ人がここを去ったのはこれが初めてだ。ヨーロッパ中から集まった何十万人ものユダヤ人が、すでにここでガス処刑された。幸運なのは君たちだけだ。そんな風にあなたと仲良くなれたら? あなたは仕事に行き、私はここで死ぬのを待っている」

サミュエル・ジルベルシュタイン、「強制収容所10ヶ所の囚人の手記:ワルシャワからトレブリンカまで」、p.55より

ただ、元の文献を探し出し、そこからテキストを抽出して翻訳するとか、そんな面倒なことをしなくとも、基本的には、ネット上の否定派への反論自体は簡単です。「おまえはその出典をちゃんと確かめたの?」などで済みます。但し、ネット上の否定派は、信者さんばかりですので、真面目に苦労して反論したところで大して意味はありません。それら否定派は、コピペレベルでしか修正主義説を知らず、一次資料(史料)を自分で確かめるようなことはしないからです。

なお、ジルベルシュタインの回想記は別記事で日本語訳をアップ予定です(しないかもしれません)。できたら、会報の全文を翻訳して読みたいところではあるのですが、流石にそれは作業量が多過ぎで今のところはその予定はありません。

さて、今回の記事は、上の文献を見つける前に書いていたもので、いつものHolocaust Controversiesブログサイトにあった、そのグラーフの説に対する反論を、ある記事のコメント欄に見つけたので、記事全文を含めて、いつもは訳さない記事へのコメントごと訳してしまおうとしたものです。しかし、翻訳している最中に、上の文献を見つけてしまったので、ユルゲン・グラーフが嘘つきであることが暴露できてしまったので、読む必要もないかもしれませんが、勿体無いので勢いで全部訳しました(笑)

さてしかし、以下記事の反論相手であるトーマス・ダルトン教授も、当該箇所については、グラーフの主張をそっくりそのままコピペしてるだけのようですね。ユルゲン・グラーフはマットーニョに次ぐ、ホロコースト否定論書籍の出版数を誇る修正主義者ですから、修正主義説のネタの発信源でもあるようで、他の修正主義者によく使われているようです。

以上、何万文字もある、言語道断なほどヒッジョーに長い記事ですのでご注意願います。


▼翻訳開始▼

新しい缶に入った古いニシン:トーマス・ダルトンのホロコースト論争 (1)

本を表紙で判断してはいけないというが、私もそう思う。

経験上、序章と最初の1、2章を読んだだけで、その本を褒めてはいけない。なぜなら、その後にやってくるものは、最初に期待させたものには及ばないかもしれないからだ

しかし、序章と第1章がすでにその方向を強く指し示しているにもかかわらず、その本を、明らかに告白されていない意図を持った著者によって書かれた、薄っぺらな偽装プロパガンダだと断じるのは、間違っているだろうか?


私はそうは思わない。

トーマス・ダルトン博士と名乗る人物による『Debating the Holocaust/A New Look At Both Sides』(ホロコーストを議論する/両側からの新しい視点)(註:貼られていたリンクはアマゾンへの参照リンクでしたが、2024年現在は取り扱いがないのでリンクを省略しています)は、そのようなケースの一つである(著者は、自分が主張する学術的肩書きや、その肩書きがこの本の読者に与える印象をよく考えているようだ)。ネットで入手できる「はじめに」と「第1章」を読めば、この本に何が書かれているかは十分わかるし、お金をかけて手に入れようと思わせるような内容でもない。

イントロダクションでは、「数年前からアメリカの著名な大学で人文学を教えている」学者と称する著者が、ホロコーストとして一般に知られている一連の歴史的出来事に関して、私が「修正主義者」(括弧は、修正主義者が私の考える修正主義者ではないことを示している)と呼ぶ人々と、彼が「伝統主義者」と呼ぶ人々との間の「見解の衝突」を「公平な目で見る」と主張している。彼は、自分は「どちらの陣営とも親しくする気はない」し、「修正主義者ではない」し、「彼らの主張を支持するものではない」と主張している。

はっきり言って、これは明らかに嘘である。

まず第一に、このような性質の議論において、公平である、あるいは公平であろうとする主張は偽善的であるに違いない。少なくとも、公平さを、どちらの側にも立たず、両者には等しく妥当な主張と立場があることを認めることと理解するならば。倫理的な配慮はさておき、問題となっている歴史的記録の本質的な正確さについての賛否両論をよく見てみれば、そのような態度を理性的に保つことは不可能だからである、そして、気付いたのは歴史学と「修正主義」の間には、それらを支える証拠や議論の量と質の両方に関して、とんでもない違いがあることだ。創造論が進化論と比較されるように、あるいは平らな地球理論が確立された地理学と比較されるように、「修正主義」が歴史学と比較されるような違いである。

歴史的な記録は基本的に正確であり、十分に考慮されていると合理的に結論づけることもできる。「修正主義者」がそうでないのに対し、「修正主義者」はすべての証拠を説明する、あるいは、先入観や、「政治的に正しくない」、「反逆者」、「反抗者」、そうした人物の支持者であることの魅力に支えられて、この合理的な結論を遮断し、「修正主義」には何かがあると自分を納得させることもできる。

私は前者であり、この意味で私は公平ではない。しかし、証拠と常識だけに基づいて結論を出すという点では公平であると主張できる。ダルトンは、彼の明確な抗議にもかかわらず、後者を行った。彼の著書の序章と第一章は、大まかに言って「修正主義」への賛辞である、一方、「伝統的でオーソドックスな見解」は、若干のアリバイ的な批判はあるものの、せいぜい問題がある、影響力はあるが不安定である、といった程度である、それゆえ、消極的かつ抑圧的である――「国家の強制力」によって「政治的・経済的権力構造」の利益のために保護された、根拠も正当性も疑わしい「物語」である。以下の「イントロダクション」からの抜粋は、この評価を示すものである:

[…]伝統的な歴史家は、現存する何千人もの目撃者と歴史の重みを味方につけている。その一方で、この物語の大部分を受け入れようとしない、小さな反逆的な作家や研究者たちがいる。自称「修正主義者」たちは、反証を提示し、厳しい質問を投げかける。[…](この討論会は)もちろん歴史に関するものだが、同時に現代の根本的な問題にも言及している:言論・報道の自由、マスメディアの運営、世論操作、政治的・経済的権力構造、国家の強制力。[…]「ナチスによって600万人のユダヤ人が殺された」こと、そしてその殺戮にガス室が使われたことは誰もが知っている。しかし、この話の起源、根拠、正当性について知っている人はほとんどいない。伝統的な見方に対して重大な疑問が投げかけられていることを知っている人は、まだ少ない;もし彼らがそのような質問を聞いたことがあるとすれば、それはホロコーストに疑問を呈することでユダヤ人を攻撃しようとしている「少数の右翼ネオナチ反ユダヤ主義者」の文脈でのことである。そして、修正主義者が提起した深刻な問題や、それに応えようとするある種の伝統主義者の試みについて知っている人は、ほんの一握りにも満たない。[…]修正主義者は正統派に挑戦するだけではない;彼らは国家権力に挑戦している。従来の見解を支持する人々は、大きな影響力を持つ立場にいる。彼らは裕福である。彼らは多くの支持者を持ち、事実上無限の資源を持っている。彼らは、国家権力や世論を修正主義に敵対させることができる。数少なく、手段も乏しい修正主義者が持っているのはアイデアだけである。しかし、かつて仮面の男が言ったように、思想は防弾である。金にも、軍事力にも、政府にも敵わない力を持っている。思想は真実の核心に入り込むことができる。これが修正主義の約束なのだ。それが成功するかどうかは、時間が解決してくれるだろう[...]修正主義者は自分たちに有利な強力な主張を持っており、焚書や懲役刑にもかかわらず、彼らは消えない。伝統主義者は最近、勢いを失っているように見える。おそらく、もう反論の余地はないのだろう。おそらく、生存者や目撃者の矛盾した話を弁護するのに疲れたのだろう。おそらく、60年前の悲劇的な出来事を理解しやすいように描くのは、もう限界なのだろう。

メッセージはこれ以上ないほど明確だ:一方には、絶大な影響力と富を持ち、多くの支持者と「事実上無限のリソース」を持つ「従来の見解の支持者」がいる(このブログの投稿者もその中に含まれるのだろうか、ダルトン氏?)、彼らは、権力を操り、抑圧しているにもかかわらず、その支配力を失いつつある。もう一方には、英雄的な「修正主義者」の劣等生がいる。彼らは自分たちの「アイデア」だけで武装し、「焚書」や「懲役刑」にもめげず、勝利を収めようとしている。「修正主義」に反対する人たちの大半は誰なのかについて、彼が非常に誤った考えを持っている(あるいは嘘をついている)ことを明らかにするのは別として――「政治的・経済的な権力構造」とは何の関係もない、筆者のような控えめな民間人、彼らのしていることと引き換えに、1セントも見たことがない人たちであり、イデオロギー的に動機づけられた憎悪のプロパガンダと合理的に見なされるものに対する嫌悪感以外の何ものでもない――ダルトンは、抑圧的で土足の「伝統主義者」の巨人と、勇敢で機敏な「修正主義者」を並列に並べ、著者自身が「修正主義者」であるか、「修正主義 」の熱烈な崇拝者であることを疑う余地を与えない、彼は、「公平性」という見え透いた口実のもと、「ロビン・フッド対ジョン王子とノッティンガムの保安官」というレトリックで「修正主義」への共感と支持を集めようとしている。

ダルトンの目的は、「修正主義」への共感と支持を得ることだけでなく、その「教え」を広めることでもある、それが第1章で彼が始めたことだ。この章の序章は、著者の立ち位置と出自を明らかにするもである、 というのも、彼は第二次世界大戦をひとつの「より大きなホロコースト」であり、その中に「より小さな」ホロコーストが多数存在するとしているからであって、「ナチス・ドイツのユダヤ人ホロコースト」を除けば、連合国がドイツや日本の民間人や捕虜に対して行ったものである。どうやら著者は、ナチス・ドイツが非ユダヤ人に対して行ったホロコーストを知らないようだ。それは私の記事「ユダヤ人以外の犠牲者は500万人?と思う人もいるかもしれないが(その2)」で取り上げている。あるいは、これらも否定している。例えば、レニングラードに対する犯罪的な包囲だけで、第二次世界大戦中のドイツの都市に対する地域爆撃よりも多くの民間人が殺された。

そして、ダルトンは「このホロコースト」の「広く受け入れられている」定義をいくつか引用し、簡潔に論じ、そして、ホロコースト「物語」の「多くの側面を覆す恐れがある」とされる「修正主義者」による7つの「挑戦的で厄介な主張」を挙げている。これらの「挑戦的で厄介な主張」は、しばらくの間「修正主義者」と議論したことのある人なら、古典的な「修正主義者」の藁人形や燻製ニシンの虚偽以外の何物でもないことを知っているが、このシリーズの今後のブログで一つずつ議論し、その中でダルトンが「修正主義の核心」として提示した論文の「メリット」も取り上げることになるので、今は省略する。

また、「修正主義者」と彼が「伝統主義者」と呼ぶ人々との間に友好的なコミュニケーションが存在しないことについてのダルトンの不満も読み飛ばす。彼は、創造論者と進化論を受け入れる人々との間、平らな地球の理論家と地理学者との間、あるいは月デマ論者や911真実論者と現実世界におけるそれぞれの敵対者との間に友好的なコミュニケーションが存在しないことについて文句を言うのと同じように、古典的で必然的な「否定など存在しない」というマントラに移るかもしれない。

ダルトンは、「否定派」とみなされるためには、「従来の見解」のどれだけを「否定」しなければならないのかと、美辞麗句を並べて問いかける。「否定」という概念にとって重要なのは、何を「否定」するかだけでなく、その 「否定」が何に基づき、どのように表現され、何に動機づけられているかということであることを無視している。たとえば、アーヴィング=リップシュタット訴訟の判決で認められた「ホロコースト」と「ホロコースト否定」という用語の定義を考えてみよう。

「ヒトラー率いるナチス・ドイツがヨーロッパでユダヤ人を絶滅させようとした試みであり、その目的のために建設された収容所での大量ガス処刑を含むさまざまな方法で500万から600万人のユダヤ人を殺害するまでに成功した」とエバンスは主張した。つまり、「ホロコースト否定論者」とは、何らかの理由によって、あるいは複合的な理由によって、上記のホロコーストの定義が、第2次世界大戦中にナチスによってヨーロッパのユダヤ人に行われようとしたことを説明するのにふさわしいという考え方を否定する人のことである。エバンスは、ホロコースト否定の特徴は、政治的動機に基づく歴史の改竄にある、と証言した。

証拠の操作的使用または省略による歴史の改ざんは、否定の重要な特徴として、実際、この現象が修正主義ではなく否定と呼ばれなければならない理由として、このブログの「だからそれは修正主義ではなく否定なのだ」という見出しの一連の記事で指摘されている。

否定の重要な特徴である知的不誠実さと虚偽は、ホロコーストを否定しているわけでも、ホロコーストは起こらなかったと主張しているわけでもないという「修正主義者」の主張にも表れている、彼らは、ユダヤ人が多くの苦しみを受け、50万人(彼が「修正主義」の「核心」と呼ぶダルトンの特徴によれば)が死亡した可能性があることを認めている。これが否定という非難を避けるための弱々しいアリバイに過ぎないことを理解するには、「修正主義者」がどのように自分たちの「バージョン」を立証しているかを見ればよい。ナチスがユダヤ人を強制的に移住させるつもり「だけ」であったという証拠、そして死者数が彼らが「受け入れる」用意のあるものであったという証拠として、彼らはどのようなものを提示するのだろうか? 単に証拠を無視するのではなく、証拠となるものを説明しようとする「修正主義者」であるカルロ・マットーニョでさえも、「修正主義者」的な出来事を説明しようとするときには、曖昧さが目立つ。その理由は明白で、このような物語を組み立てるには、証拠からいくつかの部分を選び出し、他のほとんどの部分を無視する必要があるからだ。例えば、50万人の死者数を「承認」する根拠となる証拠を選別する必要があるが、この「承認」された証拠は、「承認」されない証拠とどのように違うのか、ある統計、報告書、証言が信頼でき、他のものは信頼できないとされる根拠は何なのか、という疑問がすぐに湧いてくる。自分たちの選択基準に関するこの質問に答えられる状況にないため、「修正主義者」たちは、自分たちが「受け入れる」証拠を特定することを避け「拒否する」証拠について、それを完全に無視しない限り、本質的に口論することに限定している。

この非学問的、非科学的で不誠実なやり方、つまり、ナチスが実際にやったと主張することについての正確で実証的な叙述を避けながら、ナチスはやっていないと主張することについて大騒ぎすることこそが、私が考える「否定」という言葉の本質なのである。それはまた、創造論者と進化論者、平らな地球論者と地理に詳しい人との間にそのような議論が存在し得ないのと同様に、「修正主義者」と確立された歴史学を受け入れる人々との間に友好的で公平な議論が存在し得ない理由の一つでもある。

ホロコースト否定の根底にある政治的動機は、上記のアーヴィング=リップシュタット判決からの引用でも言及されているが、多くの国で施行されているホロコースト否定を禁止する法律に行き着く。

私の意見では、このような法律は回避されるべきであり、あるいは法律が施行されているところでは撤回されるべきであるが、それは「修正主義者」に迫害を主張する口実を与え、ダルトンのように不都合な真実を伝えるために迫害の対象になっていることをほのめかすからである、 彼は、「カナダで右翼文学の派手な出版者であり推進者」(エルンスト・ツンデル)、「ドイツで化学の博士課程に在籍したことのある学生」(ゲルマー・ルドルフ)、「著名なイギリスの作家であり歴史家」(デヴィッド・アーヴィング)が、ルドルフの著書の焚書疑惑に関して、「中世に逆戻りするような」法的手続きを受けたと騒いでいるのである。ここにもまた、「イントロダクション」に蔓延する抑圧的な「伝統主義」体制に対抗する英雄的「修正主義者」個人の理想化イメージがある。

しかし、それ以上に重要なのは、このような立法を正当化するために彼が主張する理由(「修正主義者の著作や演説が暴力的な過激派を煽動したり、「若者を堕落させる」(ドイツ)とか、ユダヤ人やその苦しみに同情的な人々に何らかの形で受け入れがたい苦痛をもたらすと推測される」)は、告白されていない下心を覆い隠すための粉飾であるというダルトンの主張である(「なぜ彼らは国会議員の注目を集めることができるのか? 彼らは誰を脅かしているのか? そしておそらく最も重要なことは、彼らは何かを掴んでいるのだろうか? 彼らは、ホロコースト物語には根本的な欠陥があるという主張をしているのだろうか? 国家は、平らな地球を主張する人々を攻撃したり、差し迫った異星人の侵略を警告したりはしない。非合理的であったり、首尾一貫した主張ができなかったりする人々は、脅威とならないので放っておかれる。どうやら「否定派」はこのカテゴリーには入らないようだ」)。

ダルトンがこの主張を支持する根拠や論拠は、せいぜいわずかなものだ。彼は、大量虐殺を否定することが、そのような大量虐殺を受けた民族のメンバーにとって非常に不快であり、苦痛であるという考え方の何が問題なのか説明しようともせず、また、その攻撃的で中傷的な性質こそが、「修正主義」と、平らな地球理論や宇宙人侵略空想のような無害なフリンジ狂気とを区別するものであり、したがって後者が「放置」され、前者が「放置」されない明白な理由であることにも気づいていないようである。そして、「修正主義者」の著作や演説が暴力的な過激派を煽動する可能性があるという考え方に対する彼の反論は、「修正主義」がその一因となった「反ユダヤ的暴力」を知らないといういい加減な発言に終始している。あたかもそれが、刑法の「公序良俗に対する罪」に関する規定の中で、ホロコースト否定を「民衆煽動」の一形態として禁止しているドイツのような立法者の特定の関心事であるかのようである。

ドイツの立法者が懸念しているのは、ルドルフやマットーニョの本を読んだり、デヴィッド・アーヴィングの演説を聞いたりした後に、スキンヘッドがユダヤ人市民を残虐に扱ったり、ユダヤ人墓地を荒廃させたりすることよりも、むしろ「修正主義」が、潜在的に暴力的な人種差別集団や外国人排斥集団のイデオロギー的基盤の一部となっていることである、そして、「修正主義」によってそのような集団がイデオロギー的な後ろ盾を得ることは、彼らの憤懣やるかたない先入観を増大させるだけでなく、「正しい」という信念や自信、団結力をも増大させる。ドイツ国家は、ホロコースト否定を過激派グループ間の結合キットとみなしており、その意味で、禁止は政治的過激主義に立ち向かう手段と考えている。以下の引用は、我々のゲストブロガーでドイツの歴史家ヨアヒム・ネアンデル博士によって書かれた記事MIT DEM STRAFRECHT GEGEN DIE"AUSCHWITZ-LÜGE":Ein halbes Jahrhundert§130 Strafgesetzbuch"Volksverhetzung"(「アウシュビッツの嘘」に対する刑法の行使:刑法第130条「憎悪の扇動」の半世紀:翻訳元にあるリンクは現在利用できない)からの私の翻訳である。翻訳の強調は私のものである。

ドイツの刑法を見てみると、ホロコースト否定に対する罰則の範囲――5年以下の懲役または罰金――は、「軽犯罪」と定義されている違法行為の上位に位置していることに、公平な観察者は気づく22。法律的な素人によっても犯罪行為とみなされるその他の多くの犯罪について、法律は同様の範囲の罰則を想定している。例えば、選挙書類の偽造(§107a)、国会議員への贈収賄(§108e)、若者への性的虐待(§182)、身体的傷害(§223)、窃盗(§242)、盗品の受領(§259)、道路交通の危険(§315c)などである。明らかに立法者は、ホロコースト否定をこれらの犯罪に匹敵する社会生活への脅威と考えていた。なぜなら、ホロコースト否定は、一般に、そうでなければ互いに激しく競争している、すべての右翼急進派、人種差別主義者、反ユダヤ主義運動の最小の共通分母、つまり統合要因と考えられているからである23。ホロコースト否定との闘いは、右翼過激派との攻防において重要な役割を果たすというのが、連邦議会を代表するすべての政党の意見である。

ネアンデル博士の分析によれば、ドイツ国家はホロコースト否定を脅威と見なしている。その脅威はむしろ、政治的スペクトルの中で、そうでなければ見分けがつかないさまざまな過激派グループを団結させ、より危険な存在にする可能性にある。

以上のことから、刑事立法によってホロコースト否定に立ち向かうことの妥当性をどう考えるかは別として、そのような立法が、「修正主義者」が「何かを掴んでいる」ことを示唆していると主張したり、ほのめかしたりする根拠はないということになる。そのような主張は、せいぜい「修正主義者」の希望的観測の域を出ない。

現在の「修正主義の核心」と思われるものを紹介した後、ダルトンは4つの神話を否定する。

最初の神話は、修正主義者はホロコーストは「なかった」と信じているというものだ。彼は、「ホロコースト」という用語の「機能的定義」は存在せず、そのために、また、「ユダヤ人の大規模な殺戮が、少なくとも数十万人規模で起こった」ことを「まじめな修正主義者は誰も疑っていない」ために、「修正主義者」がホロコーストを「なかった」と主張することはできないし、そのようなことをする人は「せいぜい軽率である」と主張している。

実は、ここで不誠実な態度をとっているのはダルトン氏であり、あるいは、木が多くて森が見えないだけなのだ(ドイツのことわざ)。ホロコーストについての一般的な定義がすべて一致していることがあるとすれば、それは、ホロコーストは大量虐殺的な事業であり、ヨーロッパのユダヤ人人口を一掃することを目的とした一連の組織的殺害であったということである。そして、「修正主義者」たちが歴史的記録についてどのようなことを認めているにせよ、ナチスがヨーロッパのユダヤ人を一掃するつもりであったことを認めている者は(少なくとも私の知る限り)一人もいない。ダルトン氏が提示した「修正主義の核心」は、ナチスの反ユダヤ人施策を大量虐殺ではなく、残忍な民族浄化として描いている。そしてダルトンは、「修正主義者」によれば、ナチスの第一目標は「民族浄化」であり、大量虐殺ではなかったと書いている([「民族浄化」であり、大量虐殺ではなかった]はダルトンによる)。ホロコーストはなかったと「修正主義者」は信じていないという彼の主張と、この性格付けがいかにあからさまに矛盾しているかに、ダルトンはどうして気づかなかったのだろうか。

二つ目の俗説は、「死体の写真はホロコーストが起こったことを証明している」というものである。それは、「火葬場の外に積み上げられた死体や、無残に穴に捨てられた死体のぞっとするような写真」が、ユダヤ人を写しているのか、ポーランド人抑留者を写しているのか、ロシア人捕虜を写しているのか、ドイツ人収容者を写しているのかがわからないからであり、また、誰も、「これらの死体の身元を実際に確認しようとしたり、解剖しようとしたり」しなかったからである(なぜ、解剖すれば、その死体がユダヤ人であったかどうかが明らかになるとダルトンが考えているのか、その理由はわからない)とダルトンは説明している。なぜなら、これらの写真は絶滅収容所ではなく、「イギリス人とアメリカ人によって解放された収容所、主にベルゲン・ベルゼン」で撮影されたものであり、これらの収容所では「チフスやその他の病気が蔓延し、何千人もの命が奪われた」のであるから、撮影された死体がガス処刑の犠牲者のものであるという「暗示」があるとすれば、それは誤りである。ダルトンは、絶滅収容所からは「死体写真がまったくない」と語っている。このことだけでも、「従来のストーリーのある側面が疑わしいかどうかを検討する理由になるはずである」。最後に、彼は、「写真に写っているのはせいぜい数百人の死体」であり、「『600万人』にはほど遠いので、自慢の写真はホロコーストの証拠としてはほとんど無意味である」と付け加えている。

ダルトンが「神話その2」に捧げた段落のように、1つの段落に多くのナンセンスと虚偽を詰め込むのは並大抵のことではない。

まず第一に、私の知る限り、まともな歴史家も犯罪捜査官も、戦争末期に解放されたナチスの強制収容所でイギリス人とアメリカ人が撮影したぞっとするような写真が「ホロコーストが起こったことを証明している」と主張したことはない。なぜなら、写真だけでは通常何の証明にもならないからである。写真とは、歴史家が苦労して出来事の事実の物語に組み立てる様々な証拠のモザイク画の一部に過ぎず、他の証拠と異なる唯一の点は、写真を視覚化し、図解化する能力によって、観察者が目撃証言や文書証拠から明らかになることの心象を容易に把握できるようにすることである。問題の写真は歴史家によってありのままのものとして提示されており、戦争の最後の数ヶ月間のドイツの強制収容所の悲惨な状況の証拠の一部である。なぜなら、彼らは赤軍に制圧されたさらに東の収容所から避難した囚人で過密状態にあり、この過密状態は、ベルゲン・ベルゼンのような収容所への避難を命じた人々が知っていた食料と衛生施設の不足と、現場の収容所管理者が無関心であったことと相まって、衰弱した囚人がハエのように死亡する伝染病を引き起こしたからである。このような状況はホロコーストではないし、そのように表現されてもいない;東部収容所からのユダヤ人避難者に関して――西側連合国によって解放された収容所で大量に死んだのは、決して彼らだけではなかった――それは、オーレンドルフ(「第三の時期は、ユダヤ人問題のいわゆる「最終的解決」、つまりユダヤ民族の絶滅と滅亡の計画であった;この期間は、1944年10月にヒムラーが破壊中止命令を出すまで続いた」)とヴィスリセニー(「この命令は1944年10月まで有効だった。このときヒムラーは、ユダヤ人の殲滅を禁じる反対命令を出した」)がIMTで証言したように、1944年末に中止された大量殺戮計画の最終的な結果と考えるのがせいぜいであろう。解放された収容所の犠牲者が誰で、どこから来たのかは、文書証拠や生存者の証言からほぼ判明している。こうしてベルゼン記念サイトは、徹底的な資料調査の結果、収容所収容者約5万人の名前を記したメモリアルブックを出版した。

第二に、ベルゼンやその他の解放された強制収容所で撮影された死体がガス処刑の犠牲者であると「ほのめかした」のは誰であろうか? アウシュヴィッツ・ビルケナウに関する文章の中で、ベルゼンの写真がアウシュヴィッツでガス処刑された犠牲者の写真であるかのように紹介されているような、人気のある証言や、信頼性の疑わしい感情的なウェブサイトがあるかもしれない。しかし、そのような証言やウェブサイトは歴史学を代表するものではない。ダルトン氏は、必要であれば、ベルゼンや他の強制収容所の写真が、主に責任者たちが彼らの運命に犯罪的な無関心を示したために、餓死や病気で倒れた収容者の写真であるということ以外の何ものでもないと述べている、まじめな歴史学の著作を一つでも示せるとは思えない。ダルトンは明らかに、ここでも藁人形をばらまこうとしている。

第三に、絶滅収容所の死体写真がないとは言い切れない――収容所時代のトレブリンカの写真には、開放された集団墓地が写っているものが少なくとも1枚ある(出典はドイツ連邦公文書館No. 183-F0918-0201-011;ドイツ連邦公文書館はドイツのコブレンツにある)、トレブリンカ収容所とベウジェツ収容所の跡地には、解放後に撮影された人骨の写真がいくつかあり、ナチスの犯罪を記録した私の写真集に含まれている。このような写真や他の収容所の写真(トレブリンカの副官クルト・フランツが撮影した発掘者写真など)が少ないのは、ダルトンが都合よく省略している2つの事実のせいである:親衛隊は、絶滅収容所の死体やその他の証拠を破壊するために、赤軍がそれぞれの地域に接近するずっと前に、自由自在に破壊することができた、そして、アインザッツ・ラインハルト収容所に配属されたSS隊員全員が署名しなければならなかった秘密保持誓約書に、写真撮影の禁止が明示されていた(「私は、SSの「アインザッツ・ラインハルト」本部の司令官であり、ルブリン地区の警察指導者であったヘフレ親衛隊大尉から、十分な報告と指示を受けた:…...「アインザッツ・ラインハルト」の収容所では写真撮影が絶対的に禁止されている」)。クルト・フランツはこの約束に違反したのかもしれないが、フランツが逮捕されたときに押収された私的アルバムの内容(写真の一部は破り取られ、キャプションが消されていた: 「ポーランド総督府におけるユダヤ人殺害」所収: アダルベルト・リュッケルル、『ナチ裁判。起訴25年後: 可能性 - 限界 - 結果』、1971 出版社C.F.ミュラー、カールスルーエ、46/47ページ)によると、彼はトレブリンカ絶滅収容所の本質をはっきりと示すような写真を撮ることを避けたが、それはおそらく、自分の不正な活動が発見された場合に、あまり大きな問題に巻き込まれることを避けるためであったのであろう。つまり、ダルトン氏の研究者としての資質と知的誠実さのどちらか、あるいはどちらか一方を除けば、ここに疑わしい点があると考える理由は何もないことがわかる。

最後になったが、解放された強制収容所で撮影された写真には「せいぜい数百人」の死体が写っているというダルトンの主張は、第1章の中で彼が書いたものの中で最も愚かなものであり、彼がこの後、もっとひどい失言をしないことを祈りたい。媒体の性質上、ベルゲン・ベルゼンで英国人が遭遇したような大惨事の写真は、10歳の子供でも理解できるように、そのような大惨事の比較的小さな部分しか写さない傾向がある。もし英国が収容所跡地で発見した数千の死体すべてと解放後に死亡した数千の死体の写真を撮影し、公表していたとしたら、これらの写真だけで分厚い本が1冊以上埋まってしまうだろうし、そして誰も、分厚い本を無残な死体の写真で埋めることに意味を見いださなかったろう。そのため、ベルゼンの状況を視覚化し、説明するのに必要な枚数の写真だけが撮影されたのだ。死体が写っている第二次世界大戦中の写真をすべて集めたとしても、そこに写っている死体の数はせいぜい数千体だろう――本章の冒頭でダルトンが議論の余地のない事実として述べた、紛争による全世界の死者数約5000万人から6000万人からは、はるかに遠い、この「両陣営」の「公平な」アナリストは、精神障害者か、読者が精神障害者であることを期待しているペテン師のどちらかに見える。

ダルトンは「神話その3」の論破に進むにつれて、少なくとも冒頭では、もう少し分別があることを示しており、ホロコーストの歴史的記録は、記念碑的なデマの結果であり、証拠操作という巨大で絶大な権力と影響力を持つ陰謀の結果であるという考え方を示しつつ、彼は、この主張を裏付ける「確かな根拠」なしに大規模な不正を主張することは、「修正主義者が愚かに見える危険がある」と指摘する――問題の巨額詐欺がまったくありえないことであり、前例がないことも、彼には気にならないようだ。しかし、束の間の明晰さはすぐに終わり、ダルトンは「デマ」に代わるシナリオを提示しているが、それは少なくとも「デマ」説と同じくらいありえず、証拠にも裏付けられていない:ホロコーストの歴史的記録は、「マスを釣ったがサメだったと言い張る魚の話のようなもの」から生まれたという仮説である。ダルトンは、この魚の物語が「裁判の基礎となり、何十億ドルもの賠償金が支払われ、死刑判決が下される」まで、段階的に「60年かけて」繰り返され、大きくなっていったことは「よく想像できる」と主張する。

もしダルトンが本当に想像できるとしたら

  • ヨーロッパ全土の数千カ所で行われた虐殺、強制送還、その他の不愉快な出来事の数千人の生存目撃者が、それぞれ独立して「魚の物語」を作り上げた、

  • このような「魚物語」は、ドイツの裁判所で行われた何百もの裁判において、文書、物的証拠、加害者の供述によって裏付けられ、そこでは、「魚の話」の語り手とされる人物が、被告側弁護士による敵対的反対尋問を受けた、

  • 何十億ドイツマルクもの税金を浪費しようと躍起になっている行政当局は、このような「魚の話」を無批判に受け入れ、そして、

  • 世界中にいる数百万人の旧ヨーロッパ系ユダヤ人やその子孫たちは、テレパシーを操る魚の語り部たちのゲームを台無しにしないために、自分たちの出自や身元を隠している、

彼の「魚物語」理論に必要な他の要素も含めて、彼がこの世に生きているのか、それとも、証拠操作という巨大で包括的な陰謀を仮定する「修正主義者」よりもさらに現実離れした狂気の雲の上のカッコーの国に生きているのか、私は疑問に思わざるを得ない。ダルトンさん、あなたの信奉者たちにお説教はやめて、「デマ」説を貫かせた方ほうがいいのでは。あなたが提案しているほどファンタスティックではない。

ところで、「魚物語」は「60年かけて」どのように発展したことになっているのだろうか? ナチスによるユダヤ人大量虐殺の本質的側面――絶滅計画、アインザッツグルッペンその他の機動部隊による大量射殺、絶滅収容所――については、ニュルンベルク国際軍事裁判の主要戦犯判決戦争犯罪と人道に対する罪の項ユダヤ人迫害の小項目ですでに述べた。歴史研究(主にドイツの学者たちによる)と犯罪捜査(主にドイツ連邦共和国の刑事司法当局による)がそれ以来行ってきたことは、1945/46年にはすでに本質的な部分が知られていた大虐殺に関する歴史的知識を、当時はまだ入手できなかった豊富な文書や目撃証言を発見して評価し、その過程でいくつかの誤った最初の結論を修正することによって、さらに詳細にし、拡大することである(例えば ナチスの強制収容所と絶滅収容所でのユダヤ人の死亡者数は400万人ではなく300万人に近かったこと、そして「場合によっては犠牲者の体から出た脂肪を石鹸の商業的製造に利用する試みがなされた」という考え、など)。

「魚物語」の遠吠えとは異なり、ダルトンが「神話その4:修正主義者は右翼のネオナチ・反ユダヤ主義者である」と書いているのは、空想癖のある心の表れではなく、別の虚偽のコレクションである。

「修正主義者」が必ずしもナチス・ドイツのイデオロギーに固執しているわけではないことは事実であり、「修正主義者」が必ずしも反ユダヤ主義として知られるユダヤ人に対する執拗な軽蔑/憎悪/恐怖/侮蔑を抱いているわけではないこともまた事実である。私の「修正主義」の経験からすると、「修正主義者」は以下のカテゴリーに大別される:

  1. 反ユダヤ主義者で、ナチス・イデオロギーに固執したり、ナチス・ドイツを理想化したりする「修正主義者」;

  2. 反ユダヤ主義者でありながら、ナチス・イデオロギーやナチス・ドイツに無関心、あるいは批判的な「修正主義者」;

  3. ナチス・イデオロギーに固執し、ナチス・ドイツを理想化するが、ユダヤ人に対する反感を持たない「修正主義者」;

  4. 反ユダヤ主義者でもナチス主義者でもないが、「ドイツ人」がそれほどひどいことをしたことを受け入れようとせず、かつ/または「政治的に正しくない」ことや「体制」に反対することがクールだと考える「修正主義者」。

私が出会った「修正主義者」のほとんどは、最初の3つのカテゴリーのいずれかに属し、第4のカテゴリーに属する「修正主義者」は少数派である。

だから、「修正主義者」が一般的に「右翼のネオナチ反ユダヤ主義者」であるというのは、不当な一般化であるということには同意する。しかし、「修正主義」がナチス・ドイツの理想化と反ユダヤ主義に無関係であり、その影響を強く受けていないと主張するのも、同様に不当な一般化である。

ナチス・ドイツの理想化に関しては、主要な「修正主義」作家の中に「国家社会主義者であることを公然と認めている」者がいるかどうかや、ダルトン氏が彼らが「ヒトラーのイメージを高める」ことに関心があると考えているかどうかは、この点では関係がない。そしてそれは、「修正主義者」が自分たちの実際の動機を認めることがほとんどないからというだけでなく、「修正主義者」の著作の一般的なスタンスには、必然的に「それほど悪いことではなかった」という謝罪とナチス・ドイツの白塗り化が含まれているからである。「修正主義者」が否定に力を入れる出来事が、ナチス・ドイツとその政治的代替案としてのイデオロギーの信用失墜に最も貢献した出来事であることは、偶然とは思えない――ナチス・ドイツの犯罪は、ユダヤ人の大量虐殺よりも知名度が低く、犠牲者の数が多いにもかかわらず、それに匹敵するような注目は、まったくと言っていいほど浴びていない日本語訳)。

また、「修正主義」がナチスの犠牲者の特定のグループに焦点を当て、他のグループをほとんど無視しているのも偶然ではない。これは、ユダヤ人の大量虐殺がナチス・ドイツにとって最大かつ最もよく知られた単独犯罪であり、歴史上の他の集団犯罪と比較されることのない「唯一無二」のものであると広く信じられているという事実(私は個人的にはこの考え方に同意しない)に部分的に起因することもあるが、一部の「主要な作家」とその大衆の大部分が持つ反ユダヤ的偏見との明らかな関連性を否定することはできない。

「修正主義者」の著者は、著書やその他の文書、あるいは口頭でのコミュニケーションにおいて、その意図や偏見を明らかにしない方が得策であることは明らかであるが、少なくとも彼らは時に、自分自身をさらけ出さずにはいられず、自分自身の言葉によって何が彼らを動かしているのかを明らかにすることがある。例えば、ダルトンが「真面目で熱心な作品」を書く作家として称賛した「修正主義者」のうち2人の発言は以下の通りである:

フリードリッヒ・ポール・ベルク

ユダヤ人に関しては、彼らはその醜悪な嘘で自らを非難し、彼らをヨーロッパから永遠に追放しようとして失敗した人々の正当性を証明している。ユダヤ人がその壮大なデマで大成功を収め続けていることは、世界のメディアをユダヤ人が支配していることについて、ヒトラーをはじめとする多くの人々が抱いていた恐怖が、今もまったく正当なものであることを証明している。現在の中東の惨事が悪化し、拡大するにつれて、人類がついにユダヤ人に反旗を翻すことを期待しよう。その反乱には、キリスト教に対する革命も含まれるはずだ。それらはすべて、同じ原始的で人種差別的な狂気の産物であり、科学とテクノロジーが私たちに進歩と進化をもたらす無限の力を与えている世界を支配すべきではない。

(ベルクのウェブサイト

ユルゲン・グラーフ

イスラエルに生存権はない。ユダヤ人をどうする? 私たちは文化人だから、彼らを絶滅させることはできない。彼らをどうするか?

(セルゲイ・ロマノフ、ユルゲン・グラーフはユダヤ人を殺したくない

読者は、私が引用した「真面目な」作家たちの発言を、この4つのカテゴリーのどれに位置づけるか、自分で判断してほしい。

この文脈でダルトンが正しいのは、ただひとつ、「修正主義者」作家の背景や動機を指摘することは、彼らの主張や主張を論破することには代えられないということだ。だからこそ、後者がこのブログスポットの優先事項であり、これからもそうあり続けるのだ。

「伝統主義者」側について、ダルトンは、ライトリンガー、ヒルバーグ、ダヴィドヴィッチ、アラド、ガットマン、ラクーア、ヤド・ヴァシェム、USHMMを「正統派の見解の主要な立役者」として挙げている(この用語を、彼が「学問的修正主義者」であるとみなしている「ホロコーストの状況の慎重で科学的な検証」、「その批判に関する質の高い論文や書籍」、「真剣で献身的な仕事」と比較していただきたい)、彼が「学術的修正主義者たち」を信用している「まじめで献身的な著作」)と比較し、「上記の個人と団体はすべてユダヤ人である」こと、そして、(とりわけ)「偏った利己的な報道がなされる可能性が大きい」ことから、「このユダヤ人の優位は懸念すべき問題である」と指摘している。つまり、ユダヤ人はウソをつく可能性が高いということだ。

前回と同様、ここでの嘘つきはダルトン自身である――ホロコースト研究が現在、その大部分がユダヤ人以外によって行なわれていることに気づかないほど、彼がずさんな研究者でないかぎり――、その多くは、ナチスの死の収容所を研究しているポーランド人(フランチシェク・ピーパー、トマシュ・クランツ、ロベルト・クワレク、アンジェイ・シュトレレツキ、ヘンリク・スヴィエボツキ、ピョートル・セツキェヴィチ、ヤニナ・キエルボン)、あるいはドイツ人(アンドレイ・アングリック、ゲッツ・アリー、クリスティアン・ゲルラッハ、ペーター・ロンゲリッチ、ディーター・ポール、トーマス・サンドキューラーなど、ダルトンも知らないような人々)である;また、ドイツに留学し、ラインハルト作戦(Aktion Reinhard(t))について研究した2人のポーランド人学者、ヤチェク・ムリナルチクとボドガン・ムジアルも特筆に値する。ダルトンは、フランチシェク・ピーパー(アウシュヴィッツ・ビルケナウの犠牲者数に関する彼の研究は英語に翻訳されており、ヴァンペルト報告日本語訳)に要約されている)以外のポーランド人学者を知らないことは許されるかもしれないが、ドイツ人学者の中でもっとも著名な人物は知っているはずであり、少なくとも、ピーター・ロンゲリヒによるナチス政権によるユダヤ人絶滅におけるヒトラーの役割ユダヤ人絶滅のための国家社会主義政策の体系的性格に関する専門家報告を知っているはずである、これらはアーヴィング=リップシュタット裁判で弁護側に提出されたものである(ちなみに、この裁判は、ロバート・ヴァン・ペルトとデボラ・リップシュタットについての言及の中で、ダルトンがほんの少し触れているにすぎないが、「修正主義」の誤りについての詳細かつ破壊的な判決で終わっている――ダルトンのためにも、この裁判のことが彼の本の後半で詳しく語られることを期待したい)研究対象を英語の学問に限定している人のために補足しておくと,ホロコースト問題を専門とする非ユダヤ人学者としては,イアン・カーショウ,リチャード・エヴァンス,リチャード・オーヴェリー,アダム・トゥーゼのような第三帝国研究の一環としてホロコーストについて書いている歴史家のほかに,ティム・コール,マーティン・ディーン,ドナルド・ブロクシャム,マイケル・サッド・アレン,レベッカ・ウィットマン,ロバート・ゲラトリーがいる。また、「両陣営」の著作を調べて評価したふりをする人物が、クリストファー・ブラウニング(アーヴィング-リップシュタット裁判で提出された専門家報告書『最終解決実施の証拠』(日本語訳)の著者、『最終解決の起源:ナチス・ユダヤ人政策の進化 1939年9月-1942年3月』、『普通の男たち:予備警察大隊101とポーランドにおける最終解決』などの著書)をホロコースト研究の第一人者から外しているとすれば、その人物はせいぜい下調べを怠っているにすぎない。

ロバート・ヴァン・ペルト(「重厚な2002年の本」の著者)、ジョン・ジマーマン(「修正主義者の議論に初めて真剣に、詳細に言及した人物」、「ネバダ大学ラスベガス校の会計士」)、デボラ・リップシュタット(その著書『ホロコーストを否定する』では、「実際の議論にほとんど触れていない」)、ピエール・ヴィダル=ナケ(「修正主義に対する傲慢で極論的な反応」)、ジャン=クロード・プレサック(アウシュヴィッツ・ガス室についての「非常に詳細な研究」によって、「答えと同じくらい多くの疑問を投げかけた」人物であり、「伝統主義体制からの支持を失って、2003年に死去した」)の5名が、ダルトンが「修正主義者」の見解に「直接異議を申し立てることを引き受けた」「伝統主義者の作家」として挙げている人物である。このリストは失敗の羅列のようであり、「会計士」ジマーマン(実際はネバダ大学の准教授)の功績が最も大きい。さらに悪いことに、反修正主義勢力は「2002年以来、著しく静か」であり、「新しい反修正主義の本」は出ておらず、「雑誌の記事もほんの一握り」である(ちなみに、この「一握り」には、ダニエル・ケレン、ジェイミー・マッカーシー、ハリー・W・マザールによる『ガス室の廃墟/アウシュヴィッツIとアウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬場の法医学的調査』の報告も含まれている)。同時期に出版された修正主義者たちによる十数冊の本とは「対照的」である。

反「修正主義者」の本というのは、ジマーマンやヴァン・ペルトの著作以来聞いたことがない。ダルトンがこれを、「伝統主義者」が窮地に立たされていることの表れだと考えているのは、彼の希望的観測の明らかな傾向からすれば、驚くことではないだろう(彼が「イントロダクション」で示唆しているように、前述)。

「修正主義者」の希望的観測の世界以外では、ここ数年、「修正主義」を特に標的にした本が出なかった理由として考えられるのは、そのような本の著者候補が、「修正主義」を論破する仕事は、ジマーマンとヴァン・ペルトの著作とアーヴィング=リップシュタット裁判の判決によって達成されたと考えているからである、さらに、「伝統主義者」の歴史家たちが、「修正主義者の挑戦を受ける」ことを拒否しているとされる多くの著作(この目的のためであろうとなかろうと、確固とした研究はそのための一つの方法である)を、ダルトンは、「負けるかもしれない戦い」を避けるものとして、熱心に非難している。

しかし、私が考える最大の理由は、ダルトンが言及していないことであり、それは、「修正主義者」のプロパガンダが広まる重要な媒体がウェブであるということである(ダルトンが好意的に述べているように、「修正主義者の完全なテキストがいくつかオンラインで無料で入手できる」のもそのためである)。したがって、書籍市場ではなくウェブこそが、「修正主義」と対峙する本質的な場であり、反「修正主義」の重要な資料が見つかるのも、基本的にはウェブ上であることは論理的に明らかである。

ダルトンは、「はじめに」で、ウェブの情報源の一般的な信頼性の低さについて演説し(実際、ウェブが提供する情報は、書籍市場と同じように、信頼性の高いものから信頼性に欠けるものまでさまざまである)、第1章の脚注16で、このブログスポットとホロコースト・ヒストリー・プロジェクトを「ちょっとしたウェブ上の活動」のサイトとして軽視することで、「修正主義」に対するウェブの反論に取り組む必要を回避しようとしている。

しかし、この「些細なウェブ上の活動」は、私がダルトンの本のアマゾンのレビューですでに指摘したように、ダルトンが不誠実な手のひらを返したような発言をするほど心配しているようで、ダルトンの出版社であるマイケル・サントマウロの好意により、有益な例が紹介された

このブログスポットで、ダルトンの「両陣営の新しい見方」がさらに解剖されれば、この心配はさらに大きくなるだろう。

情報を提供してくれたブロガー仲間のニック・テリー博士、そして特に建設的な批評をしてくれた博士に感謝する。

投稿者: ロベルト・ミューレンカンプ、2009年5月16日(土)

■コメント欄■

<コメント欄で相手の文章を引用するときに、元の記事では斜体を使っていますが、noteでは出来ないので、やむを得ず《強調表示》としています>

マイケル・サントマウロ2009年5月17日日曜日9時16分00秒

(註:ここに貼られていたダルトンの本へのAmazonリンクは、現在は取り扱いがないため省略しています)

30人中26人が以下のレビューが役に立ったと回答しています:

5つ星のうち 5.0やっと明確な考え方ができた 2009年4月6日

Kenneth A. Morgan "Playwright" さん(Milwaukee, WI USA) - レビューをすべて見る
(本当の名前)

ホロコーストはあったのか、なかったのか、なかったとしたら何なのか、というホロコースト論争の両側面に対して懐疑的な者として、私は長い間、熱しかなかったところに光を当ててくれる本を望んできた。DEBATING THE HOLOCAUST(ホロコーストを論ずる)』は、私が望む限りそれに近いものであり、驚くべき成果である。

この本自体よりも長いレビューを書くよりも、トーマス・ダルトンの本によって、最大の問題点がようやく解決されたことを最初に書いておこう、ホロコーストの全体像を把握することは、物語の支離滅裂さのために不可能であった。ナチスの政策の目標、それが命令され実行された手段、主要な出来事とそれが起こった場所(ヘウムノの埋葬地と火葬地がどこにあるかは誰も知らない)、大量絶滅の努力に伴う技術的な課題、死者数のような基本的なことまで;ホロコーストの話は、ある情報源から別の情報源まで、何一つ一貫していない。何十年もの間、数字や証言や文書は誇張され、縮小され、誤魔化され、変更され、あるいは消失してきた。多くの場合、厄介な疑問が浮かばないように、特定の詳細を謎のままにしておくという明らかな目的があった(ソール・フリードレンダー-あなたに言っているのです!)。ダルトンが「...ボロボロのホロコースト物語...」を発見したと書いているとき、彼は単に真実を述べているのであり、二人の重要な歴史家、ミシェル・ド・ブアールとジャン=クロード・プレサックが、ホロコーストの歴史的記録は「腐っている」と述べた理由が容易に理解できる。

この問題に対処するために、ダルトンは、彼がデス・マトリックスと呼んでいる驚くべき(そして簡単な!)分析ツールを紹介している。コンピュータに表計算ソフトのオプションがあれば、誰でもできる。ダルトン独自のものではなく、いくつかの技術分野では一般的なツールである。会計学の教授であり、取引分析で同じようなツールを使わなければならない反修正主義者ジョン・ジマーマンが、なぜ自分のさまざまな反論でこれを使わなかったのか不思議でならない。

読者にとっては、紙にペンを走らせ、自分で宿題をしなければならない本ということになるが、ホロコーストの本が問うだけでなく、彼らが言うことを何でも疑うことなく飲み込むことを要求してくるのとは対照的で新鮮だ。ダルトンのデス・マトリックスを適用した結果は明確で、透明性があり、理解しやすいが、ダルトンはあるデータが疑わしい仮定に基づいており、彼のツールの使用は予備的なもので、改良が必要であると明言している(私はすでに、ダルトンが、アウシュヴィッツのクレマIIが、1943年5月初頭から6月12日までの6週間、稼働していなかった時期に、11000体を火葬したことを認めている改訂版を提案することができた。)。素晴らしいツールだ、このことは、ベウジェツでの発掘と火葬を合わせると、1ヵ月あたり92,000人という割合にならざるを得なかったことを表が明らかにしていることからも明らかである。1日に3,000人、1時間に125人、30秒ごとに地中から掘り出された死体が解凍され、焼かれて粉々になるよりはマシだ;ポーランドの真冬、天候が悪ければ地面が岩のように凍りつき、作業不可能な日が何日も続いただろう。その説明は馬鹿げている。真実がどうであれ、それは別のことだ。なぜ誰かがこのテクニックを思いつかなかったのだろう?

退屈な罵り合いを避け、ダルトンは2つの陣営を「伝統主義者」と「修正主義者」に分け、さらに修正主義者を「扇動者」と「学者」に分けている。修正主義者に関しては、ダルトンは「扇動者」を知的に無視し、学者の堅実な議論に集中している。ホロコーストに異議を唱えることをある種の聖戦としてきた修正主義者は、この本には満足できないであろう。ダルトンは、ホロコーストをデマ、詐欺、陰謀として片づけることはできないと明言している(ホロコーストに対する金銭的搾取や、ホロコーストに異議を唱えることの憎むべき犯罪化は別の問題である)。しかし、それが何であったのか、そしてそれが第二次世界大戦というさらに大きな枠組みの中でどのように位置づけられるのかは、今ある歴史では明らかにすることができない。

技術的な問題を扱った本と同じくらい親しみやすい『ホロコーストを論ずる』は、若者たちにホロコーストについて教えながら、自分の頭で考えるまでは何も受け入れないように挑戦する、優れた高校の教科書になるだろう。確かに、ホロコーストについて何も書かれていないにもかかわらず、このテーマについて読むことを要求(強制?)される本である『アンネの日記』よりも良い選択である。

私のレビューでは星5つとなっているが、実際には星4つ半で、表のひとつでマイダネクでの死因の多くを「自然死」としているため、星を半分減らした。これは控えめにいっても無神経である。ホロコーストの擁護者ではないが、修正主義者のカルロ・マットーニョとユルゲン・グラーフは、2003年に出版した収容所に関する本(これまでに作られた2つの研究のうちの1つ!)の中で、4万人ほどの人々が、汚水でびしょびしょになった野原に立って、ゆっくりとした被爆死を遂げたことに、自分たち自身が愕然としている。これらは「自然な原因」ではない。私は警察官として、「公式の無関心」がアメリカの警察の犯罪であることを知っている、消防隊員やレスキュー隊員は罪に問われる可能性があるので、ナチスに殺意がなかったとしても、少なくとも集団過失致死罪の責任はある。

その残念な美点が解決されたので、ダルトンのエピローグの予告で締めくくることができるが、気が滅入る。ダルトンは、伝統主義者と修正主義者の間にはかなりの共通点があると指摘する;学術的な修正主義者は誰も、悲劇的な残虐行為が起こったことを否定したことはないし、最も優れた(そして最も勇敢な)伝統主義者自身も、歴史に何かひどい間違いがあることを指摘している。このことは、2つの陣営が力を合わせれば、1940年代の出来事が本当は何だったのかについて、最終的に明確で首尾一貫した姿を浮かび上がらせることができる可能性があることを示唆している。

でも、そうはならない。B'nai Brithのディレクターであるイアン・カデガンが「ホロコーストの記憶は新世界秩序の中心だ」と不気味に叫ぶように、そして、それを「...西洋文明最大の失敗」と卑猥に呼んでいる(実際にはコンゴ・コルヴェのことだが、これは熱心なマーク・トウェイン・ファンしか聞いたことがないだろう)。ホロコーストの伝統的な物語は、地球上で最も腐敗した組織のいくつかを潤す数十億ドルの現金収入源であり、実に多くの人々が賭ける偶像崇拝的な宗教となっている。伝統的なホロコースト物語が没落すれば、評判や生活だけでなく権力も失われてしまう。伝統的なホロコースト物語は、何の権限もない人々が道徳とは何かを決めつけ、その権威に疑問を呈さないように威圧するための棍棒として使われているからである。

つまり、この本を読むことは、実際に革命的行為と言えるかもしれない。言論の自由の敵は、代償を要求することはできても、あなたを止めることはできない。だから言論の自由は不可侵の権利なのだ。神でさえ奪うことはできない。トーマス、本をありがとう。

(註:ここに貼られていたダルトンの本へのAmazonリンクは、現在は取り扱いがないため省略しています)

マイケル・サントマウロ2009年5月17日日曜日18時08分00秒
このコメントはブログ管理者によって削除されました。

ニコラス・テリー2009年5月17日日曜日21時38分00秒
サントマウロさん、コメントはコメント用であって、IHRビラのスパムを転載するためのものではありません。それは他のウェブサイトへの進出のために取っておいてください。

ロベルトのブログ記事について議論するのも、「トーマス・ダルトン」を再び招待するのも自由です。ところで、私たちは皆、彼の訪問を楽しんだ。

マイケル・サントマウロ2009年5月18日月曜日午前1時2分00秒
トーマス・ダルトン教授は言う:

マイケル--新しいブログ "A Discussion w/ MS and TD "に投稿してください。(「Old Herrings」ブログへの返信も近いうちにあると思います)。

始めよう:

ウィッテについては、数本の論文を共著で書いただけでは、権威を主張することはできない。詳細でよく研究された本を出版することが手始めであり、(どのような分野であれ)博士号を取得することが手始めであろう。主要な修正主義者たちが高度な学位を持っているかどうかは知らないが、彼らは厳しい弾圧や嫌がらせに直面しながらも、詳細な調査と分析を行い、質の高い著作を発表する能力を証明している。いずれにせよ、ウィッテが引用した本や論文を私が知らない限り、その一節は私にとって無価値である。

出典については、私の本では常に一次資料、あるいは評判の良い二次資料を使用するよう心がけており、それらは常に明記されている。そして、私は修正主義者よりも伝統主義者のソースをかなり多く引用している。

COガス発生の問題について:(a) プロデューサー・ガス・システムが高レベルの一酸化炭素を発生させることに疑問の余地はない、エンジンの燃料源だからだ;ディーゼルの場合、COは排気の副産物である。プロデューサ・ガス・システムは、高負荷のディーゼルの10倍のCO濃度を出すことができ、それが意図されていたのであれば、明らかに選択されたガス・システムであっただろう。

(b)私の本(P.108)の中で、青い死体を見たという5人の証人を挙げている:ゲルシュタイン、SS医師ファネンシュティール、シュルチ、アウエルバッハ、そして無名のポーランド人将校。これが「大所帯」に入るかどうかはわからないが、1人や2人よりは多い。

(c)CO中毒は、常に赤/ピンクの変色を引き起こすわけではないが、大半の症例では明らかである。Griffinらによる最近の論文("Diesel fumes do kill", J Forensic Sci, Sept 2008)は、「全[94]検討事例のうち、古典的なチェリーレッドの変色を示さなかったのはわずか30%」(p.1208)と指摘している。つまり、毒殺事件の70%に赤やピンクの変色が見られるとすれば、目撃者が見逃すはずがない。しかし、ピンクや赤の死体を見たという記録はひとつもない――これは、いかなる形のCOガスも否定するものである。

(d)窒息死が殺人技術として真剣に検討されるようになったのなら、書き直さなければならない本がたくさんある。

(e)具体的に250万人がどのように死んだとされているのか(ラインハルト収容所+ガス車)を知ることに関心がある場合にのみ、「大きな問題」なのである。個人的には、それは重要な問題であると考えるが、おそらくミューレンカンプはそう考えないであろう。

ミューレンカンプの「一流の研究者」はほとんど役に立たない。ホロコースト論争にとって一般的価値のあるブラウニングの唯一の近著は、『最終解決の起源』(2004年)である;目撃談に関する彼の他の著作はあまり役に立たない。ポール、ロンゲリヒ、ゲルラッハ、ムジアルはほとんどドイツ語だけで出版しているため、引用を確認したい英語の読者には何の役にも立たない。さらに、外国語で書かれた重要なホロコーストの本がすぐに英語に翻訳されることも知っている;ミューレンカンプの専門家が誰も英語の本を持っていないという事実は、彼らの仕事が結局それほど重要でないことを示唆している。

私の出典が「時代遅れ」だという非難については、私はヒルバーグの大著(『ヨーロッパ・ユダヤ人の破壊』)の2003年版に大いに依拠している――-- ミュレンカンプの時間軸がどの程度なのかは知らないが、私にとっては十分最近のことだ。そしてもちろん、USHMM(アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館)とヤド・ヴァシェム(イスラエルホロコースト博物館)のオンライン百科事典は即座に更新できるため、継続的に最新であることが期待される。尤も、ラインハルト収容所に関するアラドの本は恐らく時代遅れだろうが、伝統主義者の中で、これらの収容所を包括的に再検討することに適した人物はいない――ミューレンカンプはこの仕事に興味があるのだろうか?

ラインハルト収容所が通過収容所であったことを示す証拠は存在するが、多くはない。しかし、3つの収容所に送られた全員が絶滅させられたという従来の見方を覆すのに多くの証拠は必要ない。実際、いくつかの例を挙げれば十分だろう。以下はグラーフの引用である:(1) ソビボルを 「Durchgangslager」(通過収容所)と呼び、強制収容所への転換を要請した1943年7月5日のヒムラーのメモ――もしソビボルが絶滅収容所であったとしたら、それは無意味なことである。(2) ワルシャワ・ゲットーからの追放者の大部分はトレブリンカに行き(間違いなく、すべての追放者)、そこでガス処刑されたとされている。しかし、ワルシャワを出発した数千人のユダヤ人が、ミンスク(1000人)、スモレンスク(2000人)、ブレゼスクやマルチョヴィツェ(4000人)などに流れ着いたという記録がある;明らかに、彼らはトレブリンカを通過した。(3) 1969年、ポーランドの歴史家(Leszczynska)は、1942年10月にベウジェツからマイダネクに向かった1700人のユダヤ人について報告している。(4) 1966年、二人のユダヤ系ポーランド人の歴史家が、ワルシャワからトレブリンカを経由してマイダネクに到着した追放者がいたと報告している。(5) 生存者ユリウス・シェルヴィスによる最近の本は、彼がソビボルからマイダネクへ、そして後にアウシュヴィッツへと強制送還されたことを語っている。彼は3つの収容所すべてを生き延び、最後は祖国オランダに戻った。約700人のオランダ人ユダヤ人も同様の旅程をたどった。(6) 生存者ミンナ・グロソヴァは68歳でソビボルに送られた。そこではガス処刑されず、アウシュヴィッツに送られた。そこでもガス処刑されず、収容所に登録されたが、1943年にそこで病死した。

ミューレンカンプが私の本を読む気になれないのは残念だ(購入価格が彼の手の届かないものであれば申し訳ない;おそらく、ロマノフと半分ずつでやっていけるだろう)。そして、それを「プロパガンダ的ナンセンス」と断定するのは、まさに不誠実だ。しかし、これは彼にとっては当たり前のことなのだろう。本のウェブサイトからの抜粋だけで、アマゾンのレビューに「星1つ」という評価を下すような胆力のある人は、誠実さに欠ける。彼は議論に有益なことを付け加えられると思うので、これは残念だ。

ロベルト・ミューレンカンプ2009年5月18日月曜日 14時10分00秒
トーマス・ダルトン教授のコメント:それで今は教授なんですか? 早い昇進おめでとう! だから彼は自分からここに来ず、メッセンジャーで返事を送っているのだろうか?

マイケル--新しいブログ「A Discussion w/ MS and TD」に投稿してください。(「古いニシン」ブログへの返信はすぐに続くと思います)》サントマウロさん、ダルトン氏の返信を投稿する場所を間違えていますよ。でも問題ありません。私の返信とダルトン氏のメッセージも適切なブログの下に掲載します。

では、失礼してダルトン教授に直接、次のように申し上げる。

始めよう:

ウィッテについては、数本の論文を共著で書いただけでは、権威を主張することはできない。詳細でよく研究された本を出版することがスタートであり、(どんな分野でも)博士号を取得することがそうである。》誰が言ったんですか、ダルトン教授?

これはまた、ダルトン教授がどこで博士号を取得し、「数年前から」どこの「著名なアメリカの大学」で人文科学を教えているのかという疑問にもつながる。

ダルトン教授、ご教示願えませんか?

主要な修正主義者たちが高度な学位を持っているかどうかは知らないが、厳しい弾圧や嫌がらせに直面しながらも、詳細な調査や分析を行い、質の高い作品を発表する能力は証明されている。》ダルトン教授、あなたのダブルスタンダードを擁護するのは難しいでしょう?

あなたが「質の高い作品」と呼ぶものに関して、私は、時には(常にではないが)巧妙だが、(常に)歴史記述の最も基本的な教訓に違反する托鉢的なプロパガンダと呼んでおり、それは、すべての既知の証拠を考慮に入れ、それが導くところに従い、証拠のさまざまな要素をつなぎ合わせて、出来事の首尾一貫した物語を作ることである。そして、あなたのヒーローが「激しい抑圧とハラスメント」を受けながら仕事をしたかどうかは、「修正主義者」の研究の質の低さとは無関係であり、せいぜいお粗末な言い訳に過ぎない。「修正主義者」が、人間としての良識の基本的な概念に反する姿勢によって、そのような「抑圧とハラスメント」を自ら招いたという事実は別として。

《いずれにせよ、ヴィッテが引用した本や記事を知らなければ、その一節は私にとって何の価値もない。》ダルトン教授、あなたは一体何を測っているのですか?

《出典については、私の本では常に一次資料、あるいは評判の良い二次資料を使用するよう心がけており、それらは常に明記されている。そして、私は修正主義者よりも伝統主義者のソースをかなり多く引用している。》

「修正主義者」のプロパガンダを評判の良い二次資料として引用することは、十分に悪いことだ。そして、「伝統主義者」などという戯言は、我々の議論から外すべきだ、馬鹿にされるから。

《COガス発生の問題について:(a) プロデューサー・ガス・システムが高レベルの一酸化炭素を発生させることに疑問の余地はない、エンジンの燃料源だからだ;ディーゼルの場合、COは排気の副産物である。プロデューサ・ガス・システムは、高負荷のディーゼルの10倍のCO濃度を出すことができ、それが意図されていたのであれば、明らかに選択されたガス・システムであっただろう。》

実際、エンジン排気の代わりにプロデューサー・ガス・システムを使用することに反対する理由はいくつかあったが、最も重要なのはオペレーターの立場から安全性を考慮することだった。以前、「シリアスな作品」を書いたある作家(ベルク)が指摘したように、生産者ガスは毒性が強いだけでなく、爆発性もあり、漏れのリスクが常にあったため、すべてのオペレーターが注意しなければならなかった事実である。これらの装置を過度に扱えば、犯人は簡単に毒殺や自爆に走ることができた。プロデューサー・ガスの使用に反対するもう一つの理由は、東部戦線で物資を運ぶためにプロデューサー・ガス車が必要だったことだ、そして、そのような車両を第一線のサービスから外し、エンジン駆動の車両に置き換えることは、燃料節約という点では良い選択ではなかっただろう。しかし、もっと重要なことは、何がより効果的であったかについてのこれらの考察はすべて、実際に使用されたものについての証拠を前にした天使の性別についての議論であるということだ。後悔先に立たず。人は間違いを犯す傾向がある。殺人者は必ずしも最善の方法を用いるとは限らない。つまり、エンジンからの排気ガスが使用されたことを示す証拠があれば、ダルトン教授や他の「修正主義者」の後知恵が、その代わりにプロデューサー・ガスを使用しただろうと考えたからといって、その証拠は誤りではないのである。

ところで、知識豊富な目撃者全員がガソリンエンジンについて言及しているのに、なぜディーゼルなのか? ピーター・ウィッテの一次資料を知らないから?

《(b) 私の本(108頁)の中で、青い死体を見たという5人の証人を紹介している: ゲルシュタイン、SS医師ファネンシュティール、シュルヒ、アウエルバッハ、無名のポーランド将校である。これが「多数」にあたるかどうかはわからないが、1人や2人よりは多い。》

ゲルシュタインは誇張しがちな目撃者だったので、この件やその他の詳細についてはカウントしていない。私の記憶が正しければ、ファネンシュティールは「青い死体」については何も言っていない。彼が言ったのは、死体の何体かに青みがかった色や顔のふくらみがあり、それは窒息死したためだということだった。シュルッフはまた、「青い死体」を描写していない;IIRCは、死体の鼻や唇に青みがかったものがあると言っていた。アウエルバッハとはおそらくレイチェル・アウエルバッハのことで、彼女が誤解しているかもしれない目撃者とのインタビューから記述を導き出した、あるいはその記述を劇的に単純化しすぎたかもしれない二次目撃者のことである。無名のポーランド人将校については知らない。出典は? いずれにせよ、これらの目撃者に共通しているのは、彼らはせいぜい被害者をざっと見ただけで、一酸化炭素中毒の可能性のある被害者を検死官が調べるような検査はしていないということだ。

《(c)CO中毒は、常に赤/ピンクの変色を引き起こすわけではないが、大半の症例では明らかである。Griffinらによる最近の論文("Diesel fumes do kill", J Forensic Sci, Sept 2008)は、「全[94]検討事例のうち、古典的なチェリーレッドの変色を示さなかったのはわずか30%」(p.1208)と指摘している。つまり、毒殺事件の70%に赤やピンクの変色が見られるとすれば、目撃者が見逃すはずがない。しかし、ピンクや赤の死体を見たという記録はひとつもない――これは、いかなる形のCOガスも否定するものである。》

いや、死因が必ずしもCO中毒ではないこと、および/または犠牲者が30%の非変色カテゴリーに属していたことを論証しているだけだ。後者については、リッサーら(ベルクのウェブサイトから引用)が、赤やピンクの変色が見られなかったのは、被害者がすでに何らかの病状のために酸素を供給する能力が低下していたためであるとしていることを考えれば、かなり説得力がある。酸素供給能力の低下は、長期にわたる栄養不良、すなわち貧血の影響によってもたらされる状態でもある。そして、長引く栄養失調は、AR収容所のガス室で殺された人々のほとんどが、収容所に連れてこられたポーランドのゲットーで苦しんでいたものである。つまり、彼らの体調は、変色に関しては、ルールよりも例外に有利だったのかもしれない。

《(d)窒息死が殺人技術として真剣に検討されるようになったのなら、書き直さなければならない本がたくさんある。》

それは、言葉の正しい意味での修正主義であろう。そして、それは、ガス車やガス室に導入されたエンジン排気ガスが、主としてCO中毒によって犠牲者を殺したのか、利用可能なわずかな酸素の置換による窒息によって犠牲者を殺したのかという些細なことに言及しているにすぎないであろう。

《(e)具体的に250万人がどのように死んだとされているのか(ラインハルト収容所+ガス車)を知ることに関心がある場合にのみ、「大きな問題」なのである。》正確な死因が主に窒息死か一酸化炭素中毒かは、被害者の苦しみや犯人たちの犯罪的エネルギーにとってせいぜい些細なことなのに、なぜ250万人なのか? ダルトン教授、「ラインハルト収容所+ガスバン」の250万人をどうやって足し算したのですか?

《個人的には、これは重要な問題だと考えている。》

実際、デス・パニックで全裸の人々が詰め込まれた部屋にエンジンの排気ガスが入り込み、窒息死したのか、一酸化炭素中毒で死んだのかはどうでもいい。そんな小さなことは、小さな心に任せておけばいいのだ。

《ミューレンカンプの「一流の研究者」はほとんど役に立たない》ガス室やガス車での死因がエンジン排気による窒息死なのか、一酸化炭素中毒による窒息死なのかの立証は? 研究者たちはもっと重要な問題に取り組んでいるのだから。

《ブラウニングの最近の著作で、ホロコースト論争にとって一般的価値があるのは『最終解決の起源』(2004年)だけであり、目撃談に関する他の著作はあまり役に立たない。》

ブラウニングの『最終的解決の起源』について言及したわけだが、そうであってほしい。

ブラウニングの他の著書については、そのうちの一冊(『普通の男たち』)は、ホロコーストの犠牲者の大部分(ヒルバーグによれば130万人、その推定はむしろ低すぎる)がこのようにして死んだにもかかわらず、あなたが本の中でほんの1、2段落を割いたと聞いた犯罪複合体(銃乱射事件)に関するものであり、旧ソ連とポーランドの数多くの場所での銃乱射事件に関する西ドイツの裁判所の詳細な判決がある。ダルトン教授、あなたがこの重要なテーマをこのように扱ったことを確認しますか? もしそうなら、あなたの「学識」はこれまでだ。

《ポール、ロンゲリヒ、ゲルラッハ、ムジアルはほとんどドイツ語だけで出版しているため、引用を確認したい英語の読者には何の役にも立たない。さらに、外国語で書かれた重要なホロコーストの本がすぐに英語に翻訳されることも知っている;ミューレンカンプの専門家が誰も英語の本を持っていないという事実は、彼らの仕事が結局それほど重要でないことを示唆している。》

ダルトン教授、「外国語の重要なホロコーストの本がすぐに英語に翻訳される」ということを、「われわれ」はいつ知ったのですか?

研究の「重要性」(それが何を意味するかは別として)が、その研究が英語に翻訳されるかどうか、またその翻訳がどれほど早くなされるかを決定するということを、「私たち」が知っている根拠はどこにあるのだろうか?

あなたの希望的観測の範囲外では、ポール、ロンゲリッヒ、ゲルラッハ、ミュジヤルの著作がほとんど英語で入手できないという事実(少なくとも、そのような人たちに言及したことはあるよね?)は、英語での出版がホロコースト研究において重要であるか否かの尺度にはならないということを示唆しているにすぎず、「両側」に関する研究の包括的な概観を作成しようとする人は、安易に英語の資料に限定するのではなく、一つか二つの外国語(特にドイツ語)を学ぶか、そのような言語に詳しい人にそれぞれの出版物に目を通してもらうべきである(ダルトン教授もまた、かなりの数を省いているようだ)。

《私の資料が「時代遅れ」であるとのご指摘については、私はヒルバーグの大著(『ヨーロッパ・ユダヤ人の破壊』)の2003年版に全面的に依拠している――ミューレンカンプの時間軸がどうなっているのかは知らないが、私にとっては十分最近のことだ。》

問題は、1961年に書かれた本の最終版がいつ出版されたかということではなく、初版以来行われてきた研究がどれだけ盛り込まれているかということである。ヒルバーグが1985年に出版した『ヨーロッパ・ユダヤ人の破壊』の学生版と、私がドイツ語で翻訳した最新版とでは、本質的な部分でほとんど違いがないことがわかった。ヒルバーグが、ポール、ロンゲリヒ、ゲルラッハらによる最近の研究結果を取り入れたかどうか、またどの程度取り入れたかを、ダルトン教授はどのようにチェックしたのですか?

《もちろん、USHMMやヤド・バシェムのオンライン百科事典は瞬時に更新される。》

ダルトン教授、あなたはオンライン百科事典に頼るのですか? それは興味深いですね、あなたの基準が利便性によって異なることを示唆しているという点では。

《尤も、ラインハルト収容所に関するアラドの本は恐らく時代遅れだろうが、伝統主義者の中で、これらの収容所を包括的に再検討することに適した人物はいない。》

なぜドイツ語を学ぶか、ドイツ語に詳しい人の助けを借りるべきだと言ったかわかりますか?、ダルトンさん。トーマス・サンドキューラー、ディーター・ポール、ボグダン・ムジアルが書いた、あるいは編集したラインハルト(t)攻撃に関する最近の著作に目を通すべきだと思いますが。

アラッドの包括的な仕事のアップデートを制作することに関しては、それも一案かもしれない――もちろん、私は「伝統主義者」というレッテルを、「修正主義者」のバカバカしさのもう一つの見せ場だと考えているが。

《ラインハルト収容所が通過収容所であったことを示す証拠は存在するが、多くはない。》

ラインハルト収容所を経由してナチス占領下のソ連領に再定住したのであれば、そのような証拠はたくさんあるはずなのに、実際には存在しない。AR「通過収容所」から東方への輸送が行われたのであれば、輸送の組織と実行に関連する鉄道記録やその他の文書だけでなく、占領された東部領土の文民・軍政当局のファイル(ニック・テリー博士に尋ねてみてほしい)の大部分にも、AR「通過収容所」から東方への輸送に関する多くの文書が存在しないはずがない、何十万人ものユダヤ人が再定住したのだから。また、ナチスが大量殺人作戦に関連する証拠書類を破棄するのは理解できるが、トランジット・キャンプを経由して占領下の東部領土に再定住することに関する書類を破棄しなければならない理由はまったくない。それどころか、ナチスがユダヤ人を大虐殺したという戦時中の報道に対抗する手段として、このような文書が見せびらかされただけでなく(「おい、これを見ろ、我々はユダヤ人を殺しているのではなく、ロシア東部に追放しているだけだ」)、ラインハルト作戦に関与した大小の役人はみな、戦争犯罪で告発された場合に弁明するために、これらの文書を保存しておくことに重大な関心を持っていたはずである。遅くともスターリングラード以後は、ドイツが戦争に負けるという仮説も考慮に入れなければならなかった。1943年2月には、カサブランカ会議でナチス・ドイツの「罪を犯した野蛮な指導者たち」に対する「完全な処罰と報復」が発表されたため、ユダヤ人対策に携わった当局者は、戦犯として責任を問われることを覚悟しなければならなかった。 同年末、モスクワ会議の「残虐行為に関する声明」は、ナチスの残虐行為に対する訴追と処罰に関する連合国の方針を疑いなく明確にし、「ナチ党のすべての将校、党員、党員」(トップ指導者だけでなく)が関与した犯罪について責任を負うとした。このような状況のもとで、ヒムラー、グロボクニク、ヘフレから、「通過収容所」とされた場所を管理するスタッフにいたるまで、ラインハルト作戦の組織者・実行者たちは、大量強制送還には関与したが、大量殺人には関与していなかったことを証明する文書、つまり、自分たちの生命保険であった文書を破棄したとしたら、自殺願望のあるマゾヒストであったろう。歴史学者を名乗る者に期待されるべき常識と知的誠実さがあれば、このことだけでも「修正主義者」たちは、自分たちの理論や仮説がいかに無価値なものかを認識し、認めるはずである。彼らは明らかにそうではない。

《しかし、3つの収容所に送られた全員が絶滅させられたという従来の見方を覆すのに多くの証拠は必要ない。》

まったくナンセンスですよ、ダルトン教授。もし「修正主義者」が、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカで少なくとも130万人以上が殺害されたという「伝統主義的見解」に反論したいのであれば、大量殺人以外の何かがこれらの少なくとも130万人以上の運命であったという、もっともらしく、証拠に裏打ちされた証拠を提示しなければならない。そして、もしこれらの少なくとも130万人以上の人々が、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカを経由して、本当に「ロシア東方」に移送されたのであれば、「修正主義者」は、この実証を裏付ける豊富な文書証拠と目撃証拠を持っているはずである。しかし、彼らには何もない。

《実際、いくつかの例を挙げるだけで十分であろう。グラーフが引用しているいくつかの例をあげよう:(1) ソビボルを「Durchgangslager」(通過収容所)と呼んでいる1943年7月5日のヒムラーのメモと、強制収容所への改造要請--もし、ソビボルが実際には絶滅収容所であったならば、これは無意味であろう。(2)》

実際、WVHA(Wirtschaftsverwaltungshauptamt)が管理する強制収容所と、WVHAの組織に統合されていない絶滅収容所は、二足のわらじを履いていた、それゆえ、「通過収容所」を強制収容所に変えるというヒムラーの要求は、ソビボルがWVHAの強制収容所のシステムに組み込まれ、それに従って組織されることを意味していた。ソビボルを強制収容所に変えるというヒムラーの要請は、その収容所に戦利品弾薬の処理工場を設置する予定であったことに関連しており、ソビボルが通過収容所ではなかったことを示しているという点で、ヒムラーの要請よりも興味深いのは、彼がWVHAから受け取った返事であり、この返事は、要請とともに、LG Hagen vom 20.12.1966, 11 Ks 1/64 の判決に引用されている。拙訳:

親衛隊経済管理本部、ベルリン、1943年7月15日
リヒテルフェルト・ウェスト
ディクテーション・リファレンス:Ch.Po/Fa. Unter den Eichen 126-135
件名:ソビボル通過収容所
参照:5.7. RF/Bn 1674/43 Geh./RSの貴方の手紙
ベルリンの全国指導者へ
あなたの上記の指示によると、ルブリン地区のソビボル通過収容所は強制収容所に改造されることになっています。グロボクニク親衛隊大将とこの件について話しました。我々は二人とも、強制収容所への改造を断念することを提案します。あなたの目的、すなわち戦利品弾薬の処理場の設置は、この改造をしなくても達成できるからです。
上記の指示の他のすべてはそのままでよいでしょう。グロボクニク親衛隊大将と私にとってのみ重要なことですが、ご承認をお願いします。
ハイル・ヒトラー!
ポールの署名
親衛隊大将兼武装親衛隊大将

通過収容所には、戦利品弾薬の処理ステーションに必要な建造物も収容人数もなかっただろうが、絶滅作業に従事する数百人の収容者を抱える絶滅収容所にはその両方があった。

《ワルシャワ・ゲットーからの追放者の大部分はトレブリンカに行き(間違いなく、追放者全員)、そこでガス処刑されたと言われている。しかし、ワルシャワを出発した数千人のユダヤ人が、ミンスク(1000人)、スモレンスク(2000人)、ブレゼスクやマルチョヴィツェ(4000人)などに流れ着いたという記録がある;明らかに、彼らはトレブリンカを通過した。(3)》それが何故明らかなのか不明だ、というのも、列車がビャウィストクを経由していたとしても(経由していたのだろうか?)、トレブリンカ収容所を経由する必要はなかったからである。一方、占領されたソビエト領土に到着した輸送の証拠が示しているのは、比較的小規模な輸送に関するものであっても、そのような証拠を入手することがいかに容易であるかということである。数千人の経路をたどることができるのに、なぜ少なくとも130万人以上のソ連占領地への経路をたどることができないのだろうか?

ちなみに、マットーニョ&グラーフにとって、ミンスクでの輸送終了は大きな痛手であることは、私のブロガー仲間であるジョナサン・ハリソンのブログ『Mattogno and Graf Screwed By Their Own Source(マットーニョとグラーフ、自らのソースにねじ込まれる)』で指摘されている。

《1969年、ポーランドの歴史家(Leszczynska)は、1942年10月にベウジェツからマイダネクに向かった1700名のユダヤ人について報告している。(4)》

ヴィッテとタイアスが分析した1943年1月11日のハイムへのヘフレの報告書から分かるように、マイダネクは当時ARキャンプ複合施設の一部とみなされていた(あなたの本にも書かれていると思うが)。だから、この報告書は、ベウジェツからソビボル、あるいはソビボルからトレブリンカへの移送と同じくらい、あなたのケースとは無関係なのだ。

《二人のユダヤ系ポーランド人の歴史家が1966年に、ワルシャワからの追放者の一部がトレブリンカを経由してマイダネクに到着したと報告している。:実際、証人のサミュエル・ジルベルシュタインは、まさにこの旅行を語っている。(5)》同じ理由で無関係だ。ところで、あなたがここで言っている「評判の良い」二次資料とは何だ? マットーニョ&グラーフのトレブリンカ本か?

《生存者ユリウス・シェルヴィスによる最近の本では、彼がソビボルからマジャダネクへ、そして後にアウシュヴィッツへと強制送還されたことが語られている。彼は3つの収容所すべてを生き延び、最後は祖国オランダに戻った。およそ700人のオランダ人ユダヤ人が同じような旅程をたどった。(6)》そう、シェルヴィスを含むソビボルに到着した比較的少数の者は、周辺のかなり致命的な労働収容所に送られた。ダルトン教授、あなたは、ソビボルについてのシェルヴィスの記述のこの部分を受け入れながら、ソビボルでの約16万人のユダヤ人殺戮についての彼の再構成を虚偽であるとして退ける根拠は何なのでしょうか? あなたの基準を説明していただけませんか?

《生存者のミンナ・グロソヴァは68歳でソビボルに送られた。そこではガス処刑されず、アウシュビッツに送られた。そこでもガス処刑されず、収容所に登録されたが、1943年にそこで病死した》

もしそうなら、その女性は特別に体調が良かったか、あるいは特別に生かされるだけの価値がある技能を備えていたに違いない。私は、シェルビス氏が説明した労働収容所とこの件とが、ソビボルへの約16万人の強制送還者の運命についての代替的な説明に、どのように近づくのか理解できない。

《ミューレンカンプが私の本を読む気になれないのは残念だ。(購入価格が彼の手の届く範囲を超えていたら申し訳ない。おそらく彼はロマノフと半分ずつでやっていけるだろう)》

しかし、「修正主義者」のプロパガンダに35ドルも費やすつもりはないし、それによって「修正主義」に資金を提供するつもりもない。しかし、もしこの本が私に無料で提供されるのであれば、私は喜んでこの本を読むつもりである。この本の中でも言及されている批評家として、私自身はこの本を読む権利があると考えているし、すでに書いたように、ダルトン教授および/または彼の出版社がこの本の品質に自信を持っているのであれば、何の問題もないはずのことである。

《そして、それを「プロパガンダ的ナンセンス」と断定するのは、まさに不誠実だ。》実際、この本の「はじめに」と第1章、そしてサントマウロ氏のご好意で我々の知るところとなったセルゲイ・ロマノフの論文に言及したダルトン教授の不誠実な例によって、それは十分に立証された意見である。ダルトン教授、非常にお粗末である。

《しかし、これは彼にとっては当たり前のことなのだろう。本のウェブサイトからの抜粋だけで、アマゾンのレビューに「星1つ」という評価を下すような胆力を持つ者は、誠実さを持っていない》もう一人の「修正主義者」は、私の論評に対する熱狂的な暴言の中で、すでにこのマントラを試みている、ダルトン教授。しかし、この本の序章と第1章を読んだときの印象の悪さを主な根拠とする意見が、いったいどのようなものなのか、彼は説明することができなかった、しかも、「修正主義者」の虚偽を十分に知っていて、その後に何が起こるかを現実的に予想できる人間が、誠実さと関係があると思われるのか。そして、あなたがそれ以上の結果を残せるかどうか、私は強く疑問だ。しかし、誠実さをまったく欠いているのはどういうことか、教えてあげよう、ダルトン君:どちらの陣営とも仲良くする気はない」と、「公平」を謳いつつ、「修正主義者ではない」し、「彼らの主張を支持しない」一方で、「修正主義」を賛美する。そして、古い「修正主義者」のニシンを、騙されやすいと思われる大衆に売りつけようとしている。もしあなたがこの見え透いた変装を脱ぎ捨て、「修正主義」を賞賛し、「修正主義者」の主張を推進すると明言していたなら、私はあなたにいくらか尊敬の念を抱いただろう(多くはないが、いくらかは)。現状では、私には何もない。

《彼は議論に有益なことを付け加えられると思うだけに、これは残念だ。》

実は、そのためにこのブログを書いているんが、そして、私はある程度の成功を収めたと主張できると思う。しかし、あなたが議論に貢献するかどうかは別問題だ。あなたの本について読んだ限りでは、ルドルフ、ベルク、マットーニョ、グラフ、その他の「真剣な献身的作品」の作家が売り込んだものを再利用しているようにしか見えない。自分の「修正主義者」としてのバイアスを認める誠実ささえない人物が売る、新しい缶詰の古いニシン。

ダルトン教授、あなたが主張する博士号をどこで取得したのか、そしてアメリカのどこの大学で人文科学を教えているのか、教えてくれることを期待しているよ。著名な学者を「アマチュア」と揶揄する人は、その優れた資質を証明する証拠を示すべきだ。

マイケル・サントマウロ 2009年5月18日月曜日17時54分00秒
ダルトン教授は言う:

「古いニシン」への返信

私の序章と第1章に対するミューレンカンプの「批評」は、わずかなコメントしかする価値がない。
第一に、彼はここで中立の立場をとり、双方の主張を客観的に評価することは不可能だと考えている。しかし、彼は、誰もがある時点ではこの問題の新参者であり、すべての議論を聞く権利があることを忘れているようだ。ミューレンカンプが生まれながらにして奇跡的に真実を知っていたとか、神から洞察力を授かったとかでない限り、彼もある時点で、オープンマインドでこの問題に出会ったに違いない。それ以外の選択肢は、彼はただ伝統的なプロパガンダを何も考えずに飲み込んでしまったということだ。その場合、彼の思考プロセスはどうだったのか?その場合、彼の思考過程はどのようなものだったのだろうか?

大げさな表現と煙のようなものを一掃してしまえば、彼の批評は、(1)証拠の歪曲、(2)重大な事実の省略、(3)藁人形論法の作成、(4)燻製ニシンの虚偽の使用、という4点に集中しているように見える。事実であれば、すべて妥当な指摘である。順番に説明しよう:

(a) もし修正主義者が証拠を歪曲または操作しているのであれば、私は、問題となった箇所の引用や、歪曲または操作が関与していることを示す証拠を含め、明確かつ具体的な告発を聞くことを期待する。(例えば、意図的でない誤りとは対照的に)。私は、修正主義者の文献のどこかにそのような違反があることを疑わないが、私の議論の再録では、そのような歪曲をすべて避けようとしてきた。もし、そのような歪曲があったのなら、私はそれを知りたい。(もちろん、証人も含めて伝統主義者がこの同じ罪を犯しており、ミューレンカンプがそれに気づいているのであれば、私は彼がこのことを私たちに知らせてくれることを期待している。)

(b)省略について:歴史上の出来事について簡潔に説明する場合、何が最も重要で関連性があるかについて判断しなければならない。私は、両者の最も重要な証拠の断片を提供するよう努めた。もし私の描く伝統的な見解に重要な事実が抜け落ちているのであれば、それを教えてほしい。最終的には、何が重要であるかという判断に行き着くわけだが、私の本である以上、それは私の判断である。しかし、私はすべての意見を歓迎する。ミューレンカンプは彼のレビューで、この線に沿った具体的なことを何も提示していないので、私はこの告発に対して何も答えることはできない。

(c)ミューレンカンプは少し混乱しているようなので、『藁人形論法』とは、インチキで誤りを犯しやすい論法を相手に帰属させ、それを撃退し、それを使って相手の立場全般を貶めることである。私の本には「対戦相手」はいない――私はただ、それぞれの立場で最良の議論を提供しようと試みているだけだ――ので、私個人に対する非難は何の重みも持たない。おそらく、個々の修正主義者がこれを試みているのだろうが、もしそうなら、私はそれを考慮から除外しただろう。繰り返しになるが、もし何かがすり抜けたのであれば、ご教示いただきたい。

(d)「燻製ニシンの虚偽」とは、無関係な、あるいは単に関係のない問題を追及することで、読者を目の前の真の問題からそらそうとする試みである。これもまた判断の分かれるところだ。もちろん、私は余計な話題や誤解を招くような話題で時間を無駄にしたくないが、現状を守る側にとっては、厄介な問題を「無関係」、「付随的」、あるいは......「燻製ニシンの虚偽」として片付けるのは非常に簡単なことだ。私の本の文脈では、何が重要かは私が決める、そして最終的には、読者は同意するか、同意しないかのどちらかになるだろう。

ミューレンカンプが反修正主義法の回避や撤回を望んでいると聞いてうれしい。おそらく彼は言論の自由を尊重しているのだろう。

4つの神話についての私の議論は、ミューレンカンプにとって問題となる。その1について、もし彼が「ホロコースト」を「ヨーロッパ・ユダヤ人の大量殺戮の試み」と定義したいのであれば、あるいは、もっと標準的にいえば、「殺人ガス室の使用などを含む意図的な大量殺戮プログラムによって、600万人のユダヤ人が実際に殺された」と定義したいのであれば、この「ホロコースト」は起こらなかったとするのが(修正主義者の視点からは)正しいことになる。しかし、伝統主義の言葉では、『起こらなかった』はすぐに『何も起こらなかった』に変わる――しかし、実際には、修正主義者たちは、何十万人ものユダヤ人が(少なくとも)、投獄や迫害という恐ろしい状況の中で、さまざまな原因によって死亡したと考えている。だから、ホロコーストは『起こらなかった』と修正主義者を非難するのは、修正主義者の立場を無意味に戯画化したものである。実際の議論や、具体的に何が起こったか、あるいは起こらなかったかという議論にこだわる方がいい。

神話その2の死体写真については、ミューレンカンプが本質的に私と同意見であるため、議論に値しない――写真は何の証明にもならない。

神話その3については、デマはなかったという私の主張にも同意している。彼は私の「魚物語」の比較が気に入らず、ニュルンベルク時代からこの話は揺るぎないものだったと誤解を招くようなことを言う。わずかな修正に過ぎないという指摘(ユダヤ人死亡収容所の数字は「400万というより300万に近い)は、ほとんどユーモラスである。実際、死亡統計は10倍以上の開きがあり、今日に至ってもコンセンサスが得られていない。間違った地図や図が出回り、水槽や電熱板や蒸気で殺すという幻想的な話もあった。私の本の付録Bには、有力な目撃者による数十のとんでもない主張が列挙されている――読めばわかるはずだ。

そして、彼は私の神話4に同意している。

「ホロコースト研究は現在、その大部分が非ユダヤ人によって行われている」という彼の笑止千万な主張について:ポーランド人は同じ被害者として、伝統的な見方を維持することに利害関係があるのだから、多くの非ユダヤ人がこのような調査を行っても不思議ではない。しかし、私の焦点は英語作品であり、ここでミューレンカンプはユダヤ人以外の作家の名前を10人見つけるのに苦労している(彼らが実際にユダヤ人でないとは確信できないが、それは受け流す。)。図書館のデータベースに登録されているホロコーストに関する著作46,000件(!)と比べてみてほしい。もしこのうち1%(460件)でもユダヤ人以外の著者であれば、驚きである。

最後に、反修正主義者の仕事は多かれ少なかれ「達成」され、ジマーマンとヴァンペルトの著書で頂点に達したという彼の主張には少々驚かされる。彼らの反論が本当に十分なものかどうかは、読者が判断しなければならないだろう。もし、それが修正主義に対する最高の反論だとしたら、伝統主義は私が思っていたよりも悪い状況にあることになる。

トーマス・ダルトン

ロベルト・ミューレンカンプ 2009年5月18日月曜日23時59分00秒
《ダルトン教授は言う:

「古いニシン」への返信

私の序章と第1章に対するミューレンカンプの「批評」は、わずかなコメントしかする価値がない:訳注:「私は、私が取り上げたくない議論から軽蔑のベールをかぶって隠れている」。》


さて、ダルトン教授、あなたの回答はまったくコメントするに値しないが、あなたがますますエッジを効かせているようなので、もう少し楽しませてもらおう。

《第一に、彼はここで中立の立場をとり、双方の主張を客観的に評価することは不可能だと考えている。》最初の文章、最初の誤報。私の主張は、双方の主張を客観的に評価することは、中立的な立場をとることを妨げるということだ。なぜなら、「修正主義者」の主張には何のメリットもないことを理解するために脳を使うか、あるいは、そのような主張には何かあると自分を納得させるために脳のスイッチを切るかのどちらかだからだ。

《しかし、彼は、誰もがある時点ではこの問題の新参者であり、すべての議論を聞く権利があることを忘れているようだ。》私が「歴史修正主義」を調査し始め、それに応じてホロコーストに興味を持つようになったとき、それが私がほとんど知らなかったし、それまであまり気にしていなかったテーマだったというのが事実だ。そして、結論はなんだと思いますか?

《ミューレンカンプが生まれながらにして奇跡的に真実を知っていたとか、神から洞察力を授かったとかでない限り、彼もある時点で、オープンマインドでこの問題に出会ったに違いない。そうでなければ、従来のプロパガンダを何も考えずに鵜呑みにしてしまったことになる。》いや、私はプロパガンダを鵜呑みにはしない。もしそうなら、私は「修正主義者」になっていたかもしれない。

《私は彼に疑惑の利益を与えたい――その場合、彼の思考プロセスはどうだったのか?》私の推論は、既知の証拠をすべて考慮に入れ、証拠に裏付けられていない仮定を追加する必要がない、あるいは最も少ない仮定を必要とする理論が、真実に最も近いものである、というものである。確立された歴史的記録はその資格があるし、民族浄化はあったが大量虐殺はなかったという 「修正主義者」の理論には当てはまらない。

《そして、なぜ彼はそのような確かな真理を知るに至ったのだろうか?》上記の推論を通して、だ。

《大げさな話や煙のようなものを一掃してしまえば、》

ダルトン教授が、自分が取り上げたくない議論をどのようにかわすか、興味深いですね?

《彼の批評は、(1)証拠の歪曲、(2)重大な事実の省略、(3)藁人形論法の作成、(4)燻製ニシンの虚偽の使用、という4点に集中しているように見える。

事実であれば、すべて妥当な指摘だ。》


ずさんな調査と誤った推論を加えれば、「歴史修正主義」の一言に尽きる。

《順番に説明しよう:

(a) もし修正主義者が証拠を歪曲または操作しているのであれば、私は、問題となった箇所の引用や、歪曲または操作が関与していることを示す証拠を含め、明確かつ具体的な告発を聞くことを期待する。(例えば、意図的でない誤りとは対照的に)。私は、修正主義者の文献のどこかにそのような違反があることを疑わないが、私の議論の再録では、そのような歪曲をすべて避けようとしてきた。もし、そのような歪曲があったのなら、私はそれを知りたい。》
私の連載の最初の部分は、具体的な「修正主義者」の主張や誤謬というよりも、「修正主義」の文脈や修辞的な枠組みについてのものであった。ダルトン教授が、私が書いたことのほとんどを論じるのを避け、私がほんの少し触れたことに焦点を当てているのは、非常に示唆に富んでいる――それは話題のすり替えだ。

具体的な歪曲や操作については、ダルトン教授がそう考えていると思われる「挑戦的で厄介な主張」を取り上げるときに触れることにしよう。とりあえず、ダルトン教授には、このブログで議論されている「修正主義者」の歪曲/操作の例をいくつか調べていただき、ご自身の著書でどこに言及したのか、あるいはどのようにそれを避けたのかを教えていただきたい。このような歪曲/操作が議論されているブログのリストは例示であり、すべてを網羅しているわけではない。

1. カルロ・マットーニョとトップフ・エンジニアの尋問
2. マットーニョの証拠の特別処置日本語訳
3. ユルゲン・グラーフは嘘つきである日本語訳
4. 確かにそうだ日本語訳
5. グラーフのさらなる虚偽表示:リトアニア
6. マットーニョによる歴史の濫用
7. ユルゲン・グラーフ、刑事司法とナチスの犯罪について
8. ヘウムノについてのヴェッカート日本語訳
9. だから、それは修正主義ではなく、否定なのである。第一部:ゾンダーコマンド1005を否定する人々日本語訳
10.ベウジェツ考古学研究に関するカルロ・マットーニョ-序論とその1

さらに「明確かつ具体的な罪状」があるが、今のところはこの10項目で十分だろう。

《(もちろん、証人も含めて伝統主義者がこの同じ罪を犯しており、ミューレンカンプがそれに気づいているのであれば、私は彼がこのことを私たちに知らせてくれることを期待している。)》この件に証人を持ち込むことは、ダルトン教授の不誠実さをさらに証明することになる。目撃者は証拠の源であり、信頼できる目撃者もいればそうでない目撃者もいる。麦と籾殻をふるいにかけるのが歴史家の仕事だ。ここで並置されているのは、歴史家対「歴史修正主義者」の宣伝家だが、私は、「歴史修正主義」のように証拠の歪曲や操作(考慮されるべき証拠の省略も含まれる)に耽るまじめな歴史的単行本の著者に出会ったことはないと言わざるを得ない。しかし、ダルトン氏が、例えば上記のブログで取り上げられているような例と比較できるようなものを示してくれるなら、私は大歓迎である。

《(b)省略について:歴史上の出来事について簡潔に説明する場合、何が最も重要で関連性があるかについて判断しなければならない。私は、両者の最も重要な証拠の断片を提供するよう努めた。もし私の描く伝統的な見解に重要な事実が抜け落ちているのであれば、それを教えてほしい。最終的には、何が重要であるかという判断に行き着くわけだが、私の本である以上、それは私の判断である。しかし、私はすべての意見を歓迎する。ミューレンカンプは彼のレビューで、この線に沿った具体的なことを何も提示していないので、私はこの告発に対して何も答えることはできない。》ダルトン教授も気づいているはずだが、私はまだ「具体的な」議論を始めていないので、「具体的な」話はしていない。しかし、彼がすでにどのような証拠を省いたか知りたがっているので、彼が著書で言及した以下のもののうち、どれだけのものがあるか見てみよう(繰り返すが、リストは例示であり、網羅的なものではない):

1. クリストファー・ブラウニングは、アーヴィング・リップシュタット訴訟で弁護側に提出した専門家報告書『最終解決実施の証拠』(日本語訳)の中で、他の犯罪複合体、とりわけ、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカのラインハルト収容所に関する文書資料と目撃証拠を提示し、評価している。彼は、これらの収容所での大量殺戮と死体処理の目撃者を5つのカテゴリー(ドイツ人訪問者、収容所で監督職にあったドイツ人、収容所の看守、収容所周辺の村のポーランド人、ユダヤ人生存者:日本語訳)に分類した:ダルトン教授の著書では、どの目撃者について言及されていますか?

2. 同じ報告書の中で、ブラウニングは、私のブログ『カルロ・マットーニョのベウジェツ考古学研究-その5と結論』で言及した文書を含むが、それに限定されない文書証拠についても言及している。ダルトン教授、あなたの本では、これらの文書のどれを取り上げましたか?

3. ブラウニングの報告書ではまだ考慮されていない文書で、その報告書が書かれた後に発見されたものであるが、1943年1月11日のヘフレのハイムへの無線メッセージは、ピーター・ヴィッテとスティーヴン・タイアスによる論文『1942年「アインザッツ・ラインハルト」期のユダヤ人強制送還と殺人に関する新文書』(日本語訳)で論じられている。ダルトン教授、あなたの著書でこの文書を取り上げましたか?

4.3.で述べたものと密接に関連する文書に、私のブログで取り上げたリヒャルト「私は知らなかった」コルヘア日本語訳)の『コルヘア報告』がある。ダルトン教授、あなたの本でこの文書を取り上げましたか?

5.ヨーロッパにおけるユダヤ人の人口損失を詳述した最初の報告書『枢軸国支配下のユダヤ人犠牲者に関する統計』(日本語訳)は、1945年6月にニューヨークのユダヤ問題研究所によって作成された。ダルトン教授、あなたの著書でこの報告書を取り上げましたか?

6.第二次世界大戦末期のヨーロッパにおける推定ユダヤ人人口は、英米調査委員会によっても確定された。同委員会の報告書の付録III日本語訳)には、1939年のユダヤ人人口と現在の生存者数が記載されている。ダルトン教授、あなたの本のどこかでこの文書を取り上げていますか?

7.ソ連占領地でのユダヤ人大量射殺に関する重要な文書集である、アインザッツグルッペンの『作戦状況報告ソ連』については、「アインザッツグルッペン入門(エール・F・エデイケン著)」(日本語訳)と、私のブログ仲間のイギリス人歴史家ニック・テリー博士の記事「アインザッツグルッペン報告書(事件報告書)」で論じられている。これらの報告は、「だからそれは否定であって、修正主義ではない」シリーズのいくつかのブログでも取り上げている。ダルトン教授のご著書の中で、これらの文書について触れていますか? もしあれば、それらについてどのように書かれていますか?

以上の7つの質問に対するあなたの答えに続いて、私はあなたが考慮すべきであったと私が考えるさらなる証拠についてあなたに尋ねます。

《(c)ミューレンカンプは少し混乱しているようなので、『藁人形論法』とは、インチキで誤りを犯しやすい論法を相手に帰属させ、それを撃退し、それを使って相手の立場全般を貶めることである。私の本には「対戦相手」はいない――私はただ、それぞれの立場で最良の議論を提供しようと試みているだけだ――ので、私個人に対する非難は何の重みも持たない。おそらく、個々の修正主義者がこれを試みているのだろうが、もしそうなら、私はそれを考慮から除外しただろう。繰り返しになるが、もし何かがすり抜けたのであれば、ご教示いただきたい。》

今後のブログで紹介するつもりだが、ダルトン教授が上記で述べたことを的確に実践している例を少なくとも1つ紹介した、「死体の写真はホロコーストが起こったことを証明する」という想定される主張を「撃墜」するように。詳細はこの記事本文を参照されたい。

《(d)「燻製ニシンの虚偽」とは、無関係な、あるいは単に関係のない問題を追及することで、読者を目の前の真の問題からそらそうとする試みである。これもまた判断の分かれるところだ。もちろん、私は余計な話題や誤解を招くような話題で時間を無駄にしたくないが、現状を守る側にとっては、厄介な問題を「無関係」、「付随的」、あるいは......「燻製ニシンの虚偽」として片付けるのは非常に簡単なことだ。私の本の文脈では、何が重要かは私が決める、そして最終的には、読者は同意するか、同意しないかのどちらかになるだろう。》

前にも言ったように(そして記事中にも予告したように)、ダルトン教授が言及した「挑戦的で厄介な主張」について論じながら、燻製ニシンの虚偽に迫っていくことにしよう。ディーゼルのマントラと、「数十年前にさかのぼる」600万人という数字に関するものは、上記の定義に照らして有望な候補のように見える。

《ミューレンカンプが反修正主義法の回避や撤回を望んでいると聞いてうれしい。おそらく彼は言論の自由を尊重しているのだろう。》

私はそうではない、あるいはこれは何を意味するのだろうか? 言論の自由とは、発言する権利のことであって、発言内容を尊重される権利のことではない。ダルトン教授が「修正主義者」のプロパガンダを口にする権利を意味するのであれば、私がそのプロパガンダについてどう思うかをダルトン教授に伝える権利も意味する。

《4つの神話についての私の議論は、ミューレンカンプにとって問題となる。1について、もし彼が「ホロコースト」を「ヨーロッパ・ユダヤ人の大量殺戮の試み」、もっと標準的にいえば、「とりわけ殺人ガス室の使用を含む意図的な大量殺戮プログラムによって、600万人のユダヤ人が実際に殺されたこと」と定義したいのであれば、この「ホロコースト」は起こらなかったと(修正主義者の視点から)言うことは確かに正しいであろう。しかし、伝統主義の言葉では、「起こらなかった」はすぐに「何も起こらなかった」に変容してしまう--実際には、修正主義者は、数十万のユダヤ人が(少なくとも)、さまざまな原因によって、投獄と迫害という恐ろしい状況のもとで死亡したと考えているのである。だから、修正主義者がホロコーストは「起こらなかった」と言っていると非難するのは、修正主義者の立場を無意味に戯画化したものなのである。》

そう思いますか、ダルトン教授? では、私はあなたに

a) あなたが「伝統主義者」とバカにしている人たちによって、「修正主義者」のスタンスが「何も起こらなかった」ことに「変質」させられた例をいくつか挙げてください。そして、

b)「修正主義者は、(少なくとも)数十万のユダヤ人が、さまざまな原因によって、投獄と迫害という恐ろしい状況のもとで死亡したと主張している」根拠となる証拠を明らかにしてください。「修正主義者」が、どのような証拠を受け入れ、その理由を明らかにし、どのような証拠を受け入れず、その理由を明らかにしなければ、あなたが「修正主義者」の立場を「何も起こらなかった」と「変容」させるために、どのような「伝統主義者」を私たちに示すことができたとしても、それは全くの間違いではないのですから。

《実際の議論や、具体的に何が起こったか、あるいは起こらなかったかという議論にこだわる方がいい。》ダルトン教授、私が興味を持っているのはまさにその具体的な内容だ。具体的には、「修正主義者」によれば、ヨーロッパのユダヤ人に何が起こったのか、「修正主義者」によれば、ナチスの政策はどのようなもので、どのように実行されたのか、そして最も重要なことは、「修正主義者」が正確な歴史記録であると主張するものについて、どのような証拠に基づいて結論を下しているのか、そしてなぜ彼らはこの証拠を「受け入れ」る一方で、大量虐殺を指摘する証拠はすべて「拒否」するのか、ということである。

《神話その2の死体写真については、ミューレンカンプが本質的に私と同意見であるため、議論に値しない--写真は何の証明にもならない。》

ダルトン教授もよくご存じのように、私が言いたかったのは、写真がそれだけで何かを証明するかどうかということではない。それは、ダルトン教授が、「死体の写真がホロコーストが起こったことを証明している」という「神話」があると主張し、その「神話」を嬉々として「打ち砕く」ことで、藁人形を作り上げたことについてであった。紙でできたドラゴンを退治するのは、ダルトン教授も好きそうな「修正主義者」の得意技である。

《神話その3に関しても、彼はデマはなかったという私の主張に同意している。彼は私の「魚の話」との比較が気に入らず、ニュルンベルク時代からこの話は揺るぎないものだったと誤解を招くような言い方をする。》

実際、私が書いたのは次のようなことだ:

《ナチスによるユダヤ人大量虐殺の本質的側面--絶滅計画、アインザッツグルッペンその他の機動部隊による大量射殺、絶滅収容所--については、ニュルンベルク主要戦犯裁判の国際軍事法廷判決の戦争犯罪と人道に対する罪の項のユダヤ人迫害の小項目ですでに述べたとおりである。》そしてそれは、「魚物語」の推測が不合理であることが証明された後、60年の歳月をかけて 「魚物語」が徐々に発展してきたというダルトン教授の主張に対するものだった。ニュルンベルクで判明したことは、その後の犯罪捜査や歴史研究によってほぼ確認されたと後に書いたが、私が言いたかったのは、ニュルンベルク判決に記された記録が「揺るぎない」ものかどうか、またその程度についてではなかった。それは、ダルトン教授が「魚物語」だと考えている、1945/46年にその本質的な部分が確立された記録が、60年の歳月をかけて徐々に発展したと主張することの愚かさについてである。つまり、ダルトン教授は私の発言の文脈を誤って伝えているのだ。

《わずかな修正(ユダヤ人収容所の数字は「400万というより300万に近い」)が生じただけだと示唆するのは、ほとんどユーモラスである。実際のところ、死亡統計は10倍以上の開きがあり、今日に至ってもコンセンサスが得られていない。》

そうなのか? では、ニュルンベルク判決にも、(少なくとも鉄のカーテンのこちら側での)歴史研究にも、どうしてそのようなバリエーションがないのだろう? ポピュラーなメディアや、価値の疑わしい他の情報源から流布された主張について騒ぎ立てるのは、古典的なストローマン論争と呼ぶべきものだ。今日に至るまでコンセンサスが得られていないことについては、ダルトン教授には、人類の歴史上、同じような性質と規模の大災害で、その大災害の全体あるいは部分的な死者数に関して絶対的なコンセンサスが得られているものがあれば教えていただきたい。その例をたくさん挙げてくれることを期待している。

《間違った地図や図が出回り、水槽や電熱板や蒸気で殺すという幻想的な話もあった。私の本の付録Bには、有力な目撃者による数十のとんでもない主張が列挙されている。》

ダルトン教授は、藁人形論法を避けたと前述しなかったか? しかし、彼はここで、そのような議論のオンパレードのようなもの、つまり、どんな出来事にもつきまとうような不正確な観察や噂についての古き良き「修正主義者」の騒ぎについて述べているのであり、それは、土曜の夜にバーでランボーの話をする何千人ものニセベトナム帰還兵の存在が、アメリカのベトナム戦争の事実とは無関係であるのと同様に、より信頼できる証拠に基づいて確立された歴史的事実とは無関係なのである。 

なぜダルトン教授はこの矛盾に気づかなかったのか?

《そして、彼は私の神話4に同意している。》実際、私が書いたのは次のようなことだ:

「だから、「修正主義者」が一般的に「右翼のネオナチ反ユダヤ主義者」であるというのは、不当な一般化であるということには同意する。しかし、「修正主義」がナチス・ドイツの理想化と反ユダヤ主義に無関係であり、その影響を強く受けていないと主張するのも、同様に不当な一般化である。」彼の希望的観測がダルトン教授に私の書いたものを正しく読ませなかったのか、それとも単に嘘をついているのか。

《ホロコースト研究は現在、その大部分が非ユダヤ人によって行われている」という彼の笑止千万な主張について:ポーランド人は同じ被害者として、伝統的見解を維持することに利害関係があるのですから、多くの非ユダヤ人がそのような研究を行っていても不思議ではない。》

ダルトン教授は、彼の先入観に基づく以外の何ものでもない、しかし、彼の反論は、ホロコースト研究がユダヤ人の手に委ねられているという彼の主張が誤った主張であるという事実とはまったく無関係である。また、私が言及したドイツの学者を彼が省いたことにも、私はきちんと留意している。どうやら彼には、彼らを切り捨てるような下らない言い訳が手元になかったようだ。

《しかし、私の焦点は英語作品であり、ここでミューレンカンプは非ユダヤ人作家の名前を10人見つけるのに苦労している(彼らが実際にユダヤ人でないということに私は納得していないが、それはスルーする)。》

実際には、読んだり聞いたりしたことのある作品を参考にしただけで、苦労する必要はまったくなかった。ダルトン教授が「英語作品」に焦点を当てているという主張は、杜撰な研究の証明である、ホロコースト研究は、決して英語の著作だけで成り立っているわけではない。そして、アングロサクソン語の領域でも、私が指摘したように、ホロコースト研究を専門とする非ユダヤ人が数多く存在する。「彼らが実際にユダヤ人でないとは確信していない」については、ダルトン氏の嘆かわしい考え方を物語っていると言えるが、それ以外のことはほとんど語っていない。

《図書館のデータベースに登録されているホロコーストに関する著作46,000点(!)と比べてみてほしい。もしこのうち1%(460点)でもユダヤ人以外の著者であれば、私は驚くだろう。》

ダルトン教授がこの数字をどこから得たのか、また、この46,000の著作のうち、回顧録やその他の非学術的な著作とは対照的な、学術的な研究(結局のところ、私たちがここで話しているのはそういうことなのだが)はどれくらいあるのだろうか。もし、この46,000の作品の1パーセントでも、ライトリンガーやヒルバーグのような学術的な研究であれば、私は大いに驚くだろう――その学者が主にユダヤ人であればなおさらだ。

《最後に、反修正主義者の仕事は多かれ少なかれ「達成」され、ジマーマンとヴァンペルトの著書で頂点に達したという彼の主張には少々驚かされる。彼らの反論が本当に十分なものかどうかは、読者が判断しなければならないだろう。もし、それが修正主義に対する最高の反論だとしたら、伝統主義は私が思っていたよりも悪い状況にあることになる。》

実際、私が書いたのは次のようなものだ(強調部分あり):

「「修正主義者」の希望的観測の世界以外では、ここ数年、「修正主義」を特に標的にした本が出なかった理由として考えられるのは、そのような本の著者候補が、「修正主義」を論破する仕事は、ジマーマンとヴァン・ペルトの著作とアーヴィング=リップシュタット裁判の判決によって達成されたと考えているからである、さらに、「伝統主義者」の歴史家たちが、「修正主義者の挑戦を受ける」ことを拒否しているとされる多くの著作(この目的のためであろうとなかろうと、確固とした研究はそのための一つの方法である)を、ダルトンは、「負けるかもしれない戦い」を避けるものとして、熱心に非難している。」

「しかし、私が考える最大の理由は、ダルトンが言及していないことであり、それは、「修正主義者」のプロパガンダが広まる重要な媒体がウェブであるということである(ダルトンが好意的に述べているように、「修正主義者の完全なテキストがいくつかオンラインで無料で入手できる」のもそのためである)。したがって、書籍市場ではなくウェブこそが、「修正主義」と対峙する本質的な場であり、反「修正主義」の重要な資料が見つかるのも、基本的にはウェブ上であることは論理的に明らかである。」おわかりのように、私は「反『修正主義』の仕事は多かれ少なかれ『達成』され、ジマーマンとヴァンペルトの本で頂点に達した」とは主張していないが、そうでなければ『修正主義』に反対する本を書くかもしれない人々が抱いている考えかもしれないと推論したのである。また、最近の反『修正主義』本(ダルトンはこれを完全に無視した)がないことについての私の主な説明は、『修正主義』プロパガンダの普及と対決は、主としてウェブ上で行われているということである。

今回のダルトン教授のように、相手の本論を無視して相手の副論を誤魔化すような人物をどう呼ぶかは、読者の判断に委ねられるだろう。

私はそのような人物を嘘つきでペテン師と呼ぶ。

トーマス・ダルトンああ、忘れないうちに:ダルトン教授、あなたの資格に関する質問はまだ残っています。太字にしておきますので、もう読み飛ばされないように:

博士号はどこで取得されたのですか? アメリカのどの大学で人文科学を教えているのですか? 

ダルトン教授、あなたが答えるべき2つの質問に問題はない。もちろん、あなたがその不誠実な論法が示唆するようなインチキでない限りは、である。

ニコラス・テリー 2009年5月19日(火)13時39分00秒
トーマス・ダルトン:「ホロコーストの研究は現在、ほとんどユダヤ人以外によって行われている」という彼の笑えない主張について:ポーランド人は同じ被害者として、伝統的な見方を維持することに利害関係があるのだから、多くの非ユダヤ人がこのような調査を行っても不思議ではない。しかし、私が注目しているのは英語の作品であり、ミューレンカンプはここで、ユダヤ人以外の作家の名前を10人見つけるのに苦労している(彼らが実際にユダヤ人でないとは確信できないが、それはスルーした)。これを、図書館のデータベースにあるホロコーストに関する46,000(!)の著作と比較してみると、これらの著者の1パーセント(460人)でも非ユダヤ人であれば、驚きである。」

ロバート:「実際、私は、自分が読んだり聞いたりした著作を参照するだけで、苦労する必要はまったくなかった。ダルトン教授の焦点が「英語の作品」であるという主張は、研究が杜撰であることの証明である。そして、アングロサクソン語の領域でも、私が指摘したように、ホロコースト研究を専門とする非ユダヤ人は数多く存在する。彼らが実際にユダヤ人でないとは確信していない」という点については、ダルトン氏の嘆かわしい考え方を物語っていると言えるが、それ以外のことはほとんど語っていない。」
「ダルトン教授はこの数字をどこから得たのだろうか。そして、この46,000の著作のうち、回顧録やその他の非学術的な著作とは対照的な、学術的な研究(結局のところ、私たちがここで話しているのはこのことなのだが)はどれくらいあるのだろうか。もし46,000の著作のうち1%でもライトリンガーやヒルバーグのような学術的研究であれば、私は大いに驚くだろう。」

46,000冊というトーマス・ダルトンの主張は、彼が行った簡単なWorldCat検索によるものである。残念ながら、ダルトンが言及していないのは、これらは46,000冊の個々のタイトルではなく、翻訳を含むタイトルの版であるということである。

(翻訳者中:実は2024年3月現在では、WorldCatで「Holocaust」で検索をかけると、その10倍近い422,954件あります)

上記の彼のコメントで「著者の1%=460人」とあるのは、彼がWorldCatで読んだ内容を理解していないことを示唆している。

では、この「46,000冊」の内訳はどうなっているのだろうか?ロベルトの言う通り、多くは回想録であり、小説も相当数ある。もっと多い。

「Holocaust」というキーワードで検索してみると、現在44,624のエディションがリストアップされている:

伝記 (10092)
フィクション (2284)
ノンフィクション (42340)
論文/学位論文 (2215)

ノンフィクションのカテゴリーには、明らかに伝記や論文/学位論文も含まれる。

よく見ると、自伝や回想録は「伝記」に含まれている。

もう一度言う:つまり、アンネ・フランクとクレジットされている版は51もあるが、彼女は日記と小説を一冊ずつしか書いていないにも関わらず、別々に出版されることもあった。

このように版数の合計は、ゼロから書かれた本と同じくらい、再出版や翻訳の頻度が高いことを部分的に示している。

また、これは本当に面白いことだが、ハードカバー版とペーパーバック版も示されている。

このように、上位20人の作家は44,000冊のうち1,220冊を占めている。

さらに、ダルトンは本書のp.219で触れていないが、44,624のうち英語版は18,918しかない。残りの25,716編は外国語で、907編は「未定」に分類されている。

ホロコーストがこれほど多くの書物を生み出した理由の一つは、それが現在では25の別々の国家にまたがって起こったことであり、傍観者としてさらに10近くの国家が関与したことである。そしてこのことは、外国語による原著の出版が非常に多いだけでなく、包括的というにはほど遠いものの、外国語から英語への翻訳、英語から外国語への翻訳がかなり多いことにも反映されている。

しかし、1000冊もの本が未翻訳のままである。翻訳には費用がかかり、新刊よりも優先順位が低いことが多いという単純な理由からである。ハンス・サフリアンの『Die Eichmann-Maenner』は、1993年にドイツ語で出版されて以来、ほとんどずっと「翻訳中」であり、いまだに出版されていない。

英語の本にしか興味がないというのは、ヨーロッパ史の一出来事に関する学問について語るとき、もちろん軽率と不誠実の極みである。ダルトンは、このような明らかな戯言を言い逃れできると考えているのであれば、どの分野の学問にも精通していないことは明らかである。

また、彼がプリモ・レヴィのイタリア語版や中国語版を読まないことは許されるとしても、ホロコーストに関する外国語の学術文献だけでなく(ドイツ語の学術文献を否定していることは誰も馬鹿にしていない)、英語の学術文献に精通していないことは明らかである。

ダルトンの書誌には、重複を除けば、わずか95の「主流」の書籍、論文、ブログ記事しか含まれていない。私の生徒の中には、5,000語のプロジェクト・エッセイを書くだけで、その半分に達した者もいる。

そのうちの100冊にも満たない本を抜き出しながら、なぜ真顔で『46,000冊の本』の生産を批判できるのか、不思議でならない。また、これらの主流作品のいくつかを引用していることから、彼がそのいくつかを実際に読んだことがあるのか、単に修正主義者の文章から引用したのではないのか、と私は疑問に思う。

パンドラの箱を開けてしまった以上、彼が理解できると主張する言語の著作を無視することは非難されるべきだ。

トーマス・ダルトンとは違って、私はホロコーストに関する学術研究の世界を実際に内側から見てきた。彼の空想とは逆に、その世界には、ディアスポラ系ユダヤ人やイスラエルの歴史家だけでなく、あらゆる国籍の非常に多くの非ユダヤ人研究者がいる。

この分野が国際的であるからこそ、他の学問分野と同じように、その集団的成果を「ユダヤ人だから」「英語で書かれていないから」という理由で選択的に否定することはできないのである。

ダルトンは自著P.219で、英語で書かれたホロコースト文学の氾濫を「思想の独占」と言い逃れようとしている。

ダルトンが最近大学の図書館に足を踏み入れたのか、それとも書店に足を踏み入れたのか、疑問に思わざるをえない。このテーマに対する大衆の関心が高いことは間違いないとしても、ホロコーストは現在進行中の数多くの大衆的テーマの一つにすぎないからである。

結局のところ、「世界大戦、1939-1945」という主題分類の下には、約23万3,000件のエディションがあり、そのうち半分が英語で、半分が外国語である。

実際、「世界大戦、1939-1945、米国」の版数は33,357であるのに対し、「ホロコースト、1939-1945」の版数は31,505である。このうち11,998編は英語で、19,507編は外国語である。従って、第二次世界大戦へのアメリカの関与は、ホロコーストの3倍、単純なキーワード分類ではまだかなり多い量の、主題分類された英語文献を生み出していることが容易にわかる。

第一次世界大戦では116,331版が出版され、そのうち64,139版が英語版である。

より古い出来事を考慮しても、ほぼ同じである。アメリカ南北戦争に関連する書籍は65,708部ある(『United States History Civil War 1861-1865』)。

2000年から2007年にかけて、南北戦争をテーマにした書籍は平均938.5版出版されている。圧倒的に多いのは英語版で、英語版では毎年平均917.65版がこのテーマで出版されている。

これは、ダルトンがp.219で発見し引用したように、2000年から2007年にかけて英語で出版されたホロコーストに関する本の版数とまったく同じである。

同じ時期に、「ソビエト」というキーワードで英語で出版されたものは年平均1,392版、「世界大戦、1914-1918」というテーマで出版されたものは729版/年、「ベトナム戦争、1961-1975」というテーマで出版されたものは431版/年であった。

英語圏の読者の破壊への欲求は尽きることがないようだ。

ジョナサン・ハリソン 2009年5月19日火曜日18時36分00秒
ダルトンはこう主張している:

「生存者ユリウス・シェルヴィスによる最近の本には、彼がソビボルからマジャダネク、そしてアウシュヴィッツに追放されたことが書かれている。彼は3つの収容所すべてを生き延び、最後は祖国オランダに戻った。およそ700人のオランダ人ユダヤ人が同じような旅程をたどった」

ダルトンが実際にシェルヴィスを読んだのであれば、この箇所は全くの嘘である:

「到着後すぐに、泥炭を掘るために労働収容所ドロフツァに移された約700人のオランダ人のうち、戦争で生き残ったのは2人だけであった。ルブリンの他の地区では、13人の女性と1人の男性だけが、ドロフツァでもルブリンでもなかったが、悲惨と死と希望の間で執拗に引き裂かれながら、他の多くの収容所で過ごした後に解放された」(p.191)

ダルトンは、この重大な誤報を説明してくれるだろうか?

ロベルト・ミューレンカンプ 2009年5月21日木曜日14時53分00秒
このブログについてのさらなる議論は、ブログ「マイケル・サントマウロ、トーマス・ダルトン両博士との対談」のディスカッションセクションを参照のこと。(サントマウロ/ダルトンの2009年5月20日(水)午後11時19分00秒の投稿と、私の2009年5月21日(木)午後2時30分00秒、2009年5月21日(木)午後2時31分00秒、2009年5月21日(木)午後2時33分00秒、2009年5月21日(木)午後2時34分00秒、2009年5月21日(木)午後2時35分00秒、2009年5月21日(木)午後2時36分00秒、2009年5月21日(木)午後2時37分00秒の投稿)。

SenorP 2009年6月20日土曜日1時08分00秒
こんにちは、私はこのホロコースト否定へのリンクも投稿することができます:

マイケル・サントマウロ
エディトリアルディレクター
電話番号917-974-6367
ReporterNotebook@Gmail.com

Adolfthegreat@gmail.com
ジョン・クラーク

http://en.metapedia.org/wiki/Adolf_Hitler

http://de.altermedia.info/general/ursula-haverbeck-was-ist-der-holocaust-211107_11973.html

http://abbc.net/islam/svenska/fildok/bilderen.htm

http://www.fpp.co.uk/search/

不明 2009年11月16日月曜日 5時30分00秒
サントマウロ/ダルトンはまだやっている

http://scienceblogs.com/insolence/2009/11/combatting_holocaust_denial_ur_doing_it.php#more

-死馬を叩く話。

ジェームズ 2009年11月16日月曜日16時13分00秒
ホロコーストの生存者が実際に不足していたわけではないのだ:

イスラエル首相府は最近、「生きているホロコースト生存者」の数を100万人近くと発表した」(ニューヨーク市立大学のノーマン・G・フィンケルシュタイン著『ホロコースト産業』(Verso, London and New York, 2000, p.83)より抜粋)。

["ホロコースト生存者 "でググると1,710,000件がヒットする]。

ウィキペディアの記事も参照:ホロコースト生存者リスト
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Holocaust_survivors - 引用:

「ヨーロッパにおけるナチスの大量虐殺を生き延び、偉大な名声と知名度を持つ業績を残した有名なホロコースト生存者は数多くいる。ここに挙げた人たちは、少なくとも、第二次世界大戦中に枢軸国に占領されたヨーロッパの地域の住民で、ホロコースト(と戦争)が終わるまで生き残った人たちである。これらの人々の大半は、ナチスの強制収容所に収容されて生き延びたが、それはこのリストの目的には厳密には必要ない...」

私はチャーチルの『第二次世界大戦』全6巻をチェックしたが、この記述はまったく正しい。ナチスの『ガス室』、ユダヤ人の『大量虐殺』、戦争によるユダヤ人犠牲者『600万人』については一言も触れていない。

アイゼンハワーの『ヨーロッパにおける十字軍』は559ページ、チャーチルの『第二次世界大戦』は4,448ページ、ド・ゴールの『戦記』全3巻は2,054ページである。

1948年から1959年にかけて出版された、全部で7,061ページ(序論部分を除く)に及ぶこの大量の著作の中には、ナチスの「ガス室」、ユダヤ人の「大量虐殺」、戦争によるユダヤ人犠牲者「600万人」についての言及はない。

ジェームズ 2009年11月16日月曜日16時16分00秒
本当に面白い算数だ:

無限とも思える数の生存者の一人による典型的な証言を見てみよう:オルガ・レンギェル著『5本の煙突:アウシュビッツの女性生存者の実話』(グラナダ/ジフ・デイヴィス、1947年、1972年)。

この本の表紙には、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の記事が引用されている:「情熱的で、苦しめる」。広島と長崎で使用された原爆のアメリカによる建設を推進したアルバート・アインシュタインの言葉が引用されている。「あなたは、今や沈黙し、最も忘れ去られた(中略)人々に語らせることで、真の奉仕をした」

レンギェルは言う。

「1943年6月以降、ガス室はユダヤ人とジプシー専用となった。30分ごとに360体の死体、これは人肉を灰にするのに必要な時間すべてであり、1時間あたり720体、24時間シフトあたり17,280体の死体が発生した。そしてオーブンは、殺人的な効率で昼夜を問わず機能した。しかし、1日に8,000体の死体を焼却できる死体坑も計算に入れなければならない。ざっと計算すると、毎日約24,000体の死体が処理されたことになる。立派な生産記録であり、ドイツの産業をよく物語っている」。(文庫版、80-81頁)。[「死坑」には、遺体の痕跡はまったく見つかっていない。]

つまり、4営業日でほぼ10万人、40日で100万人、240日(8カ月)で600万人ということになる。

この主張は誤植だろうか?

キティ・ハートは、ポーランド生まれのユダヤ人生存者であるにもかかわらず、この数字を完全に裏付けている:

24時間体制で、4つの部隊を合わせて、24時間ごとに約18000体の死体を処理することができた。(118頁;『アウシュヴィッツへの帰還』グラナダ社ペーパーバック版(1981年、1983年)。

カバーの宣伝文句によれば、「受賞歴のあるヨークシャーの同名のテレビドキュメンタリーの題材」である。「魅力的であり、悲痛でもある...増え続けるホロコースト文学への重要な追加であり、日々の苦悩と生き延びようとする意志の両方をこれほど勇敢に伝えているものはほとんどない」――マーティン・ギルバート、『タイムズ』紙

ホロコースト」を代弁する不屈のユダヤ人運動家であり、ウィンストン・チャーチルの伝記作家でもあるマーティン・ギルバートは、豊かな味わいに加えて、彼自身の数字的な主張を展開している:

『アウシュヴィッツと連合国』(1981年)の中で、彼は次のように述べている。

1942年の春から初夏にかけて、ヨーロッパの全ユダヤ人を組織的に滅ぼそうとする意図的な試みは疑いもされなかった:最も激しかった時期、その間、ベウジェツ、ヘウムノ、ソビボル、トレブリンカで毎日何十万人ものユダヤ人がガス処刑されていた」(p.26)

1日あたり最低20万人と仮定すれば、週5日労働で100万人、6週間で600万人ということになる。ギルバートの祝福のもと、ハートとレンギェルが提出したアウシュビッツに関する実に畏怖すべき主張は、これには含まれていない。

セルゲイ・ロマノフ 2009年11月16日(月)16時17分00秒
何が言いたいんだ、ジェームスM? あなたの「主張」がいかに馬鹿げているか、理解しているか? ホロコーストについて書かなかったとされる人々がいる、だからホロコーストはなかったというのか? あなたは本当に頭が悪いのか? チャーチルがアウシュヴィッツに言及しなかったとすれば、アウシュヴィッツは存在しなかったということになるのか? これが、あなた方否定派のレミングにできる精一杯のことなのか?

ジェームズ 2009年11月16日月曜日 16時17分00秒
エリー・ヴィーゼル vs ブリタニカ百科事典

ヴィーゼルは、ホロコースト生存者として知られる非常に大きなグループの最も著名なスポークスマンの一人である。[2000年に出版されたニューヨーク市立大学のノーマン・フィンケルシュタインの著書『ホロコースト産業』によると、「イスラエル首相府は最近、『生きているホロコースト生存者』の数を100万人近くと発表した」(p.83)。ヴィーゼルは、米国ホロコースト記念評議会の議長を務め、議会金メダルとノーベル平和賞を受賞している。
タイム誌1985年3月18日号

彼は、今世紀でもっとも悪名高い二つの殺戮の場[アウシュヴィッツとブッヘンヴァルト]をどのように生き延びたのであろうか。「私には分からない」と彼は言う。「私はいつも弱かった。私はいつも弱っていた。ちょっとした風でもひっくり返った。ブッヘンヴァルトでは毎日1万人が死に追いやられた。私はいつも門の近くの最後の100人にいた。彼らは止めた。なぜ?」

ブリタニカ百科事典(1993年)の「ブッヘンヴァルト」と比較してみよう:

「第二次世界大戦では、約2万人の囚人が収容された。ガス室はなかったが、病気、栄養失調、疲労困憊、殴打、処刑によって、毎月数百人が死亡した」。

セルゲイ・ロマノフ 2009年11月16日月曜日16時19分00秒
あのう。レンギェルは火葬を目撃したとは言っていない。ハートもそうだ。彼らの数字はどの歴史家も使ったことがない。で、何が言いたいんだ? 否定派のレミング君。

セルゲイ・ロマノフ 2009年11月16日月曜日16時20分00秒
スパムはやめろ、否定派のレミング。

セルゲイ・ロマノフ 2009年11月16日月曜日16時48分00秒
否定派の糞野郎は、「スパム行為をやめろ、否定派のレミング」のどこが理解できないんだ?

セルゲイ・ロマノフ 2009年11月16日月曜日16時56分00秒
ところで、スパミン・レミングは大馬鹿者だ。例えば、彼の最後のコメントを見よ。ヴィーゼルが避難輸送について話しているのは明らかだ。口頭でのインタビューだから正確ではないが、彼の本を読んでいれば、彼が最後の数日間について話していることはわかるはずだ。約12-15000人が避難輸送で亡くなった。

調べてくれ、ゾンビ。

不明2010年3月2日火曜日14時54分00秒
???

サントマウロ氏のコメントが全て消えているのが気になって仕方がない。あなたが抜いたのか、サントマウロ氏が抜いたのか?

本当に残念だ。この引用文は、「「修正主義者」の愚かさ/欺瞞のショーピース」記事の「ngoodgame」を倒すのに大いに役立っただろうに。まあ、「ダルトン」の記事が足元にも及ばないというわけではない。

SenorP 2010年3月3日水曜日午前2時3分00秒
「ブッヘンヴァルトでは毎日1万人が死に追いやられた。私はいつも門の近くの最後の100人にいた。彼らは止めた。なぜ?」

これが単なる言い間違いであることは明らかだと思う。アウシュビッツ/ビルケナウ/モノヴィッツのことを指しているのは明らかだ。

匿名  2012年3月9日(金) 21時43分00秒
「ナチスがユダヤ人を強制的に再定住させるつもり「だけ」であり、死者数は彼らが「受け入れる」用意のあるものであった」という証拠として、彼らはどのようなものを提示するのだろうか?

第一に、ヴァンゼー議定書は明らかに追放と強制移住(とにかく恐ろしいことだ)について述べている。第二に、ナチズムとシオニズムの接触と関係(ハンナ・アーレントでさえそれについて語っている)。ゲッベルスの論評には、シオニズムを賞賛する記事がいくつか掲載されている。

SenorP 2012年3月11日日曜日 6時40分00秒
ユダヤ人の「再定住」は婉曲表現であったことは、他の文書が証明している。ナチスが1941年夏にリトアニアとラトヴィアのホロコースト参加を撮影し、記事にしたという事実は、ホロコースト否定派が慎重に議論を避けていることだ。

大量殺戮の技術は、ヒトラーが承認した身体障害者に対する戦争、すなわち「安楽死」で最初に試された。ヒトラーもそれを認めていた:

paolosilv.wordpress.com

匿名 2012年3月11日(日) 15:31:00
「ユダヤ人の「再定住」は婉曲表現であり、他の文書が証明している」

どの文書?

SenorP 2012年3月12日月曜日 5時06分00秒
ウィリアム・ハーゲン博士(1893年10月26日 アウクスブルク † 1982年3月29日 ボン)

この役割の中で、ハーゲンはポーランド人とドイツ人の結核患者に対する別々の医療を決定づけたが、ポーランド人の待遇を大幅に改善するために座り込み、失敗に終わった[7]。彼は、ポーランドからの十分な医療の拒否と「労働力のフル活用」が互いに矛盾するような総督府の政策の矛盾を非難した手紙の中で、帝国保健指導者レオナルド・コンティなどに手紙を書いた[8]。彼はまた、ポーランドに対する暴力と残虐行為を非難し、彼のポスト[6]から医官として解放されるように要求した最後に、ハーゲンは1942年12月に、アドルフ-ヒトラーに手紙を書いた:

「結核対策に関する政府の会議が開かれたとき、私たちは人口福祉局のヴァイラウフ局長からトップシークレットとして告げられた、ドイツの武装農民をポーランドの3分の1に定住させる目的で、総督府がポーランド人20万人を東部に再定住させたのは、意図的なものであったにせよ、検討されていたにせよである――ユダヤ人と同じように、7万人の老人と10歳以下の子供たちを殺した。」

1942年12月7日付のアドルフ・ヒトラー宛書簡におけるウィリアム・ハーゲン。[9]

SenorP 2012年3月12日月曜日 5時08分00秒
出典はde.wikipedia、William Hagen、ドイツ語からの翻訳、Google翻訳。

翻訳者註:ドイツ語Wikipediaで「William Hagen」を調べたものの、該当人物の記事は存在しなかった。

ネイサン 2012年3月24日土曜日16:34:00
――まず、ヴァンゼー議定書だが、これは明らかに追放と強制移住(とにかく恐ろしいことだ)について述べている。

このヴァンゼープロトコルのことか?

適切な指導の下で、最終的解決の過程で、ユダヤ人は東部での適切な労働に割り当てられる。身体能力のあるユダヤ人は、性別によって分けられ、道路工事のために、大規模な作業隊列でこれらの地域に連れて行かれる、その過程で、間違いなく多くの部分が自然現象によって除去されるだろう

最終的に残る可能性があるのは、間違いなく最も抵抗力のある部分であるため、それ相応の処置を施さなければならないなぜなら、それは自然淘汰の産物であり、もし解放されれば、新たなユダヤ人復興の種として機能するからである(歴史の経験を参照)。

https://www.historyplace.com/worldwar2/timeline/wannsee2.htm

――第二に、ナチズムとシオニズムの接触と関係(ハンナ・アーレントでさえそれについて語っている)。

戦争のさなか、イギリスとの戦争で第三帝国がパレスチナに立ち入ることができなくなったときでさえ?

――ゲッベルスの論評はシオニズムを称賛する記事をいくつか掲載した。

ゲッベルスが戦争のさなかに実際に語った言葉の一部を紹介しよう:

ユダヤ人は現在、ルブリン近郊から東方へと、総督府から押し出されている。ここではかなり野蛮な処置が施されているが、これ以上詳しく説明することはない。そして、ユダヤ人自身はあまり残っていない。一般的には、その60%は清算され、40%しか労働に回せないという結論になるだろう。

この引用の続きはこちらで参照できる。
https://holocaustcontroversies.blogspot.com/2010/04/goebbels-on-liquidation.html

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