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24-24. ほんとうに大切な思い出はSNSにあげられない

「自分のなかでキラキラした大切な思い出こそSNSにあげづらいよね。人のいいねにジャッジされてしまう気がしてさ。」

8年前にSNSで出会った彼女は、同い年の子どもを持つママ友だ。妊娠中に予定日が近くてお互いにフォローするようになり、産んでみれば子ども同士の誕生日は1日違い。

家もわりと近かったので産まれてからは定期的に遊ぶようになり、3年前に転勤するときは泣いてくれた。

本当に大切なことはSNSにはあがらない。それでいい。

キラキラして尊くて大切にしたい感覚や思い出ほど、言語化した瞬間に“言葉”という枠に嵌められてしまうような気もするし、それをさらにたくさんの人の見える場所に晒すことで薄まってしまうような気もする。

なので今日の日のような出来事は、とくに書きづらい。自分の中の感動をどう表現していいのかわからないからだ。だけど懲りずに書いてしまうのはnoteによる魔法なのか。

わたしは内弁慶で人との関係性をつくるのに時間がかかる。気を使いすぎるところもあって、人付き合いを面倒くさく感じてしまうタイプだった。

それがコロナ禍を経て、人と話すことや他愛もない雑談がもたらす自分へのいい影響に気づいた。

当たり前といえば当たり前だけど、SNSに落ちている情報は綺麗に整えられたものだけだ。その人の生活や苦労まではわからない。

実際に人に会って話を聞くと、こんなにもみんなそれぞれ色んなことがあり、日々をがんばって生きてるんだということがわかり、その姿がたまらなく愛おしくなり、わたしだけじゃないんだ、と励まされる。

彼女はいつからかSNSを更新しなくなった。遠くにいて会えないからこそ、どうしてるかなと気にはなってはいたけど連絡を取ることはなかった。

関西に戻ってきて真っ先に「会いたい」と思ったのは彼女だった。少し浮世離れした繊細な彼女のことを、私はすごく好きなのだ。

3年ぶりに会った瞬間に自然と涙が出た。
泣くつもりなんてなかったのに。

「久しぶりだね」と言い合った。

彼女と会っていたころ、まだまだ娘は手のかかる時期だった。彼女といるだけでそのころの苦労や思い出がフラッシュバックしてきて懐かしくなった。

心地よい初夏の日差しを浴びながら、道ゆく人を眺めたり、おしゃべりをしたり、沈黙を楽しんだりした。彼女ももれなく、この3年間を懸命に生きていた。

彼女に出会えてよかったな。心からそう思う。
そしてそんな人に出会えた自分を誇りに思う。

この宝物のような時間を過ごせたことを、大切に胸のうちにしまっておこうと思う。

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