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文系と理系に差は無いとパスカルは言う

パスカルの「パンセ」をひさしぶりに読んで、いろいろ学んだ。

文系な人と理系な人の差は、習慣と精神性だけである。

あたらしい習慣を身につければ、どちらの思考も手に入るだろう。

繊細と幾何学の精神

実際には「繊細」と「幾何学」として書かれていた。繊細というのはデリカシーだとして、幾何学って何かわかりますか?

幾何学とは物の形を計算する学問です。これにより、ちょうどいいサイズのマグカップや、こわれにくい橋を設計できます。もちろん、すでにある物からデータを取ることも可能です。

繊細な人が幾何学をできない理由

繊細な人は、一目見てパッと物事を理解しようとするらしい。それによって、他人の気分とか、時代の流行とかをうまくキャッチしているのだと思う。

パスカルいわく、繊細なテーマについての原理というのは複雑で、しかもたくさんあるから見落としやすい。「よく澄んだ目」が必要だという。

そういう思考がうまい人は、日本では「文系」と呼ばれる。文系な人は映画を見て、細かい複線に気づいたりできる。他人のちょっとした行動から、相手の気持ちを察するのもうまいと思う。

しかし幾何学=理系な姿勢で立ち向かわなければいけないような課題に直面するとギブアップしがちだとパスカルは言う。理系な課題の場合、一目でパッと見てすぐに答えを出せるないようなことが多いからだ。

たとえばドラえもんの手の大きさを数字で出そうとすると、パッと見ていきなり「●●立方メートルです」なんてわけにはいかない。中心を取って、半径を出して、3乗して、円周率をかけて...長い旅が始まる。

そういう面倒な計算を最後までやる根気が必要といえる。繊細タイプの人は、その根気が無く、一目見て複雑そうだったらその場でギブアップする、というわけである。

私はこっちのタイプだ。

理系な人は繊細ではない?

逆に、幾何学が得意な人は、はっきりした原理から物事を解き明かしていくクセがある。ドラえもんの手のサイズをちゃんと測ることは得意だが、「ドラえもんってそもそも実在しないんじゃないの?」とか「作品によって手のサイズは微妙に違うだろ」とか言ってしまうと思う。

よくテレビに出る東大生のエリートで、妊娠した元恋人にひどい言葉をあびせた人がいる。幾何学の精神を持つ者が繊細でもあることは、珍しい。

あいまいな上に見落としやすい情報がちりばめられたものに弱いのだ。

私の友人に、数学がものっすごく得意なDくんという人がいる。Dくんは国語のテストが苦手で、そもそも本を最後まで読めないという。

彼にとって、長文を読むのはとてもしんどい事らしい。たぶん、どうでもいい言葉の繋ぎ目まで論理的に解釈してしまうのだろう。

あたらしい習慣をつけよう

しかしまあ、脳の構造がまるっきり違うというわけでもないのだから、文系タイプの人が理系スタイルでものを考えたり、その逆も可能なはずだ。

パスカルいわく、繊細な人も幾何学者になれるし、幾何学者も繊細な人になれる。ようは、ものを考える時の思考の習慣を身につければいいだけである。

ただ、「ゆがんだ精神の持ち主は繊細にも幾何学者にもなれない」とも書かれているけど。