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恥と罪を別の概念として

どこの学校で誰に授業をしても、自分の考えを表現できない生徒に出会う。というか、表現できない生徒のほうが多い。

それは文字に書くことであっても、声に出すことであっても同様だ。


しかも、英語の授業でも国語の授業でも、同じことが起こる。

ようするに、私たちは子供のころから自己表現をほとんど習わないまま18歳か20歳くらいまで生きてしまうということだ。きっとそうだと思う。

ほとんどの生徒は、ほとんどの場面で沈黙している。ノートにも「自分の言葉」を書かない。



自分の意見が、科目における「正解」とちょっと違うと✖︎印をつけられるし、減点される。国語であれ英語であれ、実は「正解」はいろいろあるのだけれど、なぜか1個しかないかのように教えられる。

また、声がちょっと変だとクラスメイトに笑われる。なにも言えないほうがよっぽどダサいのに。


私も高校生のころ、もうずいぶん昔になるね、英語の授業で単語をしっかり発音していたら、クラスメイトたちによく笑われた。

とても恥ずかしかった。たしか当時の私は、「俺は声に出す。あいつらは出さない。10年後、俺は英語をしゃべれる。あいつらはしゃべれない。そのとき、こんどは俺があいつらを笑うんだ」と心に決めた。

当時よく聴いていたザ・ブルーハーツの歌詞も私を後押ししてくれた。いま聴き直したら、記憶より8倍かっこよかった。


体育と違って、英語や国語の授業ではどんなに間違ってもケガしたり入院したりしない。テスト本番じゃないときは、おおいに間違い、転びまくればいい。

なにより、恥と罪はまったく別のものだということを、ぜひ忘れないでほしい。







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