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世界に誇る日本の飛行艇

4月15日、山口県の岩国航空基地において4年ぶりにフレンドシップデーが開催されます(2020~22年はコロナの影響で中止)。
 
岩国フレンドシップデーは日本最大級の航空ショーで、例年、5月5日に米海兵隊岩国航空基地が一般開放され、5万人以上の来場客で賑わいます。

Friendship Day 2023 - MCAS Iwakuni

この基地には、1,000人以上の救助の実績を誇る純国産の飛行艇が、海上自衛隊の航空部隊に配備されています。
 
本稿では、岩国航空基地の概要と日本の飛行艇の歴史、そしてこの救難飛行艇「US-2」(ユー・エス・ツー)についてご紹介していきます。
 
1 岩国航空基地の概要
岩国基地は、1938年に錦川下流の三角州に日本海軍が飛行場を建設 (注1) したことに始まり、終戦まで飛行予科練習生(予科練)の訓練基地として使用されたほか、海軍兵学校の岩国分校が所在していました。

(注1) 1941年11月、山本五十六・連合艦隊司令長官をはじめとする首脳陣が岩国に集い、真珠湾攻撃に関する作戦会議を開いた

岩国海軍航空隊庁舎前にて - 1941年11月13日撮影
(最前列中央が山本長官)

終戦後、基地は米海兵隊に接収され、しばらくの間、米軍を含む連合軍が駐留しました。
 
1952年、日米安保条約の締結に伴い在日米軍基地、1957年から海上自衛隊との共用基地、2012年から錦帯橋岩国空港との軍民共用飛行場として使用されています。
 
敷地面積は、東京ディズニーランドの約15倍で、日本国内では嘉手納、三沢に次ぐ3番目の大きさを誇っています。
 
基地の人口は、米軍関係者とその家族及び自衛隊員等、合わせて約13,000人になります。

上段:米海兵隊岩国航空基地正門      
下段:Chili'sレストランとネイビーバーガー
(Photo by ISSA)

この基地の最大の特徴は、横須賀を母港とする空母ロナルド・レーガンの艦載機が配備 (注2) されていることです。
 
(注2) 映画「トップガン・マーベリック」でも有名な、米海軍の戦闘機F/A-18など「在日米軍再編」の一環で、2018年までに厚木航空基地から移駐
 
また、佐世保を母港とする強襲揚陸艦アメリカの艦載機も所在しており、冒頭の動画でもご紹介した、空中静止が可能な第5世代ステルス戦闘機F-35Bなども配備されています。

この基地に所在する海上自衛隊・第31航空群は、1973年3月に対潜哨戒飛行艇「PS-1」(ピー・エス・ワン)(後述)の部隊を新編してから、今年で50周年を迎えました。 

2 日本の飛行艇の歴史
(1) 偵察機として
日本初の航空会社は、1918年に設立された日本飛行機製作所 (注3) です。
 
その後、1920年に川西機械製作所が設立され、更に1928年に川西航空機として同所から飛行機部が分離独立しました。
 
(注3) 川西航空機の創業者「川西清兵衛」と、中島飛行機(現・富士重工業)の創業者「中島知久平」によって設立された合資会社
 
川西は、終戦の1945年までにおよそ2,800機もの航空機を製造し、日本の航空産業界の草分け的存在となりました。
 
特に、1941年に川西が開発した二式飛行艇(以下「二式大艇」)は、名機として語り継がれる存在です。

「二式大艇」と「PBYカタリナ」の性能比
(Created by ISSA)

余談ですが、先日、亡くなられた松本零士さんの作品「ザ・コクピット」の第10話「大艇再び還らず」でも、二式大艇の物語が描かれています。

二式大艇が活躍した期間は1941~45年と、大変短かったのですが、戦後、米軍が本国持ち帰って調査し、その優れた性能に驚嘆したと言われています。

川西航空機株式会社が製造した「二式大艇」
(海上自衛隊 鹿屋航空基地)

この二式大艇を生んだ川西は、戦後1949 年に新明和工業株式会社として再出発しました。
 
(2) 対潜哨戒機として 
新明和は、この二式大艇の技術を継承し、1967 年に海上自衛隊用の飛行艇PX-Sを試作します。
 
後に、これが先述した海上自衛隊・第31航空群の対潜哨戒飛行艇 (注4) PS-1の1号機となりました。
 
(注4) 当時、敵潜水艦の捜索には、水上艦艇よりも速力のある航空機で現場に急行し、海上に着水してソーナー(水中音波探知機)を用いる方法が有利と考えられていた

2021年まで周防大島に展示されていた PS-1
(Photo by ISSA)

(3) 救難機として 
その後、飛行艇の用途は「対潜哨戒」から「救難」へと変化します。1976年から救難機「US-1」(ユー・エス・ワン) (注5) の運用が始まりました。
 
(注5) US-1 は、エンジンをアップグレードした「US-1A」となり、更に、2007年からは新技術を取り入れた「US-2」へと進化

グラスコクピット化されたUS-2の操縦室

US-2 は、兵庫県神戸市東灘区にある甲南工場で製造しており、現在、海上自衛隊・岩国航空基地に7機配備されています。
 
本来の任務は、平時・有事を問わず遭難したり負傷した自衛隊員の捜索・救助を行うことですが、四方を海に囲まれ、多くの離島を抱える日本では、たちまち民生支援に活躍の場を広げることになります。
 
そもそも、海難救助や急患輸送は、一義的には警察・消防・海上保安庁が行うようになっていますが、それらの装備・運用態勢にも限りがあるため、要請があれば自衛隊が対応することになります。
 
下表は、自衛隊の各救難機、それぞれの強点と弱点を比較したものです。

自衛隊の各救難機の強点と弱点
(Created by ISSA)

要救助者の居場所、人数、容体、昼夜の別及び天候により適切な救難アセットを選定しなければならないのですが、US-2 の強みは、より遠方まで、より早く進出して、より多くの人を救助できる点にあります。
 
救難ヘリコプターに比べると、行動半径は約5倍、速度は約2倍で、4倍の人数を収容できます(ただし、昼間かつ波高3m以下に限られる)。
 
また、日本国内には、未だ空港を持たない数多くの離島が存在しますが、US-2 が離発着できる離島は260島を数えます。
 
したがって、能力的には下図のとおり日本の排他的経済水域(EEZ)を十分にカバーすることができ、1976年の運用開始以来、既に1,000人を超える尊い人命を救助しています(出動件数は年に20~30回)。

救難飛行艇の活動エリアと救助実績
(新明和工業ホームページ)

10年前の話になりますが、2013年6月、太平洋をヨットで横断中に遭難した辛坊治郎さんら2人を、宮城県金華山沖約1,200kmで救助したのも、この US- 2 でした。

3 世界に誇る日本の傑作機「US-2」
US-2 の性能及び特徴は、次のとおりです。
乗員:11名
大きさ:33.25m長×33.15m幅×10.06m高
最大離着陸 (水) 重量:47.7t (43.0t)
エンジン:ターボプロップ×4基
最大速度:315kt(約580km/h)
巡航速度:260kt(約470km/h)
航続距離:約2,500海里(4,700km)
巡航高度:20,000ft(約6,100m)以上
離水/着水距離:280m / 310m(43t時)

離着水時の飛沫による機体損傷を防止するため、主翼や尾翼は通常の航空機に比べて高い位置に取り付けられているほか、飛行艇ならではの種々の工夫が施されています。
 
一つは、60度の深い角度を持つフラップと、翼表面の気流が滑らかに流れるようにする境界層制御BLC:Boundary Layer Control)です。これにより、低速での離着水を可能にしています。
 
もう一つは波消装置スプレー・ストリップ(通称、カツオブシ)で、離着水時に艇体沿いに発生する飛沫を抑制する技術です。

安全な離着水を可能にする様々な技術
新明和工業株式会社

ただ、こうした技術を確立するまでには、長く険しい事故との闘いがありました。
 
4 任務の裏側にある事故との闘い
少数機種の宿命かもしれませんが、PS-1~US-2 シリーズは、海上自衛隊の他機種と比べて事故率は約3倍となっています。
 
他機種にない特徴として、飛行艇は着水時に機体を破損しないように出来るだけ低速で飛行する能力が必要になりますが、この低速飛行が飛行状態を不安定にさせることが挙げられます。
 
1973年のPS-1 配備後の事故例を挙げると、次のとおりです。

  • 1976年1月22日、5805号機が豊後水道で離水時にフロートが破損し転覆

  • 1977年4月6日、5808号機が岩国基地の沖合で着水に失敗し転覆(1名殉職、6人が重軽傷)

  • 1978年3月28日、5811号機が紀伊水道沖にてフロートが破損し転覆

  • 1978年5月17日、5812号機が国籍不明潜水艦調査のため四国沖に向かう途中、高知県梼原町の山間部に墜落(13名殉職)

  • 1982年6月15日、9074号機が足摺岬沖で離着水訓練中、左フロートを折損

  • 1983年4月26日、5801号機が旋回中に岩国基地内に墜落(11名殉職)

  • 1984年2月27日、5803号機が伊予灘で旋回中に墜落(12名殉職)

  • 1995年2月21日、9080号機が豊後水道で墜落(1名生存、11名が殉職)

  • 2015年4月28日、9905号機が足摺岬沖で離水に失敗し海面に衝突、乗員はボートで脱出

国家の防衛と1,000人を超える人命救助の裏側で、これだけ多くの殉職者が出ているという事実を忘れてはならないと思います。
 
 
おわりに

US-2 の独自技術は、こうした尊い犠牲と格闘の末に進化を遂げてきました。
 
これだけの大型機を洋上に着水させ、遭難者を救助できる国は、日本をおいて他に存在しません(米国でさえ持たない技術である)。
 
万一、台湾有事が生起して「重要影響事態」や「存立危機事態」が認定されれば、米軍に対する後方支援活動が可能になるのですが、米側は、遭難し負傷した将兵の救助という観点で US-2 に期待を寄せています(言い方を変えれば、米軍を日本に引き留める魅力のひとつ)。
 
更に、台湾から日本人を含む多くの避難民が発生したとき、US-2 による着水救助も想定されるでしょう。
 
絶え間ない平素の民生支援の裏側で、US-2 は有事を想定した戦闘地域からの救助訓練(いわゆる、コンバット・レスキュー)にも、ちゃんと備えているのです。
 
救難飛行艇 US-2 は、インドなどの諸外国も関心を示す、まさに海洋国家「日本」に相応しい傑作機だと思います。

岩国と飛行艇あれこれ
2017年2月のビッグコミック増刊号から、月島冬二の漫画「US-2救難飛行艇開発物語」が連載されました(2020年11月に完結)。

海軍といえば、定番の海軍カレー
ちなみに岩国は蓮根でも有名です。

岩国海軍飛行艇カレー

岩国は、風光明媚で人も街並みも美しいところです。機会があれば、是非、一度は訪れてみてください。

左上:岩国城から錦川と城下町を望む    
右上:ウクライナ色にライトアップした錦帯橋
左下:一面に広がる蓮根畑と蓮の花     
右下:「いろり山賊」の定番メニュー    
(Photo by ISSA)