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手放して我が振り直す。-試考

とある思いつきで取った言動や行動が、その後の自分を苦しめること、ありませんか?

かく言う僕は、実はとても良く有ります。
そんな時は決まって、「相手に嫌な思いをさせてたら申し訳ない」とか「嫌われたら嫌われたでしょうがないけど、確認もできなくてもどかしい」みたいな思考を延々としてしまうわけです。超無駄。

今まで無意識に、その想いや気遣いってその行動を向けた人に向けての気持ちだと思ってたんですが、よくよく考えると違うなぁと。

結局全部自分のため

「誤解されてたらどうしよう」
「嫌な思いをさせてたらどうしよう」
「嫌われてたらどうしよう」
それが起こった時に『自分が』どうしようなわけですよね。いや、自分の立つ側で自分のために自分を苦しめてるとか意味わからない(笑)
よくよく考えるとすぐわかりそうなもんですが、ずっとそれが正常な思考だと思ってきた手前、本当に目の前のことが全然見えてなかった。

どうしようもないことを考えてもしょうがない、というのは解っているし、多少上手く付き合ってきたつもりですが、その発端まで自分のためだったと、改めて考えて気が付きました。
本当に無駄な思考を循環させていたものだなぁと、つくづく思います。

思いつきでも行動や言動、と言うのが問題

さてさて、そんな無駄な気持ちの循環からの疲弊から、どう抜け出せばいいのか。思い返すといくつか、その思考の型にはまらないものがありました。「どうなってもいいから自分の思いを伝えた」時。前述の「思いつき」と比べて差は火を見るより明らかです。「自分の発言や行動がどう取られるか複数パターン考え、それでも尚それを行動や発言に起こしたい」と思ったことでした。

自分の発言や行動に責任を持つ

つまり、自分の発言や行動の全てが「自分の発言や行動がどう取られるか複数パターン考え、それでも尚それを行動や発言に起こしたい」と言う状況ならば、何も無駄な事を考えずに済むわけです。考えてみたらすごく簡単なことでした。
これももう至極当然のことなのですが、全く気がつけてませんでした。

「ノリでフットワーク軽くコミュニケーションを取れる」と「後悔しないコミュニケーションをする」は相容れない気がする

でも、自分のスタンスだとどうしても「じっくり考えてから発言をする」というのがどうもしっくりこないよな・・・それって話弾まなくない・・・?と思っちゃってました。というのも今まで、普段のコミュニケーションの中で特に、軽いノリでキャッチボールの返球を早くすることで話題を弾ませる、ことに重きを置いて来たからです。(弾ませられてたどうかは置いておいて(笑)よく考えるとそれを全ての善として他のコミュニケーションもそれがベースになってしまっていたことに気が付きました。
なんとどうやら、シーンによってそれが求められないときは何も少ない思考時間でコミュニケーションをとる必要性がないのです!びっくり!(笑)

シーンに応じてスタンスを変える

そう。この至極当たり前の「臨機応変」やら「ケースバイケース」やら「TPOを踏まえた上で」みたいなことを仕事以外でできてなかったわけです
。社会人としてどうなのよそれ←
シーンに応じてコミュニケーションのスタンスを切り替えられれば、全て解消なことに、今朝気が付きました。といったわけで、それを実直に実行していこうと思います。

手放して、我が振り直す

とはいえ、すぐには手放せない「人から〇〇と思われたらどうしよう」「誤解されてたらどうしよう」「嫌な気持ちにさせてたらどうしよう」のようなことは考えても無駄なことをできるだけ『手放して』、「〇〇したらどうしよう」という相手からの受動を止めて、「後悔しないようにコミュニケーションを取る」行動変容に置き換えることによって、自分からの能動的にできるアクションに昇華できたのが、今回の思考での大きな前進かと思います。
きっと僕のような仲間、たくさんいると思うんですよね(笑)

人からどう思われるかが怖いなら、自分から変わる

少し主語が大きくなりますが、人からの目や評価、評判が気になりすぎてしまう人は、すべて能動的な行動変容に置き換えたら、気持ちが俄然楽になると思います。また、気付きがある試考と結論が見つかったら、シェアしたいと思います。

ではではms-gkでした。 ciao!

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