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大人の嗜みを身に付けたきっかけとは〜ムートンの過去について初公開〜

初めまして、ムートンと申します。

今回は私の自己紹介noteを書こうと思います。


Twitterでは、あまりプライベートのことや、
私自身について発信したことがありません。

なので、このnoteを読んで、
「ムートンってこんな人なんだな」
と思っていただけたら嬉しいです。


まず、私について軽くご紹介すると、
“大人の嗜み”というのをコンセプトに発信しており、

・日本ソムリエ協会ワインエキスパート所持
・都内ワインスクールでの講師経験あり
・界隈のコミュニティーでワイン会を何度も開催
・ジャズ(サックス)経歴15年間

といった経歴を持つ、アラフォー会社員です。

そんな私ですが、おそらく
この界隈のほとんどの方は、

ムートンは「ワインの人」

という、イメージが
ついていると思います。


そして、それはイメージ通りで、

ワインの資格も持っていますし、
ワイン会も何度も開催していますし、
Twitterでもおすすめワインを紹介したりもしています。


ちなみに、コロナ前は海外まで、
ワインを買い付けにも行っていました。

そのため、界隈の中では、
かなりワインに精通していると思います。

「美味しいワインを飲みたい」
「おすすめのワインを知りたい」

という方がいれば、
ぜひお気軽にDMしてください。

今までクローズドに開催していたワイン会を、今後はTwitterでも募集する予定なので、実際に試飲もしたいという方はぜひ。

ただ、ワインって聞くと、
かなり紳士的なイメージがないでしょうか?

ジェントルマンが、
ワイングラスを片手に、
優雅な時間を過ごす。

そんなイメージを持たれる方が、
ほとんどだと思います。

そのため、私自身に対しても、
そんなイメージを持たれるかもしれません。

が...

私の見た目はこんな感じです。

全く紳士じゃないです。笑

でかい体を派手な服で着飾り、
金ネックレスをジャラジャラと下げ、

紳士というよりも、
アウトローといった、
イメージの方が正しいですね。

まぁDJキャレド並に体デカくて、
髭もじゃもじゃではないですが…


実際、オフラインで
初対面の方とお会いすると、

ほとんどの方から「輩」という、
イメージを持たれます。

ですが、輩じゃないです。
中身はジェントルマンなんです...

と、話がそれました。


ただ、実はワインの発信が多いので、
ワインの人と思われがちなのですが、

私の人生の哲学や思想や価値観の
“核”となっているものは、

“大人の嗜み”です。

大人の嗜みとはすなわち、

自分の人生観を洗練をさせ、他者を受け入れられるようになること

だと私は思っています。


要するに、

人間性を上げていく

ということです。


そのため、この嗜みというものは、
お金や人脈があるからといって、
手に入れられるものではありません。

むしろ、そういったものから離れ、
自分軸を高めていき、自己実現を
達成していかなければなりません。

(もちろん、お金や人脈が必要ないという
わけではありませんので悪しからず。)


そしてその自分軸を定め、高め続け、
人間性が上がってくると、

・世の中の大物の人の裏話や人生観が聞ける
・いわゆる本物(ガチ)の人に会わせていただく機会が増える
・ワインを通じて、日本のトップクラスの人と日々交流している

といった、
普通の人では経験できないことを、
多く経験できるようになります。


また、当然ただの美女だけでなく
普通の人ではアクセスできないような、
ガチの爆美女との出会いも多くあります。

とはいえ、人によってはそんなことに
意味があるのかと思われるかもしれません。


しかし、そもそもどれだけお金を積んでも、
会うことすらできない人が世の中には存在します。

そして、そんな人と日々交流することができ、
それが、どれだけ価値あることなのか。

深くを語らずとも、
流石に理解できると思います。


では、そんな私は、
どのようにして、この大人の嗜みを、
ひいては人間性を上げてきたのか。

そして、その過程で
どんな過去を過ごしてきたのか。

今回は、そんな私という歴史の
一端に触れていただけたらと思います。


第一章:わがままなデブ爆誕

私は青森の田舎町で育ち、
出生後1年で、千葉県へ引っ越しました。

出生後1年だったので、青森の思い出は0ですが、
千葉県の思い出は今でも鮮明に覚えています。

よくあるなんの変哲もない団地で、
雰囲気としてはalways3丁目の夕日。

今ほど娯楽もたくさんあるわけではなかったので、
毎日友達と外で暗くなるまで遊ぶのが日課。

そんな私は真面目な会社員と専業主婦の間に、
3人兄弟の末っ子として生まれました。


そのため、幼少期はかなりワガママに育ち、
かつ空気が読めない子供へと成長。

自分の言うことは、
全部通るんじゃないかと、
錯覚に陥っていました。


そしてそのわがままは、
特に幼稚園の時がひどく、

欲しいおもちゃがあれば、
ONE PIECEの黒髭の如く全て独占。

なんなら、それが普通だと、
思っていたため、余計タチが悪かったです。


ただ、そんなことを常日頃からやっていたので、
ついに天罰が降ることに。


ある日、いつも通り、
おもちゃを全て独占していたら、

友達が「お前ふざけんなよ」と、
大激怒&大号泣。

おもちゃを奪われそうになるものの、
ガタイがよかったため無理矢理強奪して独占。

そしたらその翌日から、一切、
友達から遊びに誘われなくなりました。


流石に焦った私は何度も謝るものの、
クラスの友達全員から無視され、

今度は自分が大号泣。

そんなわがままなデブとして、
幼少期を過ごしてきました。


第二章:わがままを矯正された地獄の野球生活

しかし、小学校5年生になり、
野球をはじめたら、その性格は矯正されることに。

野球を始めたきっかけは、
幼馴染がやっていたのと、単純に
「痩せたいな」という思いからでした。

そして、その思いのまま幼馴染が入ってる、
リトルリーグの少年野球チームへと入会。


しかし、練習内容は、
地獄のようなものばかりでした。

小学生にここまで走らせるか、
というほどグラウンドを走らされ、

上下関係や集団行動の指摘も厳しく、
泣きながら怒られる毎日。

おかげで、わがまま根性は、
強制的に矯正されました。

当時は本当にしんどかったですが、
今では本当に感謝しています。


一方で、いい思い出もあります。

監督と初めて会った時は、
「おーガタイいいね。こりゃ期待大だ」と、
初っ端から言われたことです。

体格がいいとパワーがその分出るため、
ホームランを量産できると思ったのでしょう。

しかし、その監督からの期待を、
私はすぐに裏切ることになります。


というのも、確かにパワーはあったのですが、
とにかく全く打てない走れない当たらない。

おかげで途中から、監督からは
「ムートンはなぁ...」とため息をつかれるほどに。

その言葉に小学生ながら、
悔しさと怒りが湧いてきました。


そこで練習以外にもさらに走り込んで、
体をがっつり絞り込みました。

おかげで、体重を、
1〜2ヶ月で10キロ痩せることに成功。

当時はかなりわがままだったので、
母親からは大真面目に心配されました。笑


第三章:軍隊野球

小学校5年生から野球を始めたものの、
体格のおかげでかなり結果を出すことができ、

中学校は県大会の上位に入る、
強豪校に入学できました。


ただ、この中学校が、
超軍隊野球だったんです。

上下関係はかなり厳しく、

1年生 奴隷
2年生 人間
3年生 神様

というヒエラルキー構造。


3年に上がるまでは、
本当にしんどい毎日でしたが、

おかげで、忍耐力と
精神力はかなりのレベルになったと思います。


しかし、それ以外にも、
練習は地獄なのはもちろん、

ミスなんかしようものなら、
ぶん殴られるのは日常茶飯事。

しかも殴られるたびに八重歯が頬に刺さり、
口の中が切れるという最悪のループ。

毎日、上手くなろうではなく、
殴られまいと、練習では必死でした。


そんなある時。

試合で二日連続エラーをするという、
最悪のミスを起こしてしまいました。

なので、当然殴られるのですが、
「二日連続は確実にボコボコにされる」。

そう思い、翌日のMTG前に、
わざわざ歯医者に行き、

八重歯の角を
綺麗に削ってもらいました。笑

おかげで口の中は切れなくなったものの
当然二日連続のミスは重くボッコボコにされましたがね...


第四章:幼馴染とそのお父さんとの出会い

中学時代は塾に通っていたのですが、
それがきっかけで幼馴染と出会いました。

仲良しになった理由は、単純に
帰り道が同じ方向だったと言う事。

そして彼のお父さんは、
僕たちが通っていた、
某有名進学塾の副社長だったため、

時々、幼馴染の家に招待される事があり、
その時に彼の父親と話す機会が多くありました。


ただ、彼の父親は副社長なのも
確かにすごいのですが、

それよりも、人としての中身が
段違いに素晴らしい人でした。


そのお父さんは見た目は
穏やかで全てを包み込む様な安心感のある人。

しかし、発言の力強さ、説得力が凄く、
必ずその父親を中心に話が盛り上がり、

また、全体を見る能力に長け、
エスコートのやり方も丁寧。


そして何よりも、
言葉遣いと話し方が綺麗で、

そのしなやかさに
若干の気持ち悪さを覚えつつも、

「権威のある大人とはこうなのか」
と会うたびに実感させられました。


また、アコースティックギターを弾き、
ジャズにも精通しており、

その他にも
ワインを日常的に嗜んでいる。

といった感じで、まさに
「かっこいい大人の人」
という雰囲気を醸し出している人だったのです。


そして、そんな姿を日々見ているうちに、

「こんな大人になりたい」

と、思わせられるのに、
そう時間はかかりませんでした。


その後は、部活をする傍ら、

自分でジャズについて調べたり、
時にはワインの勉強までして、

どうすれば、あんな大人になれるのか、
日々試行錯誤したのは良い思い出です。


結局、学生時代は、
学べることは少なかったですが、

中学時代に
幼馴染の父親と出会えたことは、

確実に、私の人生における
ターニングポイントだったと自信を持って言えます。


第五章:人生初のナンパ

そんな中学生活でしたが、
あまりにも辛かった反動のせいか、

高校は野球が超弱い高校へと進学。

高校では中学でできなかった、
青春という青春を謳歌しました。


野球はちょっとだけやって、
休みの日や放課後は遊びまくって、
人生初のバイトも始めました。

他にも、完全に黒歴史で、
恥ずかしい話ではありますが、

いわゆる、やんちゃなことも
たくさんやらかしました。


警察と鬼ごっこしたり、
夜中に学校に忍び込んだり、

野球の試合終わりに、
お酒もちょこっと飲んだり飲まなかったり...

そんなことばかりしていたので、
大学受験は上手くいかず、
一浪してしまいました。


一方で、高校1年生の時、

人生で初めてのナンパをしました。


相手は、当時私が気になっていた、
塾で同じクラスの子。

その子は綺麗系な清楚な子で、
こんな雰囲気の女の子でした。

そしてその子の学校で、
文化祭があると聞きつけた私は、

部活をほったらかし、
友達と一緒に文化祭へGO。


そしてその子を無事ナンパすることに成功し、
人生初ナンパと同時に人生初彼女もゲットしました。


しかし、そんな淡い恋も束の間。

高3で受験勉強しまくっていたら、
慶応boy(大学生)に彼女を寝取られました。


彼女は全くそんなそぶりは、
一切、ありませんでした。

しかし、裏ではしっかりやっていて、
嘘をつくのが非常に上手かったのです。

おかげで、この事件以降、
私は女の子が信じられなくなりました。


ちなみに後日談ですが、

最近その子のFacebookを見つけたので、
ちらっと見たところ、

子供と笑顔で映っていましたが、
しっかりおばさんになっていて、
少し悲しくなりましたね...

月日の流れというのは時に残酷です。


第六章:大学でジャズを開始

遊びまくって勉強もせず、
はたまた彼女も寝取られたわけですが、

高校が理系だったこともあり、
大学には一浪で、なんとか理系学部へと入学しました。


そして大学では、
「何かに時間を投資していきたい」
という思いが強くありました。

というのも、
高校時代に遊び呆けたことに対し、

「あんなに時間があったのに、
この3年間で俺に残ったものは何もない。」

と少し後悔があったからです、


しかし、野球はすでに四十肩で厳しく、
かと言って、他にやりたいことがない。

そんなとき、ふと、
ジャズのポスターを校内で見つけました。

その瞬間私は
「これだ!!!!」と確信しました。


そしてすぐさま、

高校時代に貯めたバイト資金20万円と、
親から借り入れた10万円の合計30万円で、

光の速さでサックスを購入。

上の画像はイメージ画像ですが、
今でも大切に使っている、

私の記念すべき、
初めての自分の楽器です。


その後、ジャズ研究所なる、
ジャズのサークルへと入部。

しかし、ここからが非常に大変でした。


というのも、ジャズ研究所に
入ったのにも関わらず、

私は音符が読めなかったからです。笑

なので、楽器の手入れから、
音符の読み方まで、楽器の種類まで、
全て丁寧に教えていただきました。


最初は右も左もわからず、
あべこべなことばかりして、

先輩たちに怒られてばかりでしたが、
忍耐力と精神力だけはあったので、

折れずにめげずに、
頑張ることができました。


ただ、実は1回だけ、
心が折れそうになった時がありました。

それは、その先輩たちの中で、
唯一怖い先輩にいじめられた時です。


その先輩はピアノ担当で、
みんな弾きやすいように、
最初に道標の音を奏でる役の人でした。

しかし、その人が毎回私の時だけ、
私の和音をわからなくして、
困らせてきたのです。


理由は明白で、私自身が、
みんなに求められる演奏技術を
持ち合わせていなかったから。

とはいえ、こっちも、
負けてばかりではいられません。

そういうことが何度も続いた時、
私はついに堪忍袋の緒が切れて、
かっと切れてしまいました。


しかしその後、何度も何度も練習を繰り返し、
その結果、なんとかいい音色を弾けるようになり、

そのピアノ担当の怖い先輩も、
ようやく実力を認めてくれるようになりました。


ちなみにその先輩は今ではLAに住んでおり、
アメリカの某BIGイベントでピアノを弾いたり、

日本の某有名歌手に楽曲提供もしている、
音楽界隈ではかなりの凄腕の方だったりもします。

そんな凄い人になるとは…
媚をもっと売っておけばよかった…


その一方で、学力は、
どんな感じだったのか。

実はあれだけ高校の時は
怠惰な生活をしていたのにもかかわらず、

大学の成績は非常によく、
特待生になり、学費も半分になりました。


そのおかげで、優良な研究室にも
入ることができたのですが、

ここでまさかの、
日本的教育の敗北が起こります。


というのも、私自身は
やれと言われたことはできたのですが、

自分で創意工夫をして、
何かに取り組むことができませんでした。


そのため、正解もなく、
0から何かを始める研究質という場所では、

私の力を存分に発揮することが、
非常に難しかったのです。


その後、院進もしたのですが、
院生になってこの側面でかなり苦労しました。

なので、一般的には、
高学歴の部類には入りますが、
あまりいい思い出はないです...笑


第七章:国内の外国でジャズ演奏を開始

辛い辛い大学院生活でしたが、
卒業後はなんとか教授のコネで、
誰もが知る某大手企業へと入社。

しかも、超安定企業だったため、
将来も安定が約束されていました。


しかし、入社して数ヶ月。


毎日代わり映えのない業務をこなし、
安定思考の同期と上司。

そんな環境に嫌気がさし、
軽く鬱になりかけてしまいました。


さらに、当時付き合っていた彼女も、
超安定思考の子だったため、

職場も安定、帰っても安定。
そんな安定のダブルアタックにKO。


これから先の何十年以上の人生が、
ここで全て決まってしまう。

そんなのは絶対に嫌だと思い、
彼女とも別れ、心機一転で、
全てを変えることにしました。


ただ何をするかは、
全く決まっていませんでした。

そして、そのまま
ダラダラ過ごしながら、

路上でセッションをする日々を過ごしていました。



そんなある日。

いつも通り、お気に入りのスポットで
路上でセッションをしていました。


すると、陽気なおっちゃんが現れ

突然「これやってくれよ〜〜」と、
いきなり曲をリクエストされました。

そこでリクエスト通りの曲を、
セッションしたら…

終わった瞬間に

「ブラボ〜〜〜!!!」

と、歓喜の大発狂。

そしてそのままの勢いで、
名刺を渡されて、

「ここに連絡してな」
とだけ言い残し、颯爽と去っていきました。


私は何がなんだか全くわからず、
完全に面食らってしまいました。

ただ何者か全くわからず、
しかも嵐のように現れたので、
気になって仕方がありません。


そこで早速翌日に、
恐る恐る連絡をしてみました。

すると、
「来週ここきてや」
「あと、身分証とパスポート忘れんなよ」

と急に言われ、私は
「え、海外にでも飛ばされるのか」
と、内心はビビりまくり。

しかし、逆にそんなことを言われたら、
気になって仕方がない。

そこで、意を決して
そのおじさんの誘いに乗ることにしました。


そして当時。


指定された場所へ向かうと、
そこはなんと

国内の外国だったのです。
(お察しで)

「なるほど、だから身分証と
パスポートが必要だったのか」

と、納得がいったのも束の間。


着いた瞬間に契約書を渡され、
そこには、

・契約条件
・報酬
・頻度 etc…

などが書かれており、
なんだなんだと思っていたら、

それは

『国内での外国での定期的なジャズ演奏契約書』

だったんです。


まさか、ただ路上で、
演奏していただけなのに、

定期的な演奏契約で、
しかも国内の外国でやるとは..!

と、戸惑いと歓喜の感情が、
心の中で渦巻きました。


そしてここから3年間、
2週間に1回程度、演奏会をこなしました。

これが、私の人生における
ちゃんとしたジャズの経歴の1歩目です。


ちなみにそのおじさんは、
何者だったかと言いますと、

国内の外国のとある音楽団体の偉い人で、
パーティー演奏を主催している人でした。

なんで、そんなおじさんが、
その辺歩いていたんですかね…笑


第八章:ワインの師匠との出会い

師匠との出会いは
社会人三年目のGWでした。

ある日、国内の外国で定期演奏会をした後、
横浜駅へと足を運びました。


その日はいつもは通らないような、
裏道を通っていたのですが、

その路地裏でこじんまりとした、
おしゃれなお店を見つけました。

その雰囲気になんとなく惹かれ、
その日はそのお店で昼食を取ることに。


メニューを見ると、そこには

「カジュアルコース 1,500円(お酒なし)」

との表記が。


私はお腹も空いていたので、
なんとなくそのコースを頼むことに。


すると、近くの席に座っていた
高級フレンチにいそうな、

スーツ姿の店主が注文を取ったのも束の間、
そのスーツのままキッチンに入ったのです。

「え、スーツのまま?」

とびっくりしたのですが、

スーツ姿なのにもかかわらず、
手捌きは非常に軽やかで、

しかも出てきた料理は全て、
「見ればわかる、美味いやつじゃん」
という感じでした。


そして実食。


私はこの時、本当に美味しすぎて、
一口で涙が出そうになりました。

今まで食べてきた、
どんなコース料理よりも美味しかったんです。


そこで、一人でそのお店を回していた
シェフに詳しく話を聞いてみたところ、

「趣味でやっている」とのこと。

そんなわけあるか!と思っていたのですが、
今考えると、佇まい的にも、

とあるホテルのTOPが退任した後に、
本当に娯楽でやっていたんじゃないかと思います。


そして会話が上手く盛り上がり、
帰り際に「一緒に飲もうよ」と言われ、
その日は一旦帰宅。

その後、違う日に友達も連れていき、
さらに仲良くなりました。

あまりにも居心地が良く、そのお店は完全に、
私のお気に入りスポットとへと変貌。


そして、3回目の来店をした時、
ひょんなことから、ジャズの話になりました。

すると、シェフが
「ジャズ好きなんだよね」
「お腹減ってる?」
と言われ、

「はい、かなり空いてます!」

と、私は返答。


すると、勝手にフルコースが出てきました、

しかもどう考えても3万円以上は、
しそうな雰囲気だったのにもかかわらず、

値段は、たったの1人5,000円。


もちろん支払わせてくださいと、
お伝えはしましたが、

「いいよいいよ」
「今日は気分がいいからさぁ〜」とのこと。

そしてそのシェフから、
名刺をいただいたのです。


そこでよくよく話を聞いてみたら、
あと数ヶ月でお店をたたんでしまうとのこと。

しかも、その人は

日本ソムリエ協会の創設に関わった
有名人の中の有名人だったのです。

なんかここまでくると、
私の人生どんだけ運がいいんだって感じです。笑


なので当然、驚愕しましたが、

今までの話や、ふるまい、
コース料理の美味しさを考えると、
全てが繋がった気がしました。

そこで私は、
「この人についていきたい」
と思い、

師匠がお店を畳んだ後は、
私は師匠を追いかけました。


師匠は某スクールで講師やっていたので、
そこに通うようになりました。

そして、そこで師匠からマダムを紹介していただき、
そのマダム経由でまた別の人を紹介してもらったのですが、

その人たちが、
とんでもない人ばかりだったのです。


地主、坊さんの奥さん、
アパレルの執行役員、会社の重鎮などなど、

普通の世界線で過ごしていたら、
絶対に会えないような人たちばかりだったのです。

さらに、その方々たちは、
毎週ワイン会を開いており、
1本50万円以上のワインを、
ぽんぽん開けていたのです。

しかも、ワインの仕入れは、
全てポケットマネー。

そんなワイン会にお誘いされることが
度々あり、恐れ多すぎました。


そのため、礼儀として、
最低限のワインの知識は学ばないと失礼だ。

と思い、ワインの勉強をすることに。

しかし、ワイン会では知識が、
ひけらかされるようなことは一切なかったのです。


毎回ただただワインがポンと置かれ、

師匠「おいしい?」
私「おいしいです」
師匠「それでいいんだよ」

という会話のキャッチボールのみ。


私はそのたった一言の会話から、

理屈先行すると、成長しない。
最初にすごい体験して、その後は、
自分で自発的に上がっていくんだろうな、

と、間接的に、
教えていただけた気がしました。

というか、普通にかっこよすぎませんか?
当時は惚れそうになりましたよ。笑


その後だんだん飲むだけでは飽き足らず、
そのあとから実際にスクールに入って、

ワインエキスパートの資格を、
取るための勉強を始めました。


ただ、このことは実は、
師匠には黙っておきました。

というのも、
師匠はソムリエ協会の偉い人だったため、

もしかしたら、
下駄を履かされていたかもしれない
と思ったからです。


そして案の定、師匠は
ワインエキスパート試験の
実行委員長だったので、

黙って良かったなと、
つくづく思いました。


そして3月にスクールに入った後、
10月に資格試験に無事合格。

受かった後は、当然かの如く
師匠に盛大に祝ってもらいました。

そして、横浜中の
ソムリエに紹介もしていただき、

今でもビジネスでつながっている方が
何十人もいらっしゃいます。

何か機会があったら、
ぜひそういう方たちとの出会いの場も
セッティングできたらなんて思っています。


最後に

私の自己紹介記事は、
いかがだったでしょうか?

まぁ割と波瀾万丈な?人生を
送っているような気はしています。笑

とはいえ、私自身は界隈の中では
中級者レベルだと感じています。

やはり、上には上が、
どんな分野においても存在します。


しかし、それでも私の元には
超凄腕の方々から揃って

「大人の嗜みに興味がある・教えて欲しい」

と言われる事が非常に多いのも事実です。


これは、なぜなのか。
自分より凄腕の方がなぜ来るのか。

この答えについて、

おそらくですが、

ある程度のレベルまでいったら
人間としてのレベルを上げる必要がある。

そんなフェーズが
どこかで来るんだと思います。


しかし、その壁を越える方法は、
界隈の中だと、私ぐらいしか知らない、
という自負もあります。

だからこそ、今後は、
そんな方々に自分の経験を
役立てていきたいと考えています。


私自身は、今まで会ってきた
著名人の方々との時間を通じて、

ハイソサエティの人は
何を考えているのかの思考を
インストールしてきました。


例えば、界隈の人たちが
好きそうな話をすると、

このレベルになると、
ちょっと口が悪いかもしれませんが、

ストレートな表現をすると、
美女はハイソサエティのお飾りです。


そのため、もしこのレベルの美女をゲットしたければ、
抑えるべきは、ハイソサエティの人です。

というのを知らずに、
美女を先に捕まえようとしたら、
1発でそのコミュニティでは立ち行かなくなります。


そもそも、ハイソサエティの人にかなり失礼ですし、
当然、お飾りである美女はそうなると離れていきます。

要するに、二兎追うものは一兎も得ず状態になってしまうのです。


ただ、これは知ってるか知らないか。
ただそれだけです。

その他にも、大人の嗜みは
国や世代を越えるものが多いです。

そのため、自分の知っている
ワインやジャズを通じて

世界中の全世帯の方々と
話をすることもできるので、
非常に面白いです。


そして、これらは
自ら実践して学んでいかなければ、
なかなか身につけるのは難しいのも事実です。

しかし、こうなってくると、
非凡な経験をたくさんするようになるため、
人間としての幅がどんどん広がっていきます。

なので、今後は自分の持っている
大人の嗜み術を惜しげもなく提供しようと考えています。


ワイン会やワインの講義、
ジャズを一緒に楽しんだり、演奏したり。

プライベートで時間を過ごす機会があった方には
リアルなコネクションへご紹介する可能性もあります。

なので、今後はせっかくの出会い、
一つ一つを大切に丁寧に過ごしていきたい所存です。


では、最後になりますが、
ここまで長文の文章を読んでいただき、
ありがとうございます。

引き続き、皆様の役に立つ、
大人の嗜みコンテンツを発信していきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

ムートン


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